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Review 『家門の復活』『コースト・ガード』
『ロードムービー』『童僧』

Text by カツヲうどん
2007/2/18


『家門の復活』

 前作『家門の危機』は、スタッフもキャストも第一作『大変な結婚』から刷新、全く異なるキャラクターとお話で出発した第二作目でしたが、バランス感覚という観点から考えると、なかなか優れていた作品でした。「韓国旧盆の顔」ということで、まだまだ続くであろう本シリーズですが、第三弾の『家門の復活』は、シリーズ中もっともひどい出来栄えになったようです。物語の骨子は、白虎組の滅亡と復興、そこにつまらない昔話を交差させて進んで行くのですが、構成が無理やりなので、どっちつかずの内容。シナリオが支離滅裂で、最後までチンタラな薄ら寒いお笑いが続くだけの退屈な映画になってしまいました。主演クラスの俳優たちは他との掛け持ち激務のためか、ちょろっちょろっと顔を出すだけで誰が主演かよくわかりません。また、白虎三兄弟のうち、次男と三男、その他を巡るエピソードの比重が大きくなっているのですが(つまりシン・ヒョンジュンは全く活躍しないということです)、元々魅力ないキャスティングなので、ちっとも面白くありません。

 なんでこんなひどい映画になったかは推測するしかありませんが、おそらくは企画の推敲が足りなかった上、主演俳優たちのスケジュールもうまく確保できず、現場で大幅な修正を迫られながら撮影したためではないでしょうか。こういうことは映画製作において避け難いことなので、運の悪いことだとは思うのですが、「毎年一本、旧盆に絶対公開!」というノルマはクリエイター側をかなり圧迫したことでしょう。どうせなら、前作とはまた異なった世界観で企画したほうがよかったように思いました。なぜなら白虎組の連中は第三作、第四作へと引継ぐほど魅力がないのですから。

 主演は実質キム・スミとシニ。あとはおまけ。前作で刑務所に入れられた嫉妬深い検事ミョンピルが裏社会から白虎組に復讐しようとするネタはいいアイディアだったと思うのですが、それをうまく活用できなかったのは、コン・ヒョンジンが主役になってしまうので、興行的に都合が悪かったのでしょうか? 韓国では「キム・スミのお笑いワンマンショー」と評されているようですが、テレビドラマ『田園日記』(1980)における彼女のイメージを知らない外国人からすれば、ただの顔が怖いオバサンに過ぎません。でも、彼女がインタビューなどで見せる素顔はとっても知的で、とってもノーブル。それだけ職業人に徹した頭の良い女優さんなのでしょうけど、いつまで経っても『田園日記』のパロディばかりでは気の毒な気もします。

 劇中、いくつか優れたシーンはありますが、無理やりまとめたようなシナリオに、元々魅力がないキャスティングの前では何の役にも立ちません。来年公開する(はず)の第四作では企画の大幅な見直しをお願いしたいですね。どうせならユ・ドングン以下、第一作のメンバーに帰って来て欲しいと願っているのは私だけではないはず。そして、第一作のチョン・フンスン監督再登板も・・・


『コースト・ガード』

2002年執筆原稿

 映画は冒頭、国境海岸線警備に就く部隊の様子を延々と綴って行く。海兵隊に5年もいたキム・ギドク監督らしく軍隊生活の辛さも楽しさも全て説得力を持って描かれている。『コースト・ガード』を観た韓国人男性の多くは、複雑な気持ちで作品を受け止める事だろう。ある者は昔の良き思い出として、ある者は過去の忌ましい記憶として、ある者はこれから待ち受ける未来への不安としてである。

 この『コースト・ガード』という映画を考える時、他のキム・ギドク作品と同じく、あくまでも単体としての評価と、体系の一つとしての評価を分ける必要がある。まず、単体としてであるが、この作品はかなり社会派だ。それは『受取人不明』以上に今の韓国の日常に根付く問題を直接的に描いているといえよう。それは何かというと、ごく日常に軍隊があり最前線がある、という事が一般の人々にとってどういう感覚であるか、という事である。劇中の一般人にとって、基地も軍人も同じ地域で暮らす同居人ではあるが、些細なルールを踏み外す事で、そのご近所は恐ろしい牙を向いて来る、という現実を『コースト・ガード』は描いている。そして問題は、その牙が両刃の凶器であり、軍隊の内にもいつ襲いかかってくるかわからない、一種の化け物であるという事実だ。

 劇中、チャン・ドンゴン演じるカン上等兵(彼は最初から精神異常をきたしている。それが軍隊生活から来た職業病である、という解釈も可能だ)は、職務に忠実に行動する事で民間人を惨殺するが、任務を全うしたという事で表彰もされる。殺された側の家族や友人たちは、いくら事故だろうと被害者に非があろうと納得など出来る訳はないから、今まで敢えて無視していた隣人ともいうべき軍人たちを、その日を境に敵視するようになってゆく。だが、そんな一般人の彼らでさえ、男であればまずは軍隊経験を持つ人間たちであり、女性や軍隊非経験者にとっては国境の前線で生きている運命共同体であり、広い意味での相互理解者なのだ。その避けられない矛盾を『コースト・ガード』はかなり重点的に描いているように見える。『受取人不明』も同じような地域社会の問題を描いていたが、今回の方がより直線的であると思う。なぜなら『受取人不明』では加害者という存在が外国の軍隊という赤の他人であったからだ。だが『コースト・ガード』では、そのような割り切った善悪の線を引くことは出来ない。両者に共通する点といえば、歴史という怪物の前では一般庶民のささやかな幸福などゴミ屑同然という醒めた視点だろうか。前線も徴兵も予備兵役もない現代の日本人にとっては理解しにくいテーマを持った作品といえるだろう。

 では、この『コースト・ガード』、キム・ギドク作品体系の中では、どういう存在なのだろうか。キム・ギドクの人生における重要要因である「軍隊生活」を描いたという点では、『ワイルド・アニマル』『受取人不明』に続く「キム・ギドク人生三部作」とも呼べる重要な作品かもしれない。が、結果的には「他人がキム・ギドクのふりをして撮った」ような映画になってしまった。だから残念ながら私はあまり魅力を感じることが出来なかった。確かに彼、キム・ギドク独特の記号は全編に散りばめられているし、それなりにパワーも感じる事が出来る。だが『受取人不明』を現時点での頂点と考えると、前作『悪い男』から、より一層、鋭角さも意地悪なユーモアも失ってしまい、今までキム・ギドクが他の追従を絶対に許さなかったギラギラとしたパワーは見る影もなく、かといって、いつものまったりとした叙情性にも欠け、実に「普通」としか表現しようのない出来映えとなってしまった。それが結果的に一般観客との距離を縮め、興行成績向上に繋がっているのなら、なんとも皮肉な話である。それだけ映画監督としての手腕が洗練されて来たとも解釈できるが、良くも悪くも本来の魅力であった「強烈なアマチュア感覚」が衰えてしまった様で、いちファンとしては残念でならない。

 もちろん、チャン・ドンゴンは真摯に役に取り組んでいるし、彼のキャリアにとっては重要な役柄になるだろう。恋人を目前で殺害された女、ミヨンを演じたパク・チアも狂気の狭間に静かな怒りがふつふつと垣間見える素晴らしい演技だ。今回は彼女の存在が最大の収穫であったと思う。衝撃的なラストも映画のテーマを全て集約したキム・ギドクらしい結末だ。だが、果たしてキム・ギドクはどこへ行くのだろうか? そんな不安も拭い切れない作品である。


『ロードムービー』

2002年執筆原稿

 この映画を巡る各要素は陰鬱で暗い。だが、映画はそれらのネガティブな色彩を越えて人間の尊厳を高らかに歌い上げる骨太で感動的な作品となった。特に、この映画の最大の見所であり作品の価値を高めているのが、ソウル駅のホームレスに焦点を当てた前半部だ。そこには日本ではめったに語られることの無い韓国社会の暗部が見事に描かれており、安易な韓国ブームの視点では想像も出来ない世界が広がっている。シュールな映像と共に、現代の日本と共通する暗闇を突きつけて来るのだ。特に土砂降り中で焼酎を飲み続ける初老の男の姿は無形の苦しみに呪われ続ける現代人の象徴そのものである。

 主人公二人は、やがてソウルから脱出。本当の「ロードムービー」が幕を上げるが、それもまた決して愉快なものではない。ここから描かれて行くのは、社会をドロップアウトした人々の救われない孤独だからだ。登山家デシク役のファン・ジョンミンは地味だが存在感溢れる演技を見せる。デシクの役柄はハードゲイを象徴するようなキャラクターだが、それは韓国社会が昔から男性に求めていた「男らしさ」の裏返しのようでもあり、彼がゲイゆえ社会から疎外されてゆく姿は韓国の今だ根強い保守性に対する製作者側の皮肉と告発のようにも観て取れる。チョン・チャン演じるエリートサラリーマン崩れの失業者ソグォンも同様だ。彼の場合、韓国の極端なホワイトカラー志向の悲劇そのものだからである。デシクが元々アウトサイダー的生き方をしていたことに比べ、ソグォンはいつまでもサラリーマン時代の弱さを捨てる事が出来ない。そういう人間的魅力の希薄さを、チョン・チャンは演じている。デシクに惚れる売春婦イルジュ役のソ・リンは、かなり思い切った役作りをしている。大熱演である事は高く評価したいが、男たちのドラマには溶け切れておらず、どこか違和感を感じる。イルジュの役割は、あくまでも1エピソードの脇役に過ぎないのだ。キム・インシク監督はあくまでも「男の世界」を描きたかったのだろう。

 この『ロードムービー』、俳優たちの献身的な熱演の他に特筆すべき点を二つ挙げる事が出来る。まず忘れてはならないのがキム・ジェホが担当した撮影だ。構図の見事さはいうに及ばず、独特の映像美が作品の格を格段に高めている。スーパー16ミリフィルムで撮影したものを一度ビデオに変換、キネコで再び35ミリフィルムに戻す、というかなり手間のかかった事を行っているらしい。それ故、フィルムの感性とビデオ独特の色合いが共存した不思議な映像になっている。次に、イ・ハンナが担当した音楽である。その旋律はヨーロッパ映画、特にフランスのヌーベルバーグ系スタイルを連想させ、映画の衝撃を大きく支えており、今までの韓国映画とは一味違う印象をもたらした。

 キム・インシク監督は、この『ロードムービー』を撮るにあたって、まず第一にヴィム・ベンダースなどのユーロ系ロードムービー作品よりも、1970年代のアメリカ映画、特に『真夜中のカーボーイ』や『スケアクロウ』などのアメリカン・ニューシネマ系ロードムービーの再現を目ざしたのだろう。その結果、映画はアメリカン・ニューシネマの香りをほのかに残しつつ、韓国に横たわる黒い澱を浮かび上がらせる事に成功している。近い将来、名作の評価を受けるのに相応しい重厚な力強い作品である。


『童僧』

2003年執筆原稿

 丁寧に作られた奥の深い良質な作品ではあるけれど、コクのある雑味に欠けた作品だ。だが、人間洞察は繊細だし作りも丁寧な映画である。母への慕情を山の禅寺にやってくる未亡人(キム・エリョン)に重ねる童僧ドニョム(キム・テジン)の姿は、実は女性への性的関心の芽生えを暗示しているようでもあり、年若き僧侶ジョンシム(キム・ミンギョ)の煩悩に対する苦しみは、言葉こそ少ないが実に迫力があり、その描写の懐は深い。だが、残念な事に現代と彼らの接点を結ぶディテールが希薄なために、彼らの本当の人生がイマイチ見えてこないのだ(これはアニメーション『五歳庵』にも共通する)。聞くところによると、資金難のため途中で製作を中断せざる得なかったとの事だが、残念ながらその事がそういった時代の空気感を弱めたのだろうか。

 だが、シーン別に観れば素晴らしいカットは幾つもあり、それらは高く評価すべき内容となっている。ひとつは、一日の務めを終えた幼いドニョムと若い僧侶ジョンシムが、同居している部屋で過ごす一時を描いた長廻しのシーンだ。一心不乱に繕い物をするジョンシムと、やることが無くて手持ち無沙汰なドニョムの対照的な様子は、生々しい生活感と彼らの演技が素晴らしいの一言に尽きる。このシーンはジョンシムの過去を暗示する重要なくだりであるが、それ故説明的なカットがインサートされてしまう事が残念ではある。だが、ここ数年の韓国映画においては最も優れたシーンの一つだろう。ふたつ目は、かまど炊き番の最中にドニョムが垣間見る幻想的な夢のシーンである。イランのモフセン・マフマルバフ監督の傑作『サイクリスト』を連想させる超現実的な名シーンだ。

 今回、俳優として最大の収穫だったのは、ジョンシム演じたキム・ミンギョだろう。彼の飄々として素朴な裏側にある俗世間を命を賭けて捨てざる得なかった葛藤は、観る者を感動と共にやる瀬ない気持ちにさせる。ジョンシムが山寺から姿を消す後ろ姿は、他人には慰めようもない深い哀しみを漂わせ感動的だ。

 残念ながら『童僧』は名作や傑作には今一つなり得なかった感がある。だが、近ごろの軽薄な韓国映画に食傷気味の方々には、一服の清涼を与えてくれる作品だろうし、苛酷なラストも宗教観を越えて心に深く残るだろう。ただし、仏教的な題材ゆえ、その手の話が苦手な人、韓国映画に『猟奇的な彼女』のような日本に無い斬新さを求める方々には、しっくり来ない作品かもしれない。


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