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Review 『高校教師〜恋の教育実習〜』
『オアシス』『イエスタデイ 沈黙の刻印』

Text by カツヲうどん
2007/1/7


『高校教師〜恋の教育実習〜』 (再掲)

原題:夢精期2

 昨今の韓国映画で目立つのは、続編企画がぞろぞろ並んでいる点だろう。それだけ、受けて側のニーズが変化し、送る側も一過性ではないマーケット戦略を狙う方向に変わっていっている、ということなのだろうけど、一般客にとって、結果的に面白くなければ、続編であることは意味を成さない。この『高校教師〜恋の教育実習〜』は、「続編は駄作への道を定められている」という宿命を絵に描いたような作品である。前作『夢精期』とは逆に、女子高校生の性的ムラムラを描く企画に、韓国でも一部のファンは過激な内容を期待していたのだろうが、そんなテーマは、ちょっと転べば18歳未満禁止になりかねず、やっぱりブレーキが必要以上にかかってしまったようだ。はっきりいって、今の韓国では難しいネタだったのだ。ゆえに、やっていることは実に半端で、つまらない。

 前作『夢精期』とは微妙にリンクしているが、実質、物語は関係ない。それはいいとしても、この作品の一番の問題は、誰が主人公で、何を描きたいか、さっぱりわからないということだろう。『夢精期』は、一見エッチ・コメディのように見えつつも、演技力のある俳優たちによる、人生の喜怒哀楽をきちんと描いた優れたドラマだった。だからこそ作品として成功したのだろうけど、本作は『夢精期2(原題)』と詠っているだけで、とにかくひどい駄作だ。前作と同じ監督が撮ったとはとても思えない。もっとも、チョン・チョシン監督は『夢精期』の後は駄作を連発しているようなので、ひどいブランクに陥っている可能性はある。

 この『高校教師〜恋の教育実習〜』は、まず俳優たちに魅力がない。キャスティングの点で既に失敗している。ただし、現在の韓国映画界を巡るキャスティング事情には、キャリアの浅い監督は皆泣かされているので、今回は運が悪かったのだろう。

 次に、主役の女の子三人組の使い方、彼女たちを巡る同級生たちの絡み方が非常に稚拙だ。主人公らが通う高校では、容姿の良い悪いが損得を別けている部分など、それ自体は、社会風刺も感じられて面白いのだが、肝心の主演女優たちが、特に美人でも可愛い訳でもないという致命的な欠点のため、全く笑えないし、女子高生たちの描き方も、嘘臭くて薄ら寒い。これは、中年の男性監督が、女子高校生の事情をおもしろおかしく描こうとしたところに、元々無理があったのではないだろうか? 今の韓国は、優れた若い女性監督が何人も出てきているのだから、本当なら彼女たちが登板すべき企画だったのだ。

 第三に、登場するキャラクターの割り当てに疑問を感じる。ミスク(光浦靖子似の女優)演じたパク・スルギに、付け合せ程度の役割しか与えられていないのは、おかしい。本当だったら彼女が主演であるべきなのだ。しかし、個性も演技力も感じられないカン・ウンピ演じるソンウンが、説得力のない形だけのヒロインになっているので、それだけで映画のノリが失速している。カン・ウンピ自身も、この作品に乗り気でなかったように見えるのは気のせいだろうか? そうだとすれば、なんとも不幸な仕事である。

 モテモテの教習生ボング演じたイ・ジフンは、軽い持ち味が役に合っていたけれども、彼からはギラギラするような性欲が感じられないし、かといって前作のイ・ボムス演じたような、真面目一徹のキャラでもないため、笑いに繋がってゆかない。ボングは性欲をかきたてられるとお屁を連発するキャラクターだが、本来の韓国映画だったら、腹を下すギャグだったはずだし、観客の多くも、そういう過激で下品な笑いを期待していたはずだ。だが、そこら辺も自主規制が掛かっているようで、可笑しくないのである。

 結論をいうと、この『高校教師〜恋の教育実習〜』は安っぽくて退屈な、いんちきコメディだ。しかし、その裏を考えてみると、韓国の持つ様々な保守的呪縛が暗く影を落としているようにも思え、本当は同情すべき作品なのかもしれない。改めて『セックス イズ ゼロ』の偉大さ、『夢精期』の巧みさを痛感した作品だった。


『オアシス』

 この映画は、安っぽい純愛ドラマなどではない。まさに、タブー破りの映画なのだ。韓国公開に先立ち、この『オアシス』を試写会で観た友人は「映画祭にはいいけど、一般にはねぇ。ホント、頭の痛い映画だよ」と、かなり否定的な意見を述べていた。だが、なぜ彼がこういう感想を洩らしたかは、映画を観るとたちどころに理解することが出来る。そう、この映画は社会のタブー、誰もが見ない振りをしているものを、まさに正面から描いているのだ。故に、韓国のみならず日本においても、一部の人々は、この作品に拒否反応を示すだろう。それは、『ゆきゆきて、神軍』(1987)で知られる原一男監督の初期作品群、たとえば『さよならCP』(1974)や『極私的エロス・恋歌1974』(1974)などの衝撃に通じるものが、この『オアシス』からも発せられているからだ。

 「タブー破り」といえば、『バッドムービー』(1997)、『LIES/嘘』(1999)のチャン・ソヌ監督が有名だが、計算高く変化球使いの彼とは違い、『オアシス』のイ・チャンドン監督は、あくまでもストレートの豪速球を観客に投げつける。まず、ヒロイン、コンジュを演じたムン・ソリの演技が凄まじい。コンジュは全くといっていいほど、しゃべる事も、意思を示す事も、そして這うことすらも、ままならず、周りの人間に食い物にされている。この難役を莫大なエナジーを費やして、ムン・ソリは演じきっている。それは職業を越えて、尊敬すべきプロの姿というものさえも観客に教えてくれるのだ。この演技に対するムン・ソリの姿勢は、今後ずっと語りつがれていくだろうし、語りつがれられなければならない。この映画は、一にも二にも、ムン・ソリについて語られるべき作品なのである。

 主人公ジョンドゥを演じるソル・ギョングの演技については、今更語るまでもない。今回もバイクで転倒するは、木から転げ落ちるはと、七転八倒の熱演を見せるが、決してそれだけではなく、社会生活を営めるか否か、微妙な境に立つ、ジョンドゥの愚かさと素直さ、そして純真さを巧みに表現している。ただ、主演のムン・ソリとソル・ギョングが傑出しすぎているためか、他の俳優たちの影が薄くなりがちで、彼らだけのショットになると、途端に退屈になってしまうのは残念だ。

 撮影は、一貫して手持ちのカメラで行われ、照明も最小限のみ。そこから生まれる荒い映像は、明らかに一時期流行った「ドグマ95」の系譜であるが、安易な印象が、この映画からは一切感じられない。社会のタブーを直接描いている故、観る者の好き嫌いが大きく別れてしまう作品だが、まさに2002年度を代表する必見の韓国映画である。


『イエスタデイ 沈黙の刻印』

 東京国際映画祭協賛企画コリアン・シネマ・ウィーク2002にて鑑賞。

 この『イエスタデイ 沈黙の刻印』は、私が観た韓国映画の中において「SF映画」と形容するに相応しい最初の作品である。複雑に入り組んだプロット、手を抜かない小道具演出、適切なVFXと、全編に渡って神経が行き届き、その一つ一つにSF映画に対するこだわりと愛情が感じられる。ファンタジーや時代劇系に逃げず、近未来に徹した姿勢もいい。

 映画は、リドリー・スコットの名作『ブレードランナー』へのオマージュを貫きながらも、新しい「コリアンSF」ともいうべき独自の世界観を成立させている。様々な情報や記号が交差する映像は、あくまでも部分的・印象的ながら、ジャン=リュック・ゴダールやアンドレイ・タルコフスキーのようでもある。カットの運び・構図・セリフ廻しは、日本の押井守や士郎正宗らの作品の影響がかなり見られるが、決してコピーではないし、古今東西のハードボイルド映画のスタイルもよく研究している。

 しかし、残念ながら、この作品には致命的といってもいい欠点があるのだ。それは「娯楽作品」として、あまりにも難解で退屈過ぎるという事なのである。話の運びが複雑で、思わせぶりなセリフが飛び交い(但し、これは聴覚異常の主人公ソクの主観とも解釈できる)、物語について行くのが、とにかく大変だ。アクション・シーンは派手で、観せ方にも工夫が見られるが、だらだらと長くキレが悪過ぎる。

 特捜班チーフ、ソク役のキム・スンウは、自分の存在に疑問を抱きつつも、職務に徹する役柄を好演している。彼はいわば『ブレードランナー』の主人公デッカードに該当するが、少し普通過ぎるルックスゆえ、日本人にはピンと来ないかもしれない。プロファイラー、ヒス役のキム・ユンジンは、演じる役柄を良く理解しており、彼女の聡明さが伝わって来る。彼女は『ブレードランナー』のレイチェルに近い存在だが、もっと大人で成熟している。武闘派の女捜査官メイ役のキム・ソナは、頑張っているが、残念ながら演技が一番未熟。観ていてかなり苦しいものがある。メイのキャラクター自体は、『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』の草薙素子をモデルにしているようだ。物語のキーマンとなるゴリアテは、韓国のカリスマ俳優、チェ・ミンスが、かなり自我を抑えて演じている。出番も少ないが、韓国版ロイ・バッティ(『ブレードランナー』のレプリカント、ルトガー・ハウアーが演じた)ともいうべき、哀しみを抱えた殺人マシーンを、なかなか魅力的に演じている。

 チョン・ハンチョルの撮影は、手持ちが中心ながらも、端正な画作りを行っており、雰囲気溢れる映像を生み出しているが、起伏の乏しいアングルと暗い画面の連続は、一般観客への排他性を高める事に大いに役立ってしまったようだ。劇中使用される銃器類は、今までの韓国映画の中で一番種類が多いと思えるくらい、ヴァリェーションが豊富だ。特捜班チーフのソクはベレッタM93R、女捜査官メイはデザートイーグル(多分50AE)と、きちんとキャラクターに似合った割り振りが行われている。

 本作は韓国での評判は散々で、興行的にも振わなかったが、それは物語が明快ではなく、あまりにもマニアックな為だったからであろう。また、日本の作品や『ブレードランナー』への類似性も批判の原因となった事は否めない。しかし、世界観の描き方においては、先に封切られたSFアクション大作『ロスト・メモリーズ』が、トンチンカンで独り善がりだった事とは対照的に、リアルで納得できる出来となっており、なおかつ実写作品であることを思うと、幾つかの日本映画よりも断然良い評価を与えるべきであろう。これからの再評価が、是非望まれる作品である。


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