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Review 『礼儀なき者たち』
『2月29日−ある日突然 最初の物語』
『四番目の階−ある日突然 二番目の物語』
『死の森−ある日突然 四番目の物語』

Text by カツヲうどん
2006/11/26


『礼儀なき者たち』

 この作品は、パロディ感覚あふれる作品であると共に、実は新しいようでいて、どこか古典的な冗長さも持ち合わせた、とても韓国的な映画だったと思います。ここにおける「韓国的」とは、言葉が多く、くどくどと長い、という意味もありますが、韓国語の持つ文語的な感覚が全編に流れている映画なのです。

 最初から最後まで、映画は主人公の独白を背景に進んで行き、主人公はほとんど喋りません。その独白は、ある時は何気ない感想だったり、ある時は複雑な考察だったりと、殺し屋として生きることを通して、主人公が自分の存在意義を見つめようとしているかのよう。主役の殺し屋をシン・ハギュンが演じていることから、『ガン&トークス』を連想させますが、殺し屋仲間のバレー(キム・ミンジュン)がテレビ・ドラマ『チェオクの剣』で演じたキャラクターと明らかに被る役柄だったり、敵対するヤクザのボス役がパク・チャヌク組のキム・ビョンオクだったりと、他の作品からの引用と再構成、パロディを感じさせる映画になっています。登場人物たちにきちんとした名前がなくて、代名詞かあだ名になっているところにも、この映画の寓話としての意図を感じることができます。

 殺し屋たちは一種の組合組織を作っていて、仕事をとってくるマネージャー指揮下のもと、フリーで任務を遂行するようになっているのですが、これは何か映画業界のフリーランス・スタッフの比喩のよう。仲良く海に慰安旅行に行く様子は、とてもユーモラスであると共に、職業としての殺し屋の孤独な姿も強く伝わって来ます。基本的に面白い映画なのですが、話がくどくて退屈なのも事実。これはこれでいいのですが、もう少し整理することで、より軽快な作品になったと思います。でも、これでも公開版は30分切ってあるとかで、パク・チョリ監督には言いたいこと、伝えたいことがたくさんあったのでしょう。

 主人公とヒロイン(ユン・ジヘ)の因縁など、よくある韓国パターンなので余計な気もしますが、まあ許容範囲。ユン・ジヘという女優も美人ではないのですが、彼女の姿勢にはプロ意識がはっきり感じられて好感が持てます。俳優として面白かったのは、殺し屋仲間演じたパク・キルスとイ・ハヌィ。二人ともオッサン系俳優ですけど、味のある顔立ちは、韓国人本来の「顔」を連想させ、とても素敵です。

 この作品が日本で公開されるとすれば、字幕処理が大変になるかとは思いますが、くどい言い回しをあまり簡潔に翻訳してしまうと、この作品の持ち味が殺されてしまうので、難しいかもしれません。映像に艶がないことが不満な点ではありますが、ディレクターズカットも観てみたい、監督こだわりの作品といえます。


『2月29日−ある日突然 最初の物語』

 この作品は、10年ほど前に発表された韓国のホラー連作小説『ある日突然』(ユ・イラン著)を元に製作された長編ホラー・オムニバス全四作の第一弾です。どの作品も、HDで撮影し、低予算、新人監督、ノースターと、実験的な要素が強いのですが、短編ではなく長編であることが重要な特色といえるでしょう。原作が元々ネット配信された小説であることが、いかにも韓国的なトレンドともいえるのですが、近年の韓国における「表現の自由」はどこにあるかを象徴する現象なのかもしれません。

<物語>

 お話は、一人の若い記者が精神病棟に収監された若い女性ジヨン(パク・ウネ)を訪ねるところから始まります。ジヨンは、以前働いていた高速道路料金所で起こった大量殺人事件の生き残り、唯一の犯人目撃者だったのですが、あまりに荒唐無稽な話だったので、誰も彼女の話を本気にしませんでした。

 ことの発端は、彼女が夜間勤務をしていたある夜のこと。一台の不気味な車が姿を現し、ジヨンに血まみれの通行券を手渡します。運転しているのは顔が半分焼け爛れた若い女性。ショックを受けるジヨンでしたが、それだけではありませんでした。実は高速料金所を巡る都市伝説があって、「閏(うるう)年の2月29日、殺人鬼がやって来る」というのです。その話を裏付けるように、夜中の料金所で連続殺人が起こり始めます。それは、だんだんとジヨンの勤務する料金所に接近していたのでした。

 料金所連続殺人事件の重要参考人であるジヨンの周りを、パク刑事(イム・ホ)と相棒が張り込むようになりますが、二人の前で彼女は異様な行動をするようになります。やがて運命の夜、遂に黒い車が三人の前に姿を現し、パク刑事たちは勇猛果敢にその車の元に向かいますが・・・ 果たして、殺人鬼の正体とは?

 この作品、HDを使った早撮りで製作されたためか、映像的には観るべきものはなく、話も無理やり引き伸ばした感が免れずで、ちょっと退屈。あと20分短ければもっと楽しめたのではないかと思いました。話の構成は凝っていて、一筋縄では行かない展開に、どんでん返しの連続と、一応ミステリーとしても作られていますが、キャスティングの魅力なさに加えて、シーンが限られているため単調である印象は免れません。

 恐怖演出も、そのオチもワンパターン。せっかく新人発掘という大義名分があるのですから、思い切った工夫を許してもよかったのではないでしょうか? 監督のチョン・ジョンフンの演出は正攻法。好感が持てましたが、どうせならもっとストレートな怪談にした方がよかったのでは?とも思いました。ミステリーに趣を置くか、コケ脅しに趣を置くか、監督の個性が出る部分ですが、チョン・ジョンフン監督は前者の方だったのでしょう。

 主演の二人、パク・ウネとイム・ホは日本でも『宮廷女官 チャングムの誓い』でお馴染みですが、楽屋オチにも見えなくもない組み合わせ、狙いなのかどうか別の意味で気になったキャスティングでした。


『四番目の階−ある日突然 二番目の物語』

 因縁ある地に建てられたオフィステル。そこには、あるはずの無い四階が存在し、住む者を死にいざなう怪現象が多発していた・・・ どの国にもある都市伝説をベースにしたかのような本編ですが、アン・ビョンギの『アパートメント』とならんで、高層住宅やインテリジェントビルが、のべつまくなしに新築され続ける韓国を象徴するようなお話です。今までの韓国怪談物と少し違うのは、ここ10年くらいの韓国における新しい住宅形態の一つである「オフィステル」を舞台にしている、ということでしょう。

 元々ソウルでは、日本でいえば「ウィークリーマンション」に該当しそうな下宿や部屋貸しが沢山あって、それにオフィスとしての形態が付加された賃貸物件が「オフィステル」。住居機能つきの貸し事務所といったところですが、韓国の都市生活に適合したのか、年々発展を続け、最近はもっと個人向けに特化した「コウシテル」なんてものも、江南辺りにはたくさんみかけるようになりました。一時的住居ゆえ、住人の浮遊度が高く、今回のような都市伝説の舞台としてはピッタリの場所といえるでしょう。

<物語>

 ミニョン(キム・ソヒョン)は、6歳の娘ジュヒと二人暮しのシングルマザーです。建築士として自立、それなりの収入にも恵まれていますが、母子家庭ゆえ世間の視線も厳しく、気苦労が絶えません。彼女が住むオフィステルは隣が誰で、何をしているのか全くわからない状態。不審な人影が廊下を行き来し、ミニョンもまた奇妙な悪夢にうなされるようになります。同時に、娘チュニが、いないはずの男の子を追って姿を消したり、原因不明の発疹に悩まされるようになったりと、奇怪な現象も起こり始めます。

 評判の悪い住民たちが、無残で不審な連続死を遂げたことから、ミニョンはこのオフィステルには、なにか因縁があるのではないかと、独自で調査を始めますが、やがて都市再開発を巡る、悲しい過去が明らかになってゆきます。

 この作品、安っぽい脅かしの連続に、ワンパターンな悪夢ネタと毎度お馴染みの、うんざり要素だらけですが、実は社会派ともいえそうな内容。監督のクォン・イルスンにしてみれば、ホラーの形式をとりつつも、現代韓国を襲う人間関係や家族関係の変質に対する危機感といったものを盛り込みたかったのかな、と感じました。

 オフィステルを巡る因縁話も、傍から観ると高層建築が無計画に乱立しているように見えるソウルでは、実際に起こりうる話ですし、元ネタとして何か事件を参考にしていたのではないでしょうか。シングルマザーの問題も、少しですが、きちんと触れているところにも作り手の良心が感じられた作品です。


『死の森−ある日突然 四番目の物語』

 本シリーズのとりを飾るのは、なんとゾンビ物。ただ、あくまでも韓国のクリエイターが作り上げた韓国式ゾンビであって、ロメロ的な面白さを期待すると、がっくりくるのでご注意を。

 映画における「ゾンビ」は、誰かに操られるだけの「操縦型」、自立機械として活動する「自走型」、自我を保っている「鬼神型」の大きく三つに分けることが出来ると思います。ブゥードゥーにおけるゾンビがオリジナルだとすれば、最も原型に近いのが「操縦型」であり、中国文化圏に見られる「キョンシー」もこのタイプ。でも、映画やその他において、あくまでも主流なのはジョージ・A・ロメロが生み出した「自走型」ゾンビでしょう。これがなんで主流になったかというと『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(The Night of Living Dead:1968)』や『ゾンビ(DAWN OF THE DEAD:1978)』があまりにも素晴らしい映画だったからですが、ビジュアル的にキリスト教社会の終末観にマッチすることと、人の姿をしていても無慈悲な殺人マシーン、意思疎通の余地は一切無し、頭を破壊しないと(つまり個人を完全否定しないと)殺せないという、人間の持つペシミステックな欲望にマッチしていたからだと思います。

 さて、『死の森』は、私が記憶する限り「ゾンビ映画」をうたった初の韓国映画。過去に「鬼神型ゾンビ」や「操縦型ゾンビ」を扱った韓国映画は、台湾や香港合作などの形で存在していると思うので、初の「自走型ゾンビ」というオタクな意味での興味深い期待作でしたが、やっぱり韓国ホラー、珍妙な映画になっていたのでした。

<物語>

 仲良しの五人組、ウジン(イ・ジョンヒョク)とジョンア(ソ・イヒョン)、スンホン(キム・ヨンジュン)らは、ある日、ハイキングに出かけます。それは楽しいハイキングになるはずでしたが、ジョンアは早々に嫌な「ヴィジョン」を見てしまいます。実は彼女、人の「死に際」を映像として見てしまう能力があったのです。山に到着すると登山道入り口は山火事の後で固く閉ざされた状態。そして放置されたままの4WDが一台。若気の至りで門の鍵を壊して山に入る一行でしたが、ジョンアの嫌な予感はどんどん強くなってゆきます。そして、五人組の一人、ジュヌが行方不明になったことから、生き残りをかけた一夜が始まります。

 ゾンビとして蘇ったジュヌは恋人をナイフで惨殺。ゾンビ仲間に加えると、今度はウジンたちに襲い掛かります。そこに狩人姿の男が現れ、斧でジュヌの頭を叩き割って殺します。実はこの狩人、ゾンビ化現象に家族を奪われて以来、山の中で暮らし続けていたのでした。ウジンたち一行が入ってきた山は呪われた場所で、大地に血を流してしまうと人間がゾンビになってしまう事実を知らされますが、時は既に遅し。狩人もゾンビと化して、ウジンらに襲いかかります。

 登山口まで逃げ延びるウジンとジョンア、スンホンでしたが、スンホンは負傷して血を流し、ゾンビと化してしまうのでした。ゾンビになったスンホンを、ウジンは何とか倒しますが、ジョンアには、自分とウジンの悲惨な末路が「ヴィジョン」として見えてしまいます。せめてウジンだけは助けようと、ジョンアはある決断をするのですが・・・

 お話だけ聞くと、いかにもスプラッターですが、実際は低予算作品なので、その手の描写は大したことはありません。あくまでも絶望した状況で、どう生き残るかを描いていて、基本的にはロメロ・ゾンビの系譜になっています。肝心のゾンビですが、オリジナルな解釈を盛り込もうとしているものの、俳優が顔を青白く塗って、サイコな演技を披露しているだけで、全然怖くありません。カテゴリー的には「鬼神型」ゾンビなんですが、全体的に演出が滑りがちなので、登場人物がゾンビと化すたびに客席から苦笑が上がる始末。やっぱりゾンビは物事を語らない方がいいようです。

 ウジン演じたイ・ジョンヒョクは、脇役ながら最近活躍が著しい若手の一人。ルックスが日本の仲村トオル風なので、いずれ兄弟役で共演したりして。出演者で最も有名なのは、スンホン演じたキム・ヨンジュンでしょう。昔のキワモノ的な三枚目役から、近頃は、けっこうイケメン系として活躍を始めているようですが、彼が脇に廻ったのは、ちょっと惜しい気がしました。

 ものが低予算、恵まれない条件下での製作なので、あまり厳しく批判するのは避けたいと思いますが、この『死の森』に限らず、『ある日突然』の作品群は、どれも間延びして退屈、怖いより眠い、といった方がふさわしいものばかり。その原因の一つとして考えられるのは、各プロットが1時間30分の映画として描くには、ちょっときつい内容だったのではなかったか?ということです。一本あたり40分か50分程度であれば、各監督の色も出て、面白い作品も撮れたのではないかと思うのですが、商品として売るのなら長編の方がバリューあり、という上の判断だったのでしょうか? この企画に意味があったかなかったかは、まだわかりませんが、一人でも担当監督の中から傑作を撮る人物が出ることを期待したと思います。


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