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アジアフォーカス・福岡映画祭2004 リポート
『下流人生』

Reported by 井上康子
2004/10/15受領



『下流人生』 2004年
 監督:イム・グォンテク
 主演:チョ・スンウ、キム・ミンソン

 韓国の1950年代末から1970年代初頭における激動の時代を生き抜く、ヤクザのテウン(チョ・スンウ)を主人公とする作品。李承晩(イ・スンマン)政権の末期、街はデモ隊であふれているが、高校生テウンは政治状況には無関心。他校の生徒にやられた友人の仕返しに行くが、そこでナイフで刺されてしまう。脚に刺さったナイフをそのままに、自分を後ろから刺した相手の家に乗り込み、ナイフを引き抜かせるテウン。彼の侠気を見つめるのは刺した相手の姉ヘオク(キム・ミンソン)だった。自分の拳しか頼るものが無いテウンはヤクザに、ヘオクは教師になる。そして、ヤクザになったテウンは汚れた仕事に手を染めていき、次第に純粋さを失い、彼自身も汚れた人間になっていく。


レビュー

 私はこの作品の主人公テウンはイ・チャンドン監督作品『ペパーミント・キャンディー』の主人公ヨンホ(徴兵中に光州事件に遭遇し、誤って少女を殺害してしまったことから、人間性を崩壊させていく)のような人物ではないかと鑑賞前に想像していた。確かにある時代に生まれたことで人間性を失っていくという点は共通しているが、彼らには相違点がある。

 まず、ヨンホが徹底してその人間性を崩壊させてしまったのに対して、テウンは彼の浮気後、彼を拒むようになった妻を殴ってセックスを強要するような男になってしまうが、撃たれて車椅子生活を送るようになった兄貴分サンピルを常に心から暖かく遇する、障害者を見捨てるようなことはしないという人間性は保っている人物である。そして、最も大きな差異は自身の犯した罪の自覚の有無である。ヨンホが自分の罪を自覚していた(そのための自己嫌悪から最終的には自殺した)のに対し、テウンには全く罪の自覚がないのだ。利権を得るため、談合から抜けようとした業者をリンチし、情報部長の妻の依頼で妊娠した部長の愛人を流産させようとし、汚いことをするのだが、彼にとっては必要な作業をしているにすぎない。彼の苦悩はその作業を遂行することの困難さのみに依存している。自分を客観視していないテウンという主人公は、ヨンホやイム・グォンテク監督の他作品の自分を客観視していた主人公たち(例えば『酔画仙』の主人公スンオプ)に比べるとひどく見劣りしてしまうのだ。

 イム監督は彼を、障害者を見捨てるようなことはしない、最後まで無垢な部分を残した人物と考えている。監督はまた、無知であること(自分を客観視していないということ)が無垢であることの条件であると考えたのではないかと思うが、テウンを罪の自覚をもつ人物として描いてくれていたら、もう少し彼に人間的深みが感じられたのではないだろうか。

 また、テウンという人物の内面の表現方法にも問題があると感じられた。純粋さ、汚さは、一人の人物のうちにある明暗として感じ取れるような演出が必要だったのだと思うのだが、イム監督はある場面では彼の純粋さのみを強調して示し(車椅子のサンピルに暖かく接する)、別の場面では彼の汚さのみを強調して示す(妻を殴ってセックスを強要する)という手法を取っており、まるでジキルとハイドのような別人格の人間を見ているような気にさせられてしまうのだ。これではどうしても彼の全体像に共感を寄せることはできない。

 テウンの人物像やその表現方法には問題があると感じたが、テウンを演じた若手実力派チョ・スンウの演技は見事だ。純粋な高校生から薄汚れた30代までをきちんと演じ分けることができている。妻のヘオクを演じたキム・ミンソンも姉さん女房の包容力と意志の強さをにじませる良い演技だ。

 テウンのアクション場面はすべて、コマ切れでごまかすことなく、ロング・テイクで撮られ、情報部に追われたテウンが屋内から大きなガラスに体当たりして飛び出すという場面もCG処理なしの実写。斬新ではないが伝統的な映像の美しさを表現しようという意図が感じられる。また、当時の街並みは1年2ヶ月を要して作られ、当時の雰囲気をもつ人物を探していて結果的にこうなったそうだが、イム・グォンテク監督、チョン・イルソン撮影監督の弟子たち(『バンジージャンプする』キム・デスン監督など)が率先して協力し、多数カメオ出演している。

 『太白山脈』で1940年代から1950年代までの、朝鮮半島でイデオロギーの対立に巻き込まれた人々の悲劇を伝えたイム監督は、今度は、軍事独裁政権下の人々の悲劇を、その時代に生きた当事者として、伝えなくてはならないという使命感をもっていたはずだ。

 イム監督は上映前の舞台挨拶で、「本作品はフィクションではなく実話にもとづいており、自分たち(監督本人、イ・テウォン プロデューサー、チョン・イルソン撮影監督)が体験した実話を映画にしたものだ」ということを強調していたが、本作品で示された<タクシーで朴正煕(パク・チョンヒ)政権の批判をした乗客を運転手が交番に連れてくる、大学教授の乗客は検察の知り合いに電話し無罪放免になると思いきや、運転手が情報部に電話し結局は拘束されることになる>等の多数のエピソードは、軍事独裁政権支配の特質、独裁政権支配下における人々の生活の緊張感を、生々しく伝えてくれる。

 私には背景である再現された時代の方が、主人公たちよりも、むしろ浮き上がって、くっきり感じられた。軍事独裁政権下という時代の再現に、イム監督の執念を感じた作品だ。


ティーチイン

2004年9月20日(月・祝) エルガーラホールにて
ゲスト:イム・グォンテク監督、イ・テウォン プロデューサー、チョン・イルソン撮影監督
司会:佐藤忠男(アジアフォーカス・福岡映画祭ディレクター)
通訳:根本理恵

Q: 妻を殴るテウンと、車椅子で生活することになった兄貴分に暖かく接するテウンと、どちらが本当の彼なのか、彼はどういう人なのか悩みました。イム監督のお考えを聞かせてください。
イム: テウンという主人公は実在の人物をモデルとしています。実際の職業も映画の中にあるようにアメリカ軍に物資を納める仕事についていました。当時の韓国では何か職業を持つということは大変で、何も持たない人は腕っぷしだけを頼りにヤクザの世界に入るしかないという状況でした。そういう状況の中でテウンという人物は非常に純粋で義理堅い人物でした。今もご健在ですが、彼の置かれた状況なら、もっと政権に癒着して不正の中で生きることもできたのに、彼はそこまで悪くはなりきれなかったのだと思います。そして、最終的にはまた明るい太陽のもとの人生に戻りますが、それは彼がもともと、持って生まれた純粋さがあったからではないかと思います。ですから、私は彼のことを評価するとしましたら、もっともっと悪くなる、そういう危険な状況まで足を突っ込みかけていたのに、最後はもう一度明るい世界に戻ってくるという、そういう人物だと位置づけています。その最後の部分は今回の映画には含まれていませんが。彼はもともと純粋で義理堅く、現実の中で彼は一生懸命生きてきたということを描きたいと思いました。


イム・グォンテク監督

Q: エンドクレジットで家族の写真が出てきますが、他の家族が微笑んでいるのにテウンだけは無表情でした。これはイム監督が、テウンがいろいろなものを犠牲にして、家族の幸福を守ったと考えられたからでしょうか?
イム: そうです。もうひとつ付け加えると、彼が明るい道に戻っていくには、本当に暗くてつらい道のりがあったということを暗示しています。

Q: 日本の韓流ブームおよび386世代をどう評価していますか?
イム: 韓流ブームについては実は私も非常に驚いています。韓国映画が日本や中国、そして世界で魅力ある映画として受け入れられる状況になるということは数年前までは考えられなかったことで、ひとつの事件だと思っています。そして、韓国映画は最近になってようやく、活気があり、味のある作品が出ていますが、ご覧いただいた『下流人生』にあるように、軍事政権下での締め付けは大変なものでした。多くの規制があり、映画を作る前の検閲、台本の審議、そしてできた映画にも検閲が加えられました。社会問題を映画にするということは本当に厳しく禁止されていた時代がありました。そして、ようやく最近になって、軍事独裁政権から文民政権に変わって、韓国映画界は自由に映画を作れる機会を得ることになりました。それと相まって韓国は経済的にも成長しまして、映画に出資する人たちが非常に増えるようになってきました。そして、ご指摘があったように今韓国映画界をひっぱっているのはいわゆる386世代と呼ばれる人たちです。その386世代の人たちは今映画を撮れる状況にあるわけですから、映画を作るという立場から言えば非常に良い時代にめぐり合わせているといえます。今までタブー視されていた題材も映画で取り上げるようになって、386世代の才能のある人たちが自由な映画作りの中で自分たちの才能を発揮しています。そういうことが韓流ブームとつながっているのではないかと思います。

司会: イ・テウォンさんはイム・グォンテク監督と長く一緒に仕事をされていますがどんなふうに気が合うんですか?
イ: 私たち3人は他に友達がいないんですね(笑)。イム監督は監督ばかり、私は製作ばかり、チョン撮影監督は撮影ばかりしてたもので。それで、退屈だなと思う時はしょっちゅう会っています(笑)。とにかく、一緒にいないと退屈で仕方がないです(拍手)。


イ・テウォン プロデューサー

司会: チョン撮影監督は『曼陀羅』を撮られた時からすごい方がいると思っていました。失礼ですが、あの頃は癌の手術後だったそうですが、その頃に招待されて日本に国際研究でおいでになった時、すばらしいスピーチをされたので、韓国の方は気合が入っているなあと。それ以来チョン撮影監督を尊敬しています。3人で過ごされるのは、どこか気が合うのですか?
チョン: 私はこれまでに2回の大手術を経験しています。1回は交通事故のための手術、1回は直腸癌の手術でした。まさに死にかけていた私を手術が生かしてくれたのですが、手術で命が助かった以上に私を助けてくれたのはイム監督です。手術の後、私を本当に元の人間に戻してくださいました。イム監督と初めて一緒に仕事をしたのは、『曼陀羅』という映画だったのですが、その時に、周囲の人や製作の人は、私が死にかけの身体ということで、半分死体のような人と一緒に仕事をする必要があるのかとイム監督をからかったんですが、それでもイム監督は私と一緒に仕事をしてくださいました。つまり、私をもう一度、人間として甦らせてくれたわけで、非常に尊敬しています。そういうすばらしい機会をいただいた訳ですから、私は恩返しをしないといけないと思っています。そして、人が生きるということは誰かに奉仕することだと思っていますが、他で奉仕をすることはできませんから、私の映画を観てくださる人に対して、自分が映画を作って奉仕をしていきたいというふうに思っています。私を生かしてくれたすべての人のために、映画作りを通して奉仕をしたいと思います。そして、またもう一人、尊敬しているのはイ・テウォン社長です。私たち3人がいつも一緒にいるので、もともといた友達は逃げてしまって(笑)、3人ばかりでいつもつるんでいますが、私たち3人は死ぬまで一緒に仕事をしたいと思っています(拍手)。


チョン・イルソン撮影監督

司会: 今、韓国映画界は若い世代がどんどん進出していて、それはすばらしいことですが、反面、50歳以上の監督は仕事をもうしていないような状態です。何十年と鍛え上げてきた伝説的な韓国の精神を伝える人として、イム監督はがんばっていらっしゃいます。同年代の映画人がほとんどいないのだから、まあ、友達がいないのも仕様がないですね(笑)。

Q: チョ・スンウさんは『春香伝』に続いて、本作品にも主演されていますが、イム監督は彼のどういうところを評価されているのですか?
イム: 私は初めて彼に会ったのは『春香伝』のオーディションの時でした。オーディションの時は履歴書を提出してもらうことになっていて、写真も必ず付けることになっています。彼の提出した写真は、何か暗い建物の影でポツンと立っているような(笑)、そういう小さい写真1枚でした。しかし、私はその写真を見て、彼から強い印象を受けて、今回の『下流人生』のような役もできるのではないかと思いました。ただ、その時は『春香伝』のオーディションだったので、本作品のような役ではない役をやってもらい、本作で主役に起用しました。本作品への起用については、「軟弱な感じを受けるところがあるから、彼はこの役はできないんじゃないか」と、心配する声もささやかれていたんですが、彼は演技者としてすばらしい力量を見せてくれて、そういった心配の声を払拭してくれました。彼は最近では、本作品の後に、オペラ『ジキル博士とハイド氏』に出演しまして、本作品以上のすばらしい演技を見せてくれて、俳優として今まさに成長しているところです。すばらしい才能と潜在力をもった俳優さんだと思っています。


取材後記

 韓国映画近代史に大きな足跡を残し、さらに、バリバリの現役として『酔画仙』で第55回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞するという快挙を成し遂げた3名のゲスト、イム・グォンテク監督、イ・テウォン プロデューサー、チョン・イルソン撮影監督が並んで立っていると、さすがの貫禄がある。使命感をもって長年一緒に仕事を続けてきて、仕事も友情も、大切にしてきたという姿勢は人間的にもたいへん魅力を感じさせられた。

 これからも、このトリオでなければ作れない映画を、作り続けていただきたいと思う。


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