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韓国エロス映画の現在と過去

小沢英裕(SUM)
2000/1/1受領



 キム・ギドク監督の『悪い女 青い門』(1998)は女人宿を中心に人間模様が描かれている。不倫や性が絡むからといって日本なら娼婦宿が舞台になることはさほどなかろう。日本ならよりビジネスとして組織化されたものが性産業の中心であるのに対し、韓国ではある庶民の一家の営む女人宿というのが十分に生き残っているということなのだろうか、これらの作品に描かれる女人宿は庶民の生活の輪の中で完結している。韓国では、性と人間というものの一つの縮図を示すのに格好の舞台なのかも知れない。

 ここで、韓国映画におけるエロス映画の歴史を軽く見てみる。
 まず1970年代は映画への政治による規制が強く、表現の幅がかなり狭い時代であった。この時代までにはエロスに当たる作品はあまりみられないようである。
 1980年代になり規制の緩和の一環で性的表現もやや自由になった結果、検閲に引っかかることなく手軽に描ける娯楽作品として登場した一つのジャンルが「韓国エロス」であったようだ。それらは裸だけ見せてストーリーもへったくれもないものや、韓国としてはセンセーショナルらしいけれど映画としてのレベルに難のある作品、そしてその中間というのが相場であった。
 エロス映画は概ねの悲劇傾向ものと、コメディ傾向のものとに別れる。韓国メロドラマには女性の受難ものが多い。1980年代に世界的に評価された作品の中でも『カッコーは夜中に鳴く』(1980),『シバジ』(1986),『アダダ』(1987)など少なくなく、これが「韓国人好み」のジャンルであったことは明らかである。悲劇のエロスが流行ったのにはそれとの関連もあるだろう。コメディは日本にはあまり紹介されないが、昔から韓国映画に少なくないジャンルである。エロティックな笑いの文化はどこの国にもあるもので、『古今笑叢』(1988,日本では『かまきり3』としてビデオ発売)という古典猥談文学が映画化されていくらか話題になったりもしている。
 1980年代の暮れにソウル・オリンピックによる韓国ブームと前後して起こった韓国映画紹介の流れが起きた。その一つとして『桑の葉』(1985)などレベルが高いとされるエロスものが日本に紹介されると、数年のうちに「コリアンエロス」というジャンルとして日本のレンタルビデオショップの一角に定着するまでに至った(日本で発売された韓国映画ビデオ約150本のうち、約1/3が「コリアン・エロス」に分類できる)。そのウリは大きく二つ分けられる。まずは昔話ものや田舎ものである。現代や都会を扱う映画に比べて、過去や田舎を扱う方が政治的規制から逃れやすく気軽だったのだろうか。田舎風景であっけらかんとしているものや村の伝統との葛藤を描いたかのようなものは、韓国美人とそのB級映画臭さがファンのツボを作り出したようである。もう一つは監督はまじめに撮ろうという意思のある、都会・現代スキャンダラスものである。これは日本に紹介されているビデオでみると1980年代後半に民主化につれて増えているようにもみえる。
 お遊びから、真面目を装ったようなもの、真面目に撮ったものまでいろいろであるが、『膝と膝の間で』(1984)のような現代・都会ものより、『桑の葉』に近い田舎・昔話ものの方が新規開店のビデオ屋でみかける頻度も高いように思え、「韓国美人とそのB級映画臭さ」がコリアンエロスブームのキーワードであるかのようである。

 しかし、このエロスというジャンルでも1980年代暮れからの民主化と外国映画の輸入緩和の影響を受けて変化が始まっていて、これがおもしろい。
 従来の路線からややあか抜けた程度のものもまだ残ってはいるが、成人用ビデオのシェアが拡大したのだろうか、美人の裸さえ見られればなんでもいいという作品は減少傾向にあるようにである。
 『悪い女 青い門』(1998)のように韓国の性産業を切り口に性の現在をみた作品、『最後の試み』(1998)のように性生活を正面から描いた作品など、テーマをはっきりともってエロスを描き、レベルも低くない作品が生まれてきている。1980年代には性を扱ったレベルの高い作品といえば、「儒教・伝統と女性」といったものが多かったが、この変化には韓国の社会の変化も多分に影響しているように思う。この流れには現代女性の性を描いた『ディナーの後に』(1998)などを入れてもいいかもしれない。

 さて、『悪い女 青い門』は娼婦宿の娼婦と娼婦宿を営む家族の一員である女子大生が、最初は反発していたもののだんだん心を通わせるという物語である。ただ、それだけの物語で、意外性はない。こういった作品はややピュアでプリミティヴかもしれない。しかし、予算集中型でない分、ドラマの描き方は丁寧でいい意味でこじんまりと完結している。目を見張るような映像はなくても、いろいろなところで、少しずつきれいであり、技アリの脚本ではなく、どこかありきたりのセリフの積み重ねでも、どこか泣けてくる。日本で公開されればその感性の近さゆえに日本のインディーズ映画やエロス映画にも刺激になると思うのだけれども。

 「コリアンエロス」というジャンルに入れて良いか微妙なものの中に、『サラは有罪 〜「楽しいサラ」より〜』という作品がある。この原作は発禁処分を受けたこともある。性の解放へ向けての挑戦といった受け止められ方もされる小説であり、女性にむしろ受ける作家だという。映画では登場人物の描写などが充分でなく、原作以上に日本人にとっては「やっぱりただのエロスか…」と言いたくなるような作品でもある。これが1993年の作品であるが、1995年の映画『actress アクトレス〜官能のリハーサル』は、エロスでありながらやはり女性にも評価される作品のようである。『actress アクトレス〜官能のリハーサル』のカン・ジョンス監督は1998年には『水の上の一夜』を作り上げているが、むしろ女性がターゲットである作品かもしれない。非常に美しく、エロスとして従来の路線から脱皮している。
 官能映画として完成された男の裸体の美しさが光る『水の上の一夜』,『モーテルカクタス』、不倫を描いて大ヒットした『情事』などといった作品は、映像が美しく俳優も光るという「コリアンエロス」なる枕詞がもはや似合わない作品であって、これらも日本にどう紹介されてゆくかは楽しみなところである。



<追記>

 『サラは有罪 〜「楽しいサラ」より〜』として日本ではビデオ発売された作品(原題:サラは有罪)は、日本には小説『楽しいサラ』の映画化として紹介されたものの、設定・ストーリーの相違も大きいだけでなく、製作サイドからも「映画化」としての正式なアナウンスもないらしく、内容面でも小説の影響を受け、小説の名声を借りて作られたのは明らかなようだが、原作という表現は正しいとは言えないとの声もあるようだ。ちなみに、他にも、同時期に同様に「モチーフとした」映像化作品があるのではという話がある。

2004/1/22 追記


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