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『誤発弾』が捉えた戦争
〜兪賢穆(ユ・ヒョンモク)監督特集より〜

押川信久
1999/4/16受領



 去る1999年2月3日(水)から7日(日)にわたり、福岡市総合図書館映像ホールにて、「兪賢穆(ユ・ヒョンモク)監督特集」として、『誤発弾』(1961年),『金薬局の娘たち』(1963年),『修学旅行』(1969年),『長雨』(1979年)が上映された。この4作品は彼の代表作といえるものである。このうち、『金薬局の娘たち』では、19世紀後半から1930年代に至る時代の波に翻弄された家族の姿が、悲劇的でありつつも客観的に描かれていた。『修学旅行』は、小さな島の小学校に赴任した教師が島の外の世界を知らない子供たちをソウルへ連れていく過程を通して、60年代の韓国が、都市と農村の経済格差等の問題を孕みつつも、経済発展の道を歩みはじめるさまを映し出した作品であった。ただ、今回の特集を通じて、特に印象に残ったのは『誤発弾』と『長雨』であった。これらは共に朝鮮戦争を主題のひとつにとりあげている。戦争は映画が捉える普遍的な主題のひとつに数えられよう。特に『誤発弾』は韓国映画の中で、朝鮮戦争を扱うひとつの方法を示した作品として、現在でもその価値を失っていない。

 『誤発弾』は、李範宣(イ・ボムソン)が著した同名小説を映画化したものである。ここでは、チョルホとその家族を中心として物語が進行する。チョルホには身重の妻と幼い娘、母、そして弟と妹がいた。母は精神に異常をきたし、寝たきりの状態でうわごとを時折叫んでいる。弟は戦争から戻った後、定職につけず、ぶらぶらと酒浸りの日々を送っている。妹の恋人は、弟の軍隊での部下でもあった。しかし負傷して松葉杖をつくことになり、生きる希望を失い、妹を寄せ付けなくなる。妹は絶望し、米兵相手の娼婦として夜の街に立つようになった。弟も再会した恋人との新生活を夢見た。しかしその夢も恋人が殺されることではかなく消えてしまう。ついに弟は拳銃を手にし、銀行強盗を働くのであった。妻もまた難産の末、この世を去ってしまった。絶望に打ちひしがれたチョルホには猛烈な歯痛が襲いかかる。歯医者で治療をうけたものの、口からの出血が止まらない。それでもチョルホはタクシーを拾い、妻の死んだ病院や弟の収容されている警察署の前へ向かったりもした。しかし結局は行くあてもないままタクシーを走らせ続けるのであった。

 この作品がつくられた1961年は、韓国にとって激動の時であった。この前年に「四月革命」と呼ばれる民主化運動が起こり、それまで強硬な反共政策をとっていた李承晩(イ・スンマン)政権は崩壊することになった。しかし、後を引き継いだ張勉(チャン・ミョン)政権は政治基盤が脆弱であった。このため翌年に朴正煕(パク・チョンヒ)がクーデターを起こし、軍事政権を樹立したのである。彼は翌年に映画法を制定するなど、映画による表現に対して強く介入を行なった。この作品が真っ先に上映禁止とされたのは周知のことであろう。ユ・ヒョンモク氏本人によれば、この時の上映禁止の理由として、「わが国の貧困をリアルに描いた」点と、母の発した「行こう行こう」というセリフが「北へ行こう」と言っていると疑われた点を挙げている。

 こうした時代背景の下で、この作品では朝鮮戦争が映画全体を貫く雰囲気を生み出す要素として機能している。あくまでもチョルホと彼の家族を描きつつも、彼らがそれぞれ人生を歩む上で、朝鮮戦争は大きな足枷となっている。母は戦火からの逃亡の末に精神を患ってしまった。弟や妹の恋人は、戦地に従軍し、負傷などによりソウルに戻ってきた。しかし負傷による肉体的・精神的後遺症のために、なかなか職に就くことができず、日々悶々と過ごさざるをえなくなった。彼らにとっては、戦争が自らの人生を狂わせてしまったのである。ただ弟は、結果として戦争によって狂わされた自らの人生を、銀行強盗という手段でしか清算することができなかった。妹もまた、彼らのこうした虚無的態度の犠牲となり、娼婦の道を歩まざるをえなくなった。チョルホの歯痛もまた、戦争によって人生を狂わされてしまった家族の苦痛を体現したものと考えることができる。彼は家族の苦悩を歯痛という形で背負ってしまい、これからの人生をさまようことになってしまった。朝鮮戦争は家族それぞれの人生にとって、まさに『誤発弾』だったのである。このように戦争を背景として設定することで、戦争のもたらす絶望や不安感、虚無感といったものがかえって際立つことになった。

 『長雨』もまた、ユ・ヒョンモク作品の中で、こうした『誤発弾』での手法を基本的に踏襲したものといえる。朝鮮戦争の最中、農村に暮らす少年トンマンの家に母方の外祖母の一家が避難してきた。外祖母の長男キルチュンは、学生時代に右翼活動に携わっていた。そのため村に人民軍が進駐すると、屋敷近くの竹薮に隠れざるをえなくなった。一方トンマンの叔父スンチョルは、駐屯する人民軍に感化され、パルチザンの一員に加わった。こうした状況は、戦争の経過とともに祖母と外祖母の対立を生むことになった。この対立は、ひとつの民族が敵味方に分かれて争う朝鮮戦争の悲劇を寓話的に示していることを容易に推測させてくれる。ただ、この作品においても、主眼は家族やその周囲にいる人々に置かれており、戦争はこれを際立たせる一要素にしかすぎない。しかし、これによって戦争のもたらす惨劇を、より観客の視点に近づけて映し出したようにも思える。ユ・ヒョンモク作品でのこうした戦争の捉え方は、これより後の作品にも少なからず影響を与えた。最近のものでは、朴光洙(パク・クァンス)監督の『あの島へ行きたい』(1993年)が代表的な例であろう。この作品でも、朝鮮戦争の頃のある島を舞台にして、そこで人民軍や国防軍が入れ替わり進駐する中で起きた悲劇を回想的に映し出した。また、ベトナム戦争を取り扱った『ホワイト・バッジ』(鄭智泳(チョン・ジヨン)監督、1992年)でも、戦争は主人公が襲われる後遺症や葛藤をもたらす第一の要素として登場している。韓国における戦争映画の一形式になったといっても言い過ぎでないだろう。

 『誤発弾』について、これまでは実存主義の影響やイタリアのネオ・リアリズムといった方向からの評価がなされてきた。ただ、戦争をどのように捉えたかという課題は、時代を越えて考えねばならない問題である。その意味でこの作品は、韓国映画における戦争の捉え方について、ひとつの模範を示したものとしても評価されねばならないであろう。

【付記】
 この文章を作成するにあたり、西村嘉夫(ソチョン)氏から資料の提供を頂くことができました。この場を借りて感謝の気持ちを述べさせていただきます。また、この文章に対する読者の皆様の忌憚なきご意見を伺えれば幸いです。


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