2001年6月、香港旅行中のある日のこと。夜の便で香港から台北に飛ぶ予定だった私は、時間つぶしのために湾仔にある映画館<影藝>に足を向けた。新聞をチェックしたら、シム・ウナ主演の『追訪有情人』という映画をやっていたからだ。<影藝>は香港には珍しいアート系映画専門館で、ここで上映される作品なら、まず見ておいて損はない。

 この頃の香港は、『秋の童話』のヒットが引き金になった韓国テレビドラマ人気のあと、映画でも韓国ブームが起きている時だった。<影藝>と並んでアート系作品の上映が多い油麻地の<百老匯(ブロードウェイ)>では、「南韓電影新勢力」と題する特集上映が6月末から行われる予定で、上映5作品のスチールがシールになったチラシが作られるなど、力の入った宣伝が繰り広げられていた。

 そんな韓流(韓国ブーム)の熱気漂う香港で見た『追訪有情人』は、私を圧倒した。「追訪」の「訪」はインタビューのこと。そう、この映画は日本では『Interview』(2000)の題で公開された、ピョン・ヒョク監督の作品だ。

 『Interview』で圧倒されたのは、まず緻密な構成や才気溢れる場面処理といった映画自体の持つ力だったが、その力を存分に味わえたのは、リード役の主演男優イ・ジョンジェのおかげだった。もっともその時の私は、彼の名前すら知らなかったのだが。

 この映画のイ・ジョンジェは、ドキュメンタリーを作ろうとしている若い監督。フランス留学経験があり、「20人の女と寝た」とさらっと言ったりする、見ようによっては傲慢な男だ。ピョン監督自身の姿が投影されているらしいこの青年を、イ・ジョンジェは知的ながら地味な外見で演じている。

 ところが途中で一ヶ所、背面ヌードを見せるシーンがある。パリの下宿で、女友達と寝た翌朝、冷蔵庫の脇に立つ若い韓国人の肉体。そのオブジェは、主人公が内包する清々しさと華やかさ、傲慢さともろさを一瞬のうちに見せてくれた。韓国の俳優は、肉体存在だけで全てを表現できるのか。ここから私は、イ・ジョンジェに乗せられていったのだった。

 帰国後見た『イルマーレ』(2000)の、孤独を背負った役柄にも魅せられた。フライパンを操りながら、瞬間的に見せる全開の笑顔。こんな甘い青春ドラマも担える俳優だったとは。

 続く端正なメロドラマ『情事』(1998)では、冒頭からノックアウトされた。あの卵形の、坊主刈り頭のせいである。空港でイ・ミスクと出会うシーンの、少しうつむき加減の坊主頭。その後も、首を前に傾ける感じで坊主頭がうつむくたびに、イ・ミスクとの距離が縮まっていく。何気ない仕草に意味を持たせることを、十分に心得ている心憎さ。エロティシズムと清潔感がバランスよく配されたこの作品は、イ・ジェヨン監督の処女作とは信じられないほど完成度が高いが、それは主演二人の演技力に負うところが大きい。

 そう感心していると、次にやってきたのが、同じイ・ジェヨン監督の『純愛譜』(2000)だった。ここでのあまりにも個性的な、オタク気味の下っ端公務員は、涙が出るほど愛おしい。イ・ジョンジェが演じているということをほとんど忘れ、窒息しそうな役所の事務室や、自堕落な空気がよどむ自宅での彼に見入った。永遠にこの冴えない男を見ていたかった。ちょうど彼がサイトで、「靴を履く朝子」を凝視していたように。私にとってこの作品のハッピーエンドは、むしろ邪魔なぐらいだった。

 翌2002年、韓日フィルムフェスティバルで上映された『黒水仙』(2001)は、狂言回しの役どころが少々物足りなかったが、きびきびとした刑事アクションは充分魅力的だった。

 そして『ラスト・プレゼント』(2001)では、ひょうきんな相棒と演じる劇中コントの数々に目を見張らされることになる。チマ・チョゴリ姿でいびられる嫁の、何と似合うことよ。さらに、幼児から大人までの恋を演じる、パントマイムの秀逸さ。本筋ではどちらかというと妻のイ・ヨンエに重点が置かれ、彼は受けの演技で彼女を立てているが、おまけのような劇中劇シーンがイ・ジョンジェの演技巧者ぶりを際立たせる。ここでの笑いが、ラストの涙へと素直に繋がっていく。

 新作の『オーバー・ザ・レインボー』(2002)は、大学生時代と社会人になってからのまるで二役のような演技が楽しめ、一粒で二度おいしい。おまけにお天気キャスターのイ・ジョンジェが、『雨に唄えば』してしまうミュージカルシーンまであって大サービスだ。とはいえ、この人はまだまだ底力を見せられるはずだ、という思いが常につきまとっている。

 実は『情事』の時、このイ・ジョンジェが悪(ワル)を演じて見せたら? とふと思わせるシーンがあった。あの坊主頭で酷薄なヒール役を演じれば、きっとヒリヒリするような凄みが出ることだろう。似た役が『アルバトロス』(1996)で見られるが、あのプロパガンダ国策映画では、彼の魅力も半減している。

 イ・ジョンジェの次なる魅力を引き出す監督は一体誰か。その役柄が困難であればあるほど、彼の演技は光を増していくはずである。


《イ・ジョンジェ フィルモグラフィー》
   『若い男』(1994) ○
   『アルバトロス』(1996) ●
   『火の鳥』(1997)
   『朴対朴』(1997)
   『情事』(1998) ◎
   『太陽はない』(1998)
   『イ・ジェスの乱』(1999) ○
   『Interview』(2000) ◎
   『イルマーレ』(2000) ◎
   『純愛譜−じゅんあいふ−』(2000) ◎
   『ラスト・プレゼント』(2001) ◎
   『黒水仙』(2001) ○
   『オーバー・ザ・レインボー』(2002) ○
      ◎ 劇場公開作品
      ○ 劇場未公開、映画祭&上映会上映作品
      ● 劇場未公開、ビデオのみリリース作品
      以上、2002年11月現在

★ 『情事』『Interview』『イルマーレ』『純愛譜−じゅんあいふ−』
   → 韓国映画特選2002で上映
★ 『若い男』『イ・ジェスの乱』
   → 『イ・ジェスの乱』『若い男』無料上映会で上映




<筆者プロフィール>
 アジア映画研究者。大学の専攻がインドの言語ヒンディー語なので、インド映画が本来専門なのだが、持ち前の好奇心とミーハー心からほぼアジア全域の映画と映画史を研究対象にしている。韓国映画は1980年代池袋のStudio 200 で上映されていた時からのファン。イ・ジョンジェ様とユ・オソンの存在が熱中度を加速中。国境を越える映画と映画人に興味があり、戦前上海に行っていた韓国映画人(金焔を除く)の実態を知りたいが、韓国語ができないため目下お手上げ状態。当面の課題は韓国語と韓国デビューか。現在は3時間41分あるインド映画"Lagaan(年貢)"の字幕を翻訳中。




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