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おばあちゃんの家


画像提供:樂舎(以下、同じ)


題名
英題
原題
ハングル
おばあちゃんの家
The Way Home
家へ...
집으로...
製作年 2002
時間 87
製作
提供
配給
TUBEピクチャーズ
TUBEエンターテイメント
CJエンターテインメント
監督 イ・ジョンヒャン
出演 ユ・スンホ
キム・ウルブン
トン・ヒョヒ
ミン・ギョンフン
イム・ウンギョン
日本版
Video
DVD
字幕版Video
吹替版Video
DVD
Blu-ray

 7歳の都会育ちのいたずら少年と77歳の田舎住まいのおばあさんのふれあいを描いた心温まる物語。口のきけない老婆とわがままな孫。二人の心の交流が大自然をバックに描かれる。

 7歳の息子サンウ(ユ・スンホ)を一人で育てていた母親(トン・ヒョヒ)は、生活苦のため、故郷の祖母(キム・ウルブン)のもとへ彼を一時預けることにする。山間の村にたった一人住んでいた老婆は、文字も読めず、口もきけない。一方、都会で育った孫にとっては田舎の生活は苦痛以外のなにものでもなかった。欲求不満を祖母にぶつけるサンウ。しかし、おばあちゃんはそんなわがままな孫をただの一度も叱ることはなかった。

 『美術館の隣の動物園』のイ・ジョンヒャン監督が四年ぶりに発表した第二作。今回のシナリオも、前作『美術館〜』に続いてイ・ジョンヒャン監督の自作だが、これは『美術館〜』の撮影前に書いたもの。そして、監督自身が母方の祖母(2000年に他界)から受けた無条件の愛を覚えており、それをシナリオ化したものだという。また、突然の同居という意味では『美術館〜』と共通項があり、『美術館〜』のチュニは監督自身の反映であり、『おばあちゃんの家』のおばあさんは監督自身の母方の祖母に対する思い出が反映されているという点でも前作と類似点がある。ちなみに監督の弁に拠れば、わがままな現代っ子サンウは「自分を含む我々全員の姿」を投影しており、全てを惜しみなく与えるおばあさんの姿は「自然」を反映しているとか。

 主人公の少年はテレビ・ドラマに出演したことのある子役俳優ユ・スンホだが、それ以外はすべて撮影地の忠清北道永同でキャスティングした素人の一般民間人。おばあさん役のキム・ウルブンは実際に山奥の村で農業をしていた77歳(撮影当時)の老婆で、二日間に渡る説得の末、出演を受諾。それ以外の出演者も撮影現場でオーディションをするなどして、現地でキャスティングした。

 製作費は14億ウォンあまり。製作投資はキム・スンボム。製作はファン・ウヒョンとファン・ジェウ。脚本は監督のイ・ジョンヒャン。撮影はユン・ホンシク。音楽はキム・デホンとキム・ヤンヒ。美術はシン・ジョミ。編集はキム・サンボムとキム・ジェボム。

 韓国映画史上初めて、試写会で13分のメイキングフィルムが、35mmフィルムで上映され話題となった。

 公開前に四週間をかけて、二万名を招待する全国民向けの試写会を敢行したが、「感動と笑いのあるあたたかい映画」と公開前から大好評で、試写会後の観客の推薦率はなんと95%を越えたとか。そして、2002年4月5日に公開されるやいなや、試写での口コミ効果が効いたのか、老若男女を集めての大ヒット。老婆と少年の触れ合いという地味なテーマでスターが全く出ていないにもかかわらず、評壇からは作品性を認められ、観客にも支持され、かつ興行的にも大成功をおさめるという稀有な作品となった。また、この映画は鑑賞年齢に制限がないため(韓国では日本より映画のレイティング審査が厳しく、多くの映画は高校生以上または大学生以上でないと鑑賞できない)、映画館では学生が列をなし、学校単位で団体鑑賞したり、ソウル市教育庁が学校に団体鑑賞を薦めたりしたことも、大ヒットを後押しした。

 2002年5月1日には全国観客200万人突破を記念して、ロケ地の忠清北道永同に出演者・撮影スタッフ等が集まり、大ヒットを祝うお祭りが開かれた。また、あまりのヒットに、ソウルから特別列車を編成して、ロケ地巡りをする鉄道ツアーも企画された。

 最終的には、ソウルで150万人を、全国で400万人をこえる観客動員数をマークした。

 主演のおばあさんキム・ウルブンの人気も炸裂。大規模な試写会が功を奏し、封切り前からインターネットでは彼女のファン・クラブまで結成された。また、舞台挨拶やインタビューなどにも引っ張りだこになり、一躍国民的人気者に。しかし、その一方で、慣れない舞台挨拶により体調を崩したり、あまりの人気にプライベートが侵されるようになったため、故郷であり映画のロケ地でもある忠清北道永同郡の自宅を離れ、ソウルに移り住まざるをえなくなるなどのハプニングも発生した。

 第6回(2002)富川国際ファンタスティック映画祭メイド・イン・コリア部門、第6回(2002)上海国際映画祭コンペ部門、第12回アジアフォーカス・福岡映画祭2002、第50回(2002)サン・セバスチャン国際映画祭新人監督賞コンペ部門(Zabaltegi部門)、第27回(2002)トロント国際映画祭ナショナル・シネマ・プログラム部門、2002年サンディエゴ・アジア映画祭、2002年米国AFI国際映画祭アジアン・ニュークラシック部門、第51回(2002)マンハイム−ハイデルベルク国際映画祭インターテショナル・ディスカバリー部門、第22回(2002)ハワイ国際映画祭Spotlight on Korea部門、第7回(2002)釜山国際映画祭韓国映画パノマラ部門、第17回(2003)フリブール(Fribourg)国際映画祭、第5回(2003)Udine Far East Film Festival、第1回(2003)ウラジオストック国際映画祭コンペ部門招待作品。

 第39回(2002)大鐘賞最優秀作品賞・脚本賞(イ・ジョンヒャン)・企画賞(ファン・ウヒョン,ファン・ジェウ)、第3回(2002)釜山映画評論家協会賞審査委員特別賞、第10回(2002)春史羅雲奎映画芸術祭審査委員特別賞、第22回(2002)映画評論家協会賞音楽賞(キム・デホン、キム・ヤンヒ)、第39回(2003)百想芸術大賞大賞、第50回(2002)サン・セバスチャン国際映画祭新人監督賞スペシャル・メンション(イ・ジョンヒャン)、第19回(2003)モスクワ国際児童青少年映画祭グランプリ、第5回(2003)Udine Far East Film Festival観客賞(第三位)、第1回(2003)ウラジオストック国際映画祭長編部門最優秀作品賞受賞作品。

 2002年映像物等級委員会選定「今年の良い映像物」。

初版:2002/4/16
最新版:2002/6/16



投稿者:カツヲうどんさん 投稿日:2002/4/29 21:33:32

 「羊の皮を被った狼」とは、まさにこのような映画の事をいうのだろう。

 最近のエセ・ハリウッド風の韓国映画群に対するアンチテーゼのようにも見えるが、その実体は巧妙に作劇された「ズル賢い」映画である。その狡猾さは、イランのアッバス・キアロスタミ監督並みの手腕だ。こういう良い意味で内向的かつ、巧みな映画が遂に韓国に出現、しかも大ヒットしていることに、私は一種の感無量と共に、この作品の重い問題提議に憂鬱な気分になった。それは、この作品の暗黒面に何人の観客が気付いているのか、ということである。

 冒頭、祖母の元に向かうサンウ少年と母親の道行きが描かれる。山の奥に行けば行くほど、そこはサンウ少年にとって、野蛮で不快な空間に変わってゆく。この出だしは、あまりにも見事に、現代韓国の、地方(=過去)と都会(=現在)の格差とズレを観る者に突きつける。都会で生まれ育ったサンウにとり、田舎は理解できない異国であり、暮らす人々は不潔で、自分とは別種の生き物なのだ。

 預けられたサンウは、自分の我儘が通らないことや、ひどく貧しい生活に苛立ち、腹を立て、祖母に暴力を振う。だが、その姿は、貧しい時代を知らない今の韓国の子供たちの本音を鮮明に描き出しているのではないか。

 彼の傍若無人ぶりは観る者にとっては不愉快そのものだが、こうしたサンウ少年の自分勝手な姿と、それに対して無力な祖母の姿は、脆さを抱えた現代韓国社会のメタファーの様に見える。そして、そこには、我々日本人が見逃してしまいがちな(もしくは意図的に避けてしまいがちな)韓国人の湿った本音が浮かびあがって来るように私は感じた。

 映画は、あくまでもリアリズム路線に沿いつつ、明るく軽快な演出で、飽きることなく終劇まで観客を引っ張ってゆく。一部の説明的なロング・ショット(カメラをひいたポジションの構図)を除き、一貫して少年と老婆の持つ、低く狭い構図で語られ、観客は知らぬ間に、登場人物の疑似視点へと引き込まれてゆく。

 主演のサンウを演じる、ユ・スンホは、信じられないほどの表現力を見せている。彼は子供の持つ「いやらしさ」を、完璧に近いくらい表現しており、それはまた、現代韓国の少年たちへの皮肉なカリカチュアのようだ。

 祖母役のキム・ウルブンは素人だが、「演技がどうの」という問題を超越して、韓国の現代史を生き抜いてきた人間の重みを、そのまま具現化している。

 彼女と同様に、登場する俳優は皆、素人ばかりのため、台詞は棒読み、視線は泳ぎ、動きもギクシャクと、演技としては最低だ。だが、そこにも私はイ・ジョンヒャン監督の企みを見る。

 それが最も象徴的なのは、サンウ少年が町の市場からバスで村に帰るシーンだろう。バスの中でサンウは、村の友人たちの輪に入れない。彼の耳には、友人二人の会話だけが虚しく飛び込んでくるだけだ。この時、友人たちの棒読み台詞は、サンウ少年の孤独と空虚感を浮き立たせ、観客を彼の五感へと同化させてゆく。

 物語の終焉、サンウは祖母に感謝の証しとして、宝物のポスト・カードにメッセージを残して去ってゆく。だが、その別れも極めてドライであり、観客に涙を強制しない。ここでもまた、イ・ジョンヒャン監督の巧妙な抵抗と作戦が垣間見える。

 最後に、この映画がなぜ韓国で広い層の人気を集めているか、簡単に私の意見を述べさせてただこう。

  • 50代以上 → 自分が生きた時代そのものへの哀愁
  • 40〜30代 → 子供時代の思い出
  • 20〜10代 → 未体験(壮絶な田舎暮らし)へのカルチャーショック
 このように、『おばあちゃんの家』は、韓国の広い層に対して必ず引っ掛かる良き刺を持っている。そして最大の武器は「入場に年齢制限一切なし」という事であり、このことは非常に興行成績に貢献しているといえるだろう。

 さて、他の日本の皆さんは、どう分析するだろうか?

【評価:★★★★】



投稿者:SUMさん 投稿日:2002/5/10 00:01:38

 ゲームボーイに夢中な7歳の少年と、しゃべれず、文字も読めない、いまどきの子供の世界を何も知らない田舎のおばあちゃん。少年のほうは、日本でもどこにでもいる子供。ただ、おばあちゃんのほうは、日本にはもういるかどうか分からない(特に文字が読めないという点)。

 そういう意味では、いまの韓国だからこその設定といえるのだけれど、日本にも充分通じる映画であり、かつ、富んで都会化した地域と昔ながらの地域が両方存在している国ならば、必ず何かが伝わる映画。プリミティブな世界(おばあちゃんの田舎)があってこその現代(現代っ子の少年)。なにも斬新なものがない。でもとても心温まる名作。

 それにしても、イ・ジョンヒャン。デビューから、世界の違う二人のすれ違いをコミカルに描きながらその交流を暖かく見つめるような題材だが、一つ一つのシーンの「間」はいずれも見事である。ハリウッドでは、黒人と白人、アメリカ人と外国人、犯罪者と警官、といったコンビを多数描いてきたが、彼女がそういうものを撮ったら、こりゃまた独特のセンスで、いいものが見られそうだ。

 私が見たのは、ちょうど5月5日の「子供の日」と5月8日の「親の日」の間だったからか、親子連れも多かった。そう、子供も見られて、大人も楽しめる映画だというところは、大ヒットの理由の一つだろう。

【評価:★★★★★】



投稿者:Dalnara さん 投稿日:2003/7/12 01:11:32

 映画の中で男の子がおばあちゃんにひどいことを言うのにはじめは耳を疑った。字幕で「バカ」となっていた韓国語は「病身」。中国語でも「バカ」を「神経病」と言ったりする。日本語の持っていないニュアンスがあるようだ。儒教の精神が今ものこっている、と言われている国の子どもが映画のなかとはいえ、目上の人を罵倒するなんて・・・ 信じられなかった。

 その子どもが田舎の生活で変わって行くのは清清しく観ていてとてもうれしかった。彼は田舎の生活で、子どもながらに懐の深さを身に付けたように思う。大人だったら、「まるくなった」と言われるような。相手の心情を推し測る想像力を得て相手を受け止め受け入れるだけの価値観の幅も広げた。相手に愛情を求めるだけでなく、相手を思いやり、気遣い、愛情をそそぐだけの懐の深さを身に付けた。

 子どもが子どもを殺している最近の事件がやりきれない。子どもはもはや "tabula rasa" ではなく、大人と同じように自分の希望や欲望をまずは優先しようとしている。それを抑制する判断力や想像力はまだ持ち合わせていないのだろう。『おばあちゃんの家』で最後に男の子が見せた細やかな愛情に触れて涙がとまらなかったことを思い出す。子どもが良く育つことは今や非常に難しいことなのかもしれない。

【注】"tabula rasa"
 「タブララサ」。哲学用語。「何も書かれていない書板」の意。感覚的経験をもつ前の心の状態。

 うちのおばあちゃん(ハルメ)との思い出はいろいろあるけれど、夏休みの女の子らしい思い出が小学生の時爪を染めてもらったこと。向こうでは鳳仙花で染めたりするそうだが、その時はおばあちゃんの家に咲いていたおしろい花をつかった。集めた花を爪にのせて糸で固定してもらったら明日のことを考えながら眠ってしまった。翌朝、花びらをはずすと爪がうっすら朱色がかっていた。うれしかったのをおぼえている。

 『おばあちゃんの家』のおばあちゃんをみて、うちのハルメに似てると思った。しわの刻まれ方は遺伝によるのか風土によるのかそれとも歴史によるのか。日本でおばあちゃんになったうちのハルメのしわと映画のおばあちゃんのしわが似ていてなつかしかった。しわの描線が遺伝子の記憶をよびさまし風土と歴史についてもまた囁きはじめている。

【評価:★★★★】


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