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青〜chong〜


画像提供:ぴあ


題名
英題
 
青〜chong〜
Blue-Chong
Ao-Chong
製作年 1999
時間 54
製作
提供
配給
日本映画学校
PFFパートナーズ
ぴあ
監督 李相日
出演 眞島秀和
山本隆司
有山尚宏
竹本志帆
日本版
Video
DVD
なし

 朝鮮高校に通う野球少年の爽やかでちょっとおかしな青春グラフティ。在日青年監督が日本映画学校の卒業製作作品として製作した16mmインディペンデント映画で、高校生版『月はどっちに出ている』(1993)とも言うべき秀作。2000年に、ぴあフィルムフェスティバルでグランプリほか四冠を達成し大きな話題となった。

 主人公の楊大成(ヤン・デソン,眞島秀和)は朝鮮高校に通う在日朝鮮人。彼は、外国人登録証を携帯して不良の日本人と喧嘩をするようなワルだが、姉は日本人と結婚しようとするし、幼なじみの女の子、尹成美(ユン・ナミ,竹本志帆)も民族楽器を弾くけれど恋人は日本人。そして、高野連に加盟が許可され、初めて野球の公式試合に出場したはいいけれど、結果は惨めなボロ負け。俺っていったい何なんだ?!

 題名の『青〜chong〜』は、「青春」の「青」という意味と、「青」を韓国語で「チョン」と発音し、かつ「チョン」は日本における朝鮮民族に対する蔑称であることから付けられた。なお、監督自身の当初のアイディアでは「chong」とする予定だったが、日本人スタッフから「それでは恐くて撮れない」との声があがり、「青」という漢字にローマ字で「chong」と表記することになったという逸話がある。

 『ファザーレス 父なき時代』(1998),『あんにょんキムチ』(1999)など、最近次々と秀作を生み出している日本映画学校の卒業製作作品。第22回(2000)ぴあフィルムフェスティバルPFFアワード2000コンペティション部門に出品され、グランプリ・企画賞・エンターテインメント賞・音楽賞と四冠を達成した。第29回ロッテルダム国際映画祭、第4回(1999)釜山国際映画祭「ワイドアングル」部門、第5回(1999)しんゆり映画祭、第10回(2000)にいがた国際映画祭、第4回(2000)シネマコリア上映会、第15回(2001)高崎映画祭上映出品。

 監督・脚本を担当した李相日(リ・サンイル)は、1974年、新潟生まれの在日三世。父親は新潟朝鮮学校で教師をしていた。4歳の頃、一家で横浜に移り住み、小中高は横浜の朝鮮学校に通って高3に進級するまでは野球部に所属。神奈川大学卒業間際にアルバイトでVシネマの製作に参加したのがきっかけとなり、卒業後、日本映画学校に入学。卒業作品として『青〜chong〜』を製作する。現在はフリーの助監督として活躍中。シネカノンの李鳳宇が企画している 2002 FIFA World Cup Korea/Japan のドキュメンタリー映画では、何台かあるカメラのうちの一台の撮影を担当している。

 ホームページ(日本語)はこちら

初版:2001/3/2



『青〜chong〜』感想集
第4回シネマコリア上映会のアンケートより

画像提供:ぴあ

※ 上映会では、李相日監督のティーチ・インを開催

  • 監督の話を聞いて印象がぐっと上がりました。スパイク・リーやマシュー・カソヴィッツが出始めの頃のような力を感じました。

    【評価:★★★★★】

  • 良い映画でした。もう1回じっくりと観たいです。質疑応答の時、つっこみすぎてごめんなさい。在日の若者の葛藤が静かに描かれていて良かったです。

    【評価:★★★★★】

  • 面白かったです。質疑応答の時に思ったんだけど、抱える問題って「在日だから」って事じゃないよねって思いました。

    【評価:★★★★★】

  • 監督が本当に作りたい映画なので伝わってきました。

    【評価:★★★★★】

  • (ティーチ・インで『キッズ・リターン』に関する発言があったが)『キッズ・リターン』というより『セックス・フレンド 濡れざかり』を思い出した。本当はすごく重いテーマなのだろうが、普遍性のあるテーマでもあるし、野球というモチーフが気持ちよく、また合っていた。

    【評価:★★★★】

  • 重く暗くなってしまってもおかしくないテーマを肩のこらない調子で映画にされている監督の手腕に感心しました。

    【評価:★★★★】

  • 私も在日朝鮮人なんですけど、また色んな角度で見れて、こういうのもあるんだなーと思いました。色々考えさせられました。

    【評価:★★★★】

  • なかなか面白かった。きっと今の朝高生達には受けが良いと思います。楽しいながらも考えさせられる内容でした。これからも在日朝鮮人として堂々と活躍して下さることを期待しております。応援してます!! 頑張って下さい。朝鮮学校で朝鮮語を使っている場面があると良いと思った。

    【評価:★★★★】

  • 自分自身、在日三世として日本で生まれ育ち、民族教育を受けてきました。この映画の中で語られている「自分は何者か?」という問題は自分の中で一生の問題(課題)だと思い、また、もやもやしていたものが少し和らいだ気がしました。

    【評価:★★★★】

  • ケンカのシーンでボカスカや血が飛び散るシーンがなかったのは監督の趣味? 高校時代のすっぱい、というか激すっぱい思い出がボワ〜ンと思い出されます。

    【評価:★★★★】

  • 監督のやりたいことが映画の中でされているように感じられて楽しかったです。

    【評価:★★★★】

  • 実際の朝鮮学校がどんなところで、どんな悩みを持っているかということの一端を見ることができて良かった。

    【評価:★★★★】

  • 在日の方の心の葛藤が良く伝わった。『シュリ』も観たんですけど、日本人は昔から一緒に住んでいる韓国の人についてもっと勉強すべきだと思う。

    【評価:★★★★】

  • テンポが良く運びが的確で見易かった。少年、夏、野球だけでも王道なのだが、そこに避けられないテーマをきちんと組み込んであって、しかも見易いというのはすごいと思う。これからの作品も期待してます。

    【評価:★★★★】

  • 李監督は素晴らしい感性の持ち主です。在日朝鮮人の問題点もクリアに示してくれました。

    【評価:★★★★】

  • 皆さんがどうしてこんなに笑うのか不思議だった。自分としては結構痛い映画だったので。

    【評価:★★★】

  • 感想なし

    【評価:★★★】

  • 感想なし

    【評価:★★★】



迷いつづける「在日の子羊」たち
−「在日」を生きる意味と新時代への転換−

尹春江さん
2000/4/16受領

尹春江(ゆん・ちゅんがん)
 シナリオ翻訳家。1962年新潟県生まれ、在日3世。和光大学人文学部卒。大学在学中に韓国へ留学。駐日韓国企業のOLを経て、フリーランスに。『接続』『太白山脈』『祝祭』(いずれもNHKで放送)など韓国映画の翻訳多数。

 去年の東京国際映画祭、シネカノンの試写室でうわさの『青〜chong〜』をはじめて見た。帰り道、渋谷の雑踏を歩きながら私の頭の中は混乱していた。

 私がかつて通った(といってももう20年も前の話だが)朝鮮高校とは全く違った朝高(朝鮮高校の略)が「存在」しており、変わったんだなと素直に受け入れられない歳を重ねた私がそこにいた。

 ちょうどその頃、小学校入学を控えたムスメの学校のことでいろいろと考えていた。学区内の指定校に通わせるということに何ら抵抗はなかった。ただ僅かではあるが親戚や友人の中には朝鮮学校を選択した者もいた。朝鮮学校に通わせる意義とは? あんなに変わってしまった民族学校に果たして何を求め、期待できるのだろうか? 何度も自問自答していた。

 私が朝鮮学校に通っていた頃−1970年代後半は北朝鮮を取り巻く状況は今ほど複雑かつ厳しくはなく、金日成も健在、餓死する人がいるなんて誰も信じなかった時代である。仮に学校から一歩出たとしてもそれほど世間の眼は冷たくなく、堂々とチョゴリを着て街を闊歩した。

 8.15祖国解放記念日をはじめ年に4、5回行なわれる記念大会や学校行事(入学式、運動会、卒業式)には多くの同胞が集まり、それはそれはお祭りのような様相を呈していた。そして、当時はまだ在日1世=朝鮮半島から渡ってきた人(私の祖父・祖母の世代)たちが健在だった。難しい話ばかりの記念大会が終わり、同級生の家族たちと昼食を共に済ませ、私たちのおなかもいっぱいになった頃、お酒を酌み交わした大人たちの場も盛りあがってくる。すると決まってどこからかチャング(鼓の一種)の音がして、一人、また一人踊りはじめるのだった。彼等は皆なぜか色が浅黒く、痩せていて、おかしな日本語と聞きなれない朝鮮語(出身地の方言)を使っていた。いつのまにか輪になって楽しそうに踊り歌う彼等を見ているだけでなんだかしあわせな気分だった。誰のおじいちゃんかもわからないお年寄りに頭をなでられた日には、もううれしくて飛び上がりそうだったのを憶えている。祖国を追われた1世にとってそれは正に「特別な日」であり、「特別な場」であったに違いない。そしてその思いは幼い私たちにも十分伝わっていた。それはことばではなく心と体と民族の熱い血・・・ その遠い日の数々の記憶、民族教育を受けたものだけに与えられた最高の時間だったと今でも感謝している。今日の私が形成されるにおいて大きな影響を与えていることはいうまでもない。

 20年を経た現在の朝鮮学校はどうか。1世のほとんどがこの世を去り、父母は日本で生まれ育った2、3世たちだ。教鞭をとる先生たち然り。古きよき時代の在日のコミュニティーは消滅しつつある。この映画は容赦なく私に「現実」を見せてくれた。受け入れ難い「現実」を・・・

 夏を迎えて主人公テソンの周囲はにわか動き出す。親友のヒョンギが通名(=日本名)を名乗りバイトをはじめ、幼馴染みのソンミは古典楽器を弾くかたわら日本人とつきあっている。クラスメートの中には夏休みを利用して旅した韓国で遭遇した数々の「現実」をぶちまけ、家に帰れば実の姉が「恋人よ。この人と結婚したいの。」といって日本人男性を連れてくる。野球部はやっと高野連のハカライ(?)で公式試合に出られるようになったものの日本の高校相手にボロ負けの有様。やってらんねぇーよね、テソン君。


画像提供:ぴあ

 ここで映画の中の朝高と、20年前に私が通った朝高の違いを少々補足説明。

  1. 通名−同級生に知られたら反対にバカにされてしまうほど、恥ずべき行為。
  2. 古典楽器−ブラスバンドとは別に民族(古典)楽器部というのがある。先ずその精神が問われる。民族としての誇りをもち、品行方正、成績優秀、常に清く正しい人のみが民族楽器を弾く資格があるんだという暗黙の了解、雰囲気あり。部員たちもプライド高かったもんなぁ。日本人とつきあうなんて、その時点でアウト。というより、日本人とつきあってる同級生なんていなかった。
  3. 「現実」−「在日」は韓国ではパンチョッパリ(半日本人)と扱われる。北朝鮮でも帰国した在日同胞は資本主義に汚染された存在とされているそうな。日本で「在日」として生きている者にとって、それはかなりショックな「扱い」でありまた、「現実」である。曰くそれを乗り越えてこそ本当の「在日」になるのだ。
  4. 日本人との結婚−今は同胞どうしの結婚が激減し、このままでは在日の存在すら危ぶまれるほど状況は深刻だ。20年前、日本人との結婚は珍しく、最後まで押し通すにはかなりの勇気が必要だった。「勘当覚悟すべし」
  5. 公式試合−どんなに強くたって、絶対に出られなかった。夢のまた夢。20年くらい前の朝高は、サッカーだけは強かった(因みにサッカーは北朝鮮の国技でもある)。「日本人に負けてたまるかっ!」 この精神で武装(?)してましたから。あの頃公式試合に出場していたら・・・ 今は朝鮮高校の生徒数がかなり減り、その上、昔ほどのガッツもない。全くの力、人不足。
 最も私を混乱させたのは、映画に出てくる朝高生(もしくは朝高)が日本の高校生と何ら変わらないような気がしてならなかったことだ。私の中にある朝高生のイメージは凛々しく、たとえその顔がモロチョン(=もろ朝鮮人顔)であるにせよ礼儀正しく(特に同胞のお年よりに)、通名なんか口にせず、自分が朝高生だということに誇りをもっている。

 「やってらんねぇー現実」に直面している彼等に昔の朝高生像を追いつづける私が古いのか。迷いつづけている何千もの「テソン」が「存在」していることだけは確かだ。マジにシンドイだろうなぁ。

 1世が健在だったあの頃の在日コミュニティーはもう二度と戻らない。「在日」は新しい歴史を生む過渡期にあるのだ。犠牲や落伍もあるだろう。二、三十年の紆余曲折を経て明るい時代を実現するためにも在日を構成するひとりひとりが答えを求めて歩き出さなくてはいけない。主人公テソンのように・・・

 今思えば、本当にいい時代に朝鮮高校に通っていたんだと思う。私を含めヘンなやつも多かったけれど、今でも頼りになるのはこのときの同級生たち。「在日」として生まれて、一度も後悔したことのない私ってやはり特異な存在なのかもしれない。ムスメも4月から小学校に入学した。もちろん本名で。


画像提供:ぴあ


● 朝鮮高校Q&A; 〜素朴な質問に答えます〜

Q:いわゆる「朝鮮籍」を持つ者だけが入学を許可されるのですか?

A:いいえ。在日同胞は多様化・複合化が進み、既存の「古典的な民族の定義」に当てはまらない人(特に在日3世)が増えてきていますので、国籍は重要視されません。現に私は「韓国籍」のままでしたし、他に母親が日本人で「日本籍」だった友人もいます。100人中5人くらい。今はその比率がかなり高いそうです。面白い例は母親が民族学校出身、父親が日本人。世の中変わりましたよ。


Q:授業は朝鮮語ですすめられるのですか?

A:はい。国語=朝鮮語。基本的に初級部に入った時点で徹底的に読み書きを教えられますのでほとんどの学生はことばを理解しています。学内では「100%ウリマル運動」というのが常にスローガンとして掲げられています。しかし実際は私語のほとんどが日本語です。それを注意する級友もたまにはいますけれど。こんなエピソードがあります。チョゴリを着て通学している子達がどんな会話をしているんだろうかと、どきどきしながらそっと近づいて聞いてみると浜崎あゆみや鈴木あみの話ばかりでがっかりしたという日本人がいました。まぁ、この人はちょっと期待しすぎですよね。学校でいくら社会主義の勉強をしても外は資本主義。今考えると矛盾してましたね。その頃は、矛盾だなんて思わない。若かったし。ほかに日本語と英語の授業があります。思うにここで習うことばは「在日北鮮語」とでもネーミングしておきましょう。


Q:女子学生が着ている制服について教えてください。

A:女子学生が着ているのがチョゴリ(朝鮮高校では制服を意味する。本来の意味は韓服の上着のことをいい、スカートはチマ)です。映画の中ではちょっと着かたがぎこちなかったですね。着なれてないせいだろうと思いますが(出演者は日本人ですものね)。たかがチョゴリ、されどチョゴリ。結構みんな気を使っているんですよ。チマのプリーツがきれいに出るように毎日寝押し(今でいうプレス)したり。あと流行り(スカートの長さ、プリーツの幅、生地など)もあるんですよ。関西と関東では同じ朝高でも着かたが全然違います。オーソドックスなのはやはり東京朝高でしょうか。


Q:朝高の数と生徒数はどのくらいですか?

A:北の方から順にいいますと、北海道、東北、茨城、東京、神奈川、愛知、大阪、神戸、広島、山口、九州の計11校で学生の数は4千人程度(朝鮮総連・教育部では明確な数字を公表しておらず)と推測されます。これは20年前に比べると半分以下の数字です。


画像提供:ぴあ


● 付録

「在日の自画像」

1世: 血統的に純潔。朝鮮農村の文化と風習。即自的な朝鮮人意識。「朝鮮人部落」に集住、大家族。定職ないが「底辺的」職業、貧困。無識字者も。反日感情。100%朝鮮語。彼らにとって日本は仮住まいの地。
2世: 混血、分散居住、核家族化開始。高学歴化が進むが就職差別のひどいなか高度成長による底上げ。風習や伝統を1世から学びその体験と差別によって対自的に同胞意識。しかし子供の育て方は浮動。
3世: 国籍と血統の多様化進む。大都市居住、都市文化。かつてない職業に進出。反日感情ほとんどなし。母語の90%が日本語。同胞同士の交流大きく減少。日本は永住の地。民族の一員だが本国人や1世と異なる存在。ルーツ(出自)と本名以外には在日同胞感が希薄。

 1世から3世までの間に、在日同胞は「劇的に変容した」。


「朝鮮学校の意義」

  • 自己卑下なしの成長と同胞意識、自己アイデンティティーへの基礎学習。
  • ウリマル(朝鮮語)と民族素養、解放後の在日同胞社会に人材の多くを輩出。
  • 地域同胞交流の貴重な拠点。

(『青〜chong〜』を上映した第4回シネマコリア上映会のパンフレットより許諾の上、転載)


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