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『ザ・コンタクト(原題:接続)』
チャン・ユニョン監督インタビュー


アジアフォーカス・福岡映画祭 '98 にて

目次

  1. 合同記者会見
  2. 『ザ・コンタクト(原題:接続)』質疑応答
  3. チャン・ユニョン監督インタビュー
  4. インタビューを終えて
  5. 謝辞

合同記者会見(チャン・ユニョン、ホ・ジノ両監督の発言のみ)

1998年9月12日(土)11:00より ソラリア西鉄ホテル8F 月の間


チャン・ユニョン監督挨拶
 私は福岡に来たのは初めてで、日本に来たのも初めてです。今回、初めて日本という地に足を踏みいれることになったのですが、これが単なる旅行ではなく映画祭という目的で来られたことを非常に嬉しく思っています。そしてこういったすばらしい場に招待して下さった佐藤先生(映画祭ディレクター)に心より感謝いたします。私が今回参加させていただいた作品(『ザ・コンタクト(原題:接続)』)はコンピュータ通信を扱ったものなのですが、日本でもやはりコンピュータ通信に関心があるようで、皆さん非常に暖かくこの作品を受け入れて下さり嬉しく思っています。そしてこの映画祭がアジア全体の出会いの場になることを願っておりますし、私自身そういったアジアがひとつになる出会いの場であるこの映画祭に参加させていただきましたことを嬉しく思っています。そして関係者の皆様にもお礼を申し上げたいと思います。

ホ・ジノ監督挨拶
 皆様こんにちは。皆様にお会いできて非常に嬉しく思います。映画祭に行く度に感じることなのですが、文化や生活習慣の違う国の人達と映画を通して交流できるというのは映画に携わっている監督として非常に心が弾む嬉しいことです。今回福岡に来たのは初めてで、アジアの国に来たのも初めてです。昨日は福岡で炉端焼きの店に行ってお酒を飲んだのですが、そのお店の従業員の方に韓国語で話しかけてしまうほど親しみを感じてしまいました。
 私の作品(『8月のクリスマス』)が日本の皆様にどう映るのか、どう見て下さるのか、今非常に気になっているところです。そして私を招待して下さった佐藤先生に心より感謝申し上げます。

質問1
 ホ・ジノ監督は、パク・クァンス監督の『美しき青年 全泰壱』の脚本と製作に携わってらっしゃいます。そして、この作品の脚本を共同執筆したイ・チャンドン監督も、その後『グリーンフィッシュ』という映画を作られています。ところで、『8月のクリスマス』も『グリーンフィッシュ』も主演にハン・ソッキュさんを使ってらっしゃる。そして偶然にもチャン・ユニョン監督も『ザ・コンタクト』でハン・ソッキュを使っている。新しい監督さんたちが皆ハン・ソッキュを主役に使いたがるというのは、彼のどういうところに魅力を感じてのことなのでしょうか?

ホ・ジノ
 ハン・ソッキュさんをキャスティングした一番の理由は、彼の自然な演技が気に入ったからです。韓国でハン・ソッキュさんは非常に人気のある俳優ですので、彼をキャスティングすることによって製作条件が非常によくなるというのも理由のひとつです。

チャン・ユニョン
 私の考えもだいたいホ・ジノ監督と同じです。ハン・ソッキュさんは何よりも演技が非常に上手ですので、演出者としては是非使ってみたい俳優です。ハン・ソッキュさん自身、非常に勉強家で演技のことも一生懸命勉強していますし、演出者が要求する以上のアイディアを彼のほうから出してくれます。演技の感覚が非常に鋭くて起用するには良い俳優さんです。また、良い俳優さんだからこそ良い作品にもめぐり合えますし、良い監督にも出会えるのだと思います。

質問2
 アジアの金融危機について一言。

チャン・ユニョン
 韓国では今まで大企業が映画に資金援助してくれていましたが、1997年末からの金融危機により企業からの援助が一時中断されました。ですから、金融危機から最初の6ヶ月くらいは映画製作は非常に困難な状況におかれていました。しかし、今は幸いに安定してきているところです。金融会社を中心として映画に投資をする会社が増えてきましたので、製作状況は非常によくなってきていると思います。今までそういう会社は製造業などハードウェアに投資をしていたのですが、(映画のような)ソフトウェアに投資をしようという会社が増えてきましたので、韓国映画の状況は明るい方向に向っています。

ホ・ジノ
 大体のことはチャン・ユニョン監督がお話した通りです。韓国では大企業や金融会社が映画に投資するということがあったのですが、それでも最近はなるべく製作費を削減して欲しいという要求がありますので、映画に携わっている人達はなんとか製作費を削減しようと模索しているところです。しかし、幸いなことに韓国映画の観客は経済危機の間に増えました。ウォン安のため外国映画の値段が上がり、外国映画を輸入・配給するのが難しくなったということもあって、韓国映画を見る観客は非常に増えています。

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『ザ・コンタクト(原題:接続)』質疑応答

1998年9月13日(日)16:00より エルガーラホール


質問1(佐藤忠男氏)
 この映画を理解する上で何か一言ありますか。

チャン・ユニョン
 この映画は韓国の現代を生きる人達だけでなく、日本の観客の皆さんにも言えことだと思うのですが、90年代の通信について描いています。特に90年代の後半を向えて新たな媒体として通信という手段が今さかんに扱われていますが、コンピュータ通信がより有益ですばらしいコミュニケーションの手段になってくれればと願っています。そして、閉ざされた心を開く一つのきっかけになって欲しいという考えからこの映画を作りました。

質問2(佐藤忠男氏)
 最近、韓国映画は様変わりしたようで、若い世代の台頭がめざましいと思うのですが、何か理由があるのでしょうか。

チャン・ユニョン
 過去の韓国映画はどちらかといいますと、監督一人が中心になって作られていた傾向があったと思います。でも今は、商業的側面からのアプローチや観客となるべく近い視線で作ろうという考えで、企画をする人そして監督が一緒になってアイディアを出して映画を作るという傾向が見られます。ですから、粗削りではありますけれど観客と同じ時代の感覚をもって分かち合えるような映画を作る若い監督達が出てきたのだと思います。そして、そういったプロデューサーや監督の努力の成果によりまして、おかげさまでこの『ザ・コンタクト』のあとは韓国映画の観客動員数も増えましたし、韓国映画界が非常にいい状況になっています。

質問3(男性)
 大変素晴らしい映画をありがとうございました。心の中に余韻が残ってまして、韓国のために作られた映画だと思うのですが、日本人の心にも十分残る作品だと思います。2002年にサッカーのワールド・カップが行われますが、それまでに日本と韓国で共同で映画を撮るということは考えられますか? 是非、一緒に映画を作っていただきたいと思うのですが。

チャン・ユニョン
 まず、私の映画をそのように快く受け入れて下さってありがとうございます。これは私の個人的な考えですけれど、私も日本と韓国が早く合作という形で映画を撮ることができるよう願っています。そして2002年までにはそのような機会があるのではないかと期待しています。今、韓国と日本の間では過去の歴史的な事柄によりまして、まだ公式的な文化交流というのは大きな壁に阻まれているところなのですが、そういった現状を今の韓国の若い人達も非常に否定的に捉えていますので、これからは日本と韓国が一緒に映画を作ってお互いの国で上映されるという事が実現するのではないかと思っています。


質問4(男性)
 新しい形の人と人とのコニュミケーションをテーマにされていたと思います。監督は、こういう形でのコミュニケーションの可能性を肯定的に捉えてらっしゃるように感じたのですが、そういうことを普段から考えていらっしゃるのでしょうか。また、私達がインターネットに繋ぐと、いつかネット上で監督と出会うことが可能なのでしょうか。

チャン・ユニョン
 私は人と人、そして個人と個人がお互い意志の疎通を図ったり対話をするといった行為は昔からされてきたと考えています。そして個人対集団、国家対個人というような構図ではなくて、個人と個人がコミュニケーションを図るために様々な媒体が発達してきたのだと思います。そういった様々な媒体の中でコンピュータ通信というものは個人の存在を認めあった上で個人と個人が出会えるような場です。ですから、もっとも人と人とがコニュミケーションを取る時に大事であり、重要な媒体だと思います。人と人が出会うために、今までコンピュータ通信というものが発達してきたのだと思います。そして、近い将来私だけでなく皆さんが会いたいと思っている人とコンピュータを通して会えるようになるのではないかと思います。そして、私はこの映画を撮るにあたりましてコンピュータが人と人とのコミュニケーションを可能にしたということを主張するためにこの映画を撮ったのではなく、人と人が出会うためにコンピュータがなんらかの手助けをしてくれるのだという事を表わしたくてこの映画を作りました。ですから、人間がコンピュータになるのではなくて、あくまでもコンピュータという一つの手段を通して人と人とが出会えるという事を訴えたくてこの映画を作りました。

質問5(男性)
 大変素晴らしい映画をありがとうございました。カムサハムニダ。途中で交通事故を起こした場面があったのですが、それが本編とどういう関係があったのか理解できませんでした。それと、先程のお話の中で色々な方と共同でアイディアを出しあったということだったのですが、今回の映画の中で登場人物がそれぞれ極めて真面目で、霊前結婚など、私達の考えからすると愛に対して極めて真面目に考えていると感じました。一面では古風なものが新しい最先端のテクノロジーとあいまって見えていると感じたのですが、韓国の人が考える恋愛の形はああいうかなりストイックな面を含んだものなのでしょうか。

チャン・ユニョン
 まず、交通事故の場面についてお答えします。これは簡単に設定を申しますと、最初のほうの場面で、かつてドンヒョンの恋人であったヨンヘという女性がレコードを送ってきます。そしてヨンヘという女性はドンヒョンではなく別の一人の男性を選ぶのですが、選ばれたサンウという先輩にあたる男性はもう死んでしまっていますので、実際には存在していない男性です。ヨンヘさんにとっては理想の人でもあるのですが、そのサンウ先輩は途中で現実との狭間に悩んで自殺してしまいます。そして、あの事故の場面は実際には写っていませんけれども、私の中ではその事故で死んだのはヨンヘというドンヒョンの過去の恋人だった人と設定してあの場面を撮りました。と言いますのは、あの場面で新たな女性スヒョンさんとの関わりを描きたいと思いまして、事故で死んだのはヨンヘさんと設定してみたのですが、それは私の設定であって観客の方には別の事故と捉えていただいても構いませんし、解釈の仕方は自由にしていただいて良いと思います。
 二つ目の質問なのですが、私は愛というのは誰かと意志の疎通を図りたいという概念ではないかと考えています。人であれば誰でも永遠の愛を持ちたい、つまり永遠の愛に対する期待感を持っていると思います。そういった気持ちは説明しなくても皆さん十分にご理解してらっしゃると思います。人というのは自分と完璧に意志の疎通を図れる人を探しているのではないでしょうか。ですから、愛する人を大切にするというのは当然のことですし、ごく自然な事だと思います。そして、愛というのは人との意志の疎通が図れた時に本来の姿を現すのではないかと思います。そして愛という個人的な感情で表わされるものが結果的には出会いであったり、意志の疎通ではないかと思っています。
 そして、もう一つ付け加えますと、この映画には様々な恋愛の法則のようなものが出てきます。そして様々な世代の人達の意志の疎通の方法というものも出てきます。例えば、音楽であったり、手紙であったり、電話であったり、ポケベルであったり、そしてコンピュータ通信であったり、様々な世代の様々な恋愛の方法が出てきます。多くのテクノロジーの媒体というものは、そういった風に様々な形で発展してきたのですが、私は愛の形というものは決して変わるものではないと思います。媒体が変わっても人を信じる純粋な心、真面目に誠実に人を愛するという姿は変わらないと思っています。

質問6(佐藤忠男氏)
 この作品で主演しているハン・ソッキュは、この映画祭で上映される『8月のクリスマス』にも主演しているのですが、韓国で今ものすごい人気のある方だそうですね。ところで、『ザ・コンタクト』の役も『8月のクリスマス』の役も純粋な人物を演じているのですが、彼はもっぱらこういう純粋なタイプの役をやっているのですか。

チャン・ユニョン
 ハン・ソッキュさんは他の映画にも沢山出演しているのですが、飛びぬけてハンサムという訳ではないですし、それまでは誰からも好かれるスターではなかったのですが、演技をしていくうちに、だんだん観客の人達にとって非常に近い関係、親しみやすい印象を与えてくれる俳優さんになってきました。まるで隣の友達のような感じで画面を通して出会えますし、どこででも会えそうな感じの外見を持っているところが受け入れられたのではないでしょうか。そして、個人的にも映画を撮影するにあたって、感情を込めたり雰囲気を出したりすることに努力を惜しまない方です。友達とか近くに居る人達の心の内を表すような演技が得意な方です。そして、この『ザ・コンタクト』の後に『8月のクリスマス』をすぐに撮りましたので、この2つの作品については雰囲気がとても似ていると思います。


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チャン・ユニョン監督インタビュー

1998年9月13日(日)19:00〜20:00 ソラリア西鉄ホテル14F インタビュー・ルーム

(注) 原題は『接続』ですが、第8回アジアフォーカス・福岡映画祭 '98では『ザ・コンタクト』という題名で上映されたので、以下のインタビューでは『ザ・コンタクト』で統一してあります。

質問1
 『ザ・コンタクト』は、1997年の韓国映画で最もヒットした作品になった訳ですが、封切り前からヒットの予感や自信はありましたか? また、ヒットした理由は何だったとお考えでしょうか?

チャン・ユニョン
 自信はありませんでした。最初からヒットするだろうという予感もなかったのですが、試写会を開いてみたら反応がよかったので、これは興行的にもいけるのではないかと思いました。この映画の準備を始めたのは1995年の夏だったのですが、1995年というのは韓国映画でお客さんが入る映画はコメディタッチのものばかりで、その頃はメロドラマ系の作品はあまり作られていませんでした。プロデューサーの方(イ・ウン,シム・ボギョン両氏)と一緒に準備を始めたのですが、まず私のほうからメロドラマのアイディアを持っていったところ、プロデューサーも観客の情緒的な部分で共感が得られるだろうと判断し、準備にとりかかりました。その頃、韓国では香港映画の『恋する惑星』(1994年,重慶森林)や『ラヴソング』(1996年,甜蜜蜜)が人気がありましたので、メロドラマを作っても観客からソッポをむかれないだろうと判断して準備を始めたのです。予定より撮影は遅れてしまったのですが、幸い成功することができました。
 ヒットした理由ですが、当時、観客はメロドラマを見たがっていたと思います。それまではコメディ一辺倒でしたので。コメディは社会的にも映画的にも自分という立場から一定の距離を置いて笑わないといけない、そういう内容のものですから、コメディを見ていると距離感を感じますし、自分のことを失いつつあったのではないかと思います。そして、自分を失いつつある状況の中で観客は個人的な感情を求めていたのでしょう。メロドラマが扱う「愛」という感情は私的で個人的な感情ですので、観客も同調してくれたのだと思います。そして、もう一つはパソコン通信という一般的な手段を通しての映画でしたので、そこに皆さん、情緒的にも共感できたのだと思います。

質問2
 『恋する惑星』には、トニー・レオンが昔の彼女の思い出の品をダンボールにつめて戸棚にあげるシーンがあります。今日拝見していて、ドンヒョンが同じように昔の彼女の思い出の品をダンボールに詰めて戸棚にあげるシーンがあって、ちょっと似ているなと思ったのですが、これは意識してなさったのでしょうか? 例えばパロディやオマージュのつもりとか?

チャン・ユニョン
 特に『恋する惑星』をイメージして作ったのではないのですが、話を聞いてみると確かに同じような場面があったと思います。でも、アングルは違っていたと思います。
 今の話を聞いていて思い出したのですが、私はヴィム・ヴェンダース監督の『パリ、テキサス』(1984)が大好きで、これはナスターシャ・キンスキーさんが出ている作品なのですが、この映画にはガラスを間において夫が妻に電話をするシーンがあります。で、それを念頭において今回の映画を撮った訳ではないのですが、自分が好きな作品なので知らないうちに似たシーンを撮っていたようです。どういう場面かというと女性主人公のチョン・ドヨンさんが最後に電話をかけるシーンです。撮っている時は全く気がつかなかったのですが、見終わってみたら「あぁ、自分の好きな映画と似ているな」と後になって感じました。

質問3
 韓国の観客が恋愛映画=メロドラマを求めていたというお話でしたが、『ザ・コンタクト』の前に『ゴースト・ママ』(1996)というメロ映画がヒットしました。そして『ザ・コンタクト』の後にも、『手紙』(1997),『八月のクリスマス』(1998)がヒットしました。1997年前後はメロドラマが良質で、なおかつどれもヒットしたのですが、何か関係があるのでしょうか。

チャン・ユニョン
 メロドラマというジャンルは個人的な感情が中心になるものだと思います。韓国では『ザ・コンタクト』以前はコメディが流行っていた訳ですが、1992年から1995年頃までは、ある程度韓国社会が安定して人々が楽な気持ちでいられた時期です。ですから、観客は社会と自分との間に距離を置いて映画を見ようと考えていたのだろうと思います。コメディというものは、気楽に見ていながら、社会の現状やそこにいる個人からちょっと距離を置いて見るような部分がありますよね。そして、社会や個人から離れて見ていながら、観客は「このままこんなに距離があっていいのか?」と不安な気持ちになってきたと思うのです。そういった気持ちを持ち始めた時に、失ってしまった自分を回復しようとするイメージを人々は持ったのではないかと思います。そして、観客は個人的な感情が中心のメロドラマに移っていったのではないでしょうか。そういう時期にあったのだと思います。
 付け加えますと、流行の入れ替わりには感情の変化があると思います。メロドラマのような個人的な話に入り込んでしまうと「個人的な感情にだけとらわれていていいのか?」と考え、「社会的な不安はないのか?」と考えるようになると思うんですね。そういった考えに変わっていったことによって、この夏『女校怪談』(1998)や『ソウル・ガーディアンズ 退魔録』(1998)といった作品が出てきたのだろうと思います。それは今話しましたように、個人主義といいますか、個人ばかり見つめてきたことに対する反対の危機感、つまり「これだけではいけないんじゃないだろうか?」という危機感が出てきたためです。そして、そういった危機感を無くすために観客は今度は英雄の登場を待つ訳です。英雄の登場というのは何かと言うと、アクションものであったり、政治物であったりで、その英雄に危機感の解決を委ねるのですね。そして、英雄がでてきたら、今度は観客は英雄をちょっとからかってみようかなという気持ちになったり、英雄が持っている権利を否定してみようかなと思ったり・・・ つまりコメディが出てくる訳ですね。そしてその次にはまたメロドラマがやってくる。循環していると言いましょうか、色々なジャンルがまわりまわっているような気がします。

質問4
 『ザ・コンタクト』は封切りされた直後に大鐘賞の最優秀作品賞を受賞しているのですが、これは観客の動員に繋がったのでしょうか。日本では賞をとっても必ずしも観客の動員には繋がらないのですが。

チャン・ユニョン
 韓国では、『ザ・コンタクト』に関しては大鐘賞を受賞したのは影響がありました。一つの作品で6部門の賞を受賞したので、それに対する信頼感があったと思います。そして映画が好調な時期に6部門で受賞したので、アドバンテージも上がったのではないかと思います。大鐘賞をいただいたのは10月4日だったのですが、封切りして2・3週くらいの時期でした。封切りして2・3週というのは、ちょうど観客が減り始める頃な訳ですが、その時期に賞をいただいたので、もう一度観客を劇場に呼び戻すことができました。そして、結果的には予定より2週間程長く上映することができました。
 ちなみに、『ザ・コンタクト』の受賞は大鐘賞の歴史においては異変でした。大鐘賞は保守的な賞で、それまでは監督の名前とか、作品の名声によって賞が与えられるという感じでした。ですので、1997年に新人である私が賞をいただいたのは今までの大鐘賞の矛盾を破壊するような画期的なことだったのです。しかも6部門もいただいてしまいましたので、観客である一般の人には意外な結果と受け止められたようです。ですから、ますます影響があったのだろうと思います。

質問5
 大鐘賞が変わったというのは、1996年に『エニケーン』という未完成作品が最優秀作品賞を受賞し、審査過程の不透明さが問題となった事件があったのですが、その影響でしょうか。

チャン・ユニョン
 それは大きかったと思います。

質問6
 『エニケーン』事件は大鐘賞にとっては結果的に良かった訳ですね。

チャン・ユニョン
 転換点になったと思います。

質問7
 『ザ・コンタクト』は各国の国際映画祭で上映されているのですが、国によって観客の反応は違いましたか。

チャン・ユニョン
 国によって若干の差はありましたけれど、だいたい似ていたと思います。パソコン通信に関しては日本と韓国では日常化されていますので、それほどの違いはありませんでした。ただ、ドイツではチャットに関して非常に不思議がっていました。電子メールではなく、チャットで対話することが不思議だったようです。そして「チャットの部分がどうして途中からナレーションに変わったのか?」という質問がでました。チャットで使う言葉というのは、文章で書く時の綴字法を無視して、発音した通りに、言葉で発する通りに書くのがチャットでの用法だと思うのです。自分もそうなのですが、擬声語を使ったり、擬態語を使ったり、普段発している言葉通りに書く。だから、チャットの場面というのはまるでその人の言葉を聞いているような気がしたので、ナレーションにしてみたのですが、ドイツの方には分かってもらえなかったようです。

質問8
 私が個人的に受けた印象では、文字の対話からナレーションの対話に切り替わったのはドンヒョンとスヒョンが仲直りをした後、つまり、お互いの感情が変化し始める頃からでしたので、場面転換の一種として見聞きしていて分かりやすかったです。日本での反応については、いかがでしょうか?

チャン・ユニョン
 日本での反応が非常に良くてとても気分がいいです。これは自分でも意外だったのですが、今回の映画は韓国的な状況、韓国的な物語のつもりで作ったのですが、他の国、そして日本でも、大きな共感を得られたようです。片思い、すれ違いの愛、そういった部分が皆さんの共感を呼んだのだと思います。それは映画の持つ力ではないかと思います。優れた作品はいつの時代にも誰に見られても受け入れられるのかなという気がします。私も好きな日本映画がありますが、私が「いいな」と思う場面は、日本人が良いと感じる箇所と同じなのかもしれませんね。

質問9
 ドイツで『ザ・コンタクト』をリメイクをするという話を聞いたのですが。

チャン・ユニョン
 ええ。ベルリンでプロダクションを持っている方から「同じ内容でリメイクしたい」という連絡を受けました。ひとまず契約をし、計画は進行中です。ただ、ドイツをはじめヨーロッパでも商業的な映画の製作状況はよくありませんので、撮影が実際に始まらないと契約はなかったことになります。

(注) ドイツのリメイク版は "Frau 2 & Happy End" という題名で1999年に製作に入った。

質問10
 これは冗談ですが、先ほどおっしゃったドイツの観客の反応を考えると、ドイツ版ではチャットの部分がなくなってしまうかもしれませんね。

チャン・ユニョン
 その可能性はありますね(笑)。

質問11
 この映画は何をヒントにされたのでしょうか? 監督自身、コンピュータを使ってパソコン通信をされているのでしょうか? 日本の『(ハル)』(1995)の森田芳光監督は実際に自分でもパソコン通信をされているそうですが。

チャン・ユニョン
 私自身はパソコン通信をしますが、それほど頻繁にする訳ではありません。コンピュータという媒体に関心を持ったのには、きっかけがあります。私は1990年から1993年までハンガリーにいました。そして、私が居ない間に韓国でパソコンが普及し、パソコン通信を始める人も多くなりました。その普及した時期に自分はいなかったので、帰ってきたらそれが特異な光景に見えました。あと、私は1990年代の初めにハンガリーにいたのですが、1990年は東欧圏の国々が崩壊するなど、世界が大きく変わった年でもあります。一方、韓国はどうだったかというと、どちらかというと全体主義といいますか、「個人が犠牲になっても組織のために会社のために尽くそう」という傾向があったように思います。しかし、私が帰国した1993年頃から、そういった状況も変わり始めました。組織のために自分が犠牲になっていいのだろうかと人々は考え始めたのです。組織がよくなっても、犠牲になった自分はどうなのかと見詰め直し始めた訳ですね。個人・自分がよくなくては、会社や組織もよくならないのではないかという、ある意味では自己中心的といえるかもしれないのですが、言い換えれば、個人を尊重する方向に変わっていったと思うのです。昔はそういった変化とパソコン通信とは関係ないと思っていたのですが、今振り返ってみるとかなりの影響があったのではないかと思います。例えば、新聞の論説などに書かれている文章。あれは世論であって、多くの人の話がまとめられて一つの世論が形成されていますよね。ところがパソコン通信となりますと、すべて個人の話です。個人的に自分の話をしている訳ですので、それを見た人も「これはこの人の考えなのだな」と認識できます。そして、個人の存在を認識し、認めるという方向に変わっていったのだと思います。ですので、1990年代という時代を考える時、パソコン通信は時代を象徴する素材、テーマになりうると考え、映画で扱ってみたのです。

質問12
 監督が「映画のモチーフとして、今後も現代都市における精神的な孤独を感じる人間を扱っていきたい」と発言されていたのを雑誌で読んだことがあるのですが、それはハンガリーでの留学経験が関係しているのでしょうか?

チャン・ユニョン
 孤独感はハンガリーだけでなく韓国でも感じます。それは多かれ少なかれ、誰でも感じることだと思います。人間は社会の中で生きていくうえで、意志の疎通をはかるのですが、意志の疎通をはかる前に沢山の意識が作用して相手との意志の疎通を妨害することがあります。一つ例をあげましょう。今、都市に住む人の価値判断はすべて資本主義的な考え方が基準になっています。商品中心主義とでもいいましょうか。水を買う時でも、実際にその水を飲んでみてから買うのではなく、飲む前にその水を買ったらどうだろうと考え、容器を見たりして、外見だけで価値判断をし、お金を払って水を買います。そして、その後、実際に水を飲む訳です。先ほど、「多くの意識が作用して、人と人とのコミュニケーションを妨害してしまう」と言いましたが、都市に住む現代人は、意志の疎通をはかる前に、例えば相手がどんな服を着ているのか、どんな容姿なのか、どんな言葉使いなのか、どんな車に乗っているのか、どんな家に住んでいるのか、などの考えが先にたってしまって、相手の外見から入ってしまいます。最初の判断は相手の外見の枠の中で行われ、その後に意志の疎通が来ますので、どうしても完璧な意志の疎通ははかれないですし、満足できる意志の疎通は難しくなってしまいます。だから、都市に住む多くの人々は心に壁を作って寂しさを感じたり、孤独を感じたりするのだと思います。そして、だからこそ、人との対話を望んだり、相手の事を深く知りたがったりするのではないかと思います。それと、この映画のテーマの一つになっている「失恋」も、大きな孤独感を感じるものです。失恋すると、相手との間に断絶を生み、孤独を感じますので、これも一つのテーマとして描いてみました。
 パソコン通信は、人と人とのコミュニケーションを妨害するような意識の作用を防止してくれるものだと思います。パソコンの中に表示される文章だけで相手のことを理解しなければならない訳ですから、外見などといった枠にとらわれる必要がありません。また、相手にアクセスするのも非常に簡単ですし、先入観も少ないので、とても正直になれます。だから、孤独な人達がパソコンにハマってしまうのは、そういうところにも理由があるのではないかと思います。

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インタビューを終えて


 印象に残っている韓国映画というのはいくつもあるけれど、この『ザ・コンタクト』もその一つ。この映画を最初に見たのは1997年の秋。釜山国際映画祭に参加するため訪韓した時に釜山の劇場で見たのだけれど、見終わってすぐ、その洗練された映像や音楽から、香港映画『恋する惑星』を連想した。だから、インタビューの冒頭で「『恋する惑星』や『ラヴソング』が映画製作のきっかけとなった」と聞いた時はなかなか感慨深いものがあった。また、インタビューには収録されていないけれど、後日聞いた話では「音楽で自分の気持ちを伝えるというアイディアは、王菲(フェイ・ウォン)のCD『迷』を聞いていて思いついた」そうだ。こんな所にも香港カルチャーとのつながりが見られる訳。今、日本の映画ファンは2000年正月公開予定の『シュリ』を心待ちにしている訳だけれど、『シュリ』のカン・ジェギュ監督も「1980年代は香港映画をよく見た」と明言しているし、実際彼のデビュー作『銀杏のベッド』を見たら、誰もが香港映画の影響を口にするでしょうね。ちなみに文化は双方向に流れるもの。最近では、韓国ポップスは台湾で大人気だし、『シュリ』などが香港・台湾で公開されヒットしているし、『アウトライブ −飛天舞−』『アナーキスト』など中国ロケの中韓合作もあるし、韓国発中国語圏着のカルチャーも大流行。日本でも『八月のクリスマス』やこの『ザ・コンタクト』がきっかけとなって香港映画ファンが韓国映画に関心を持ち始めており、このダイナミックなアジアン・クロスカルチャーの動きは当分続きそうな勢いです。

 ところで、なぜ最近、韓国映画が急に注目されるようになってきたのでしょうか? その理由は、今回のインタビューでも体感することができました。今までの韓国映画はどこか世界の映画界から孤立しているようなところがあって、監督の口から外国の作品や監督の名前が出てくることは希だったのですが、今回アジアフォーカスでインタビューしたチャン・ユニョンホ・ジノ両監督の口からは外国の作品や監督名がぽんぽん飛び出してきて、なんというんでしょう、「映画」という名の文化を共有しているような気持ちになれる分、話し易いんですね。たわいもないことですけど、これって大事なことだと思います。「文化を共有できる」というのは「映画を見て共感できる」可能性がぐっと高まるから。「自分の好きな映画のワン・シーンを、自分の映画の中で知らず知らずのうちに撮ってたみたいです」なんて、嬉しいじゃないですか。加えて、インタビュアーもその映画を好きだったりしたら、もう最高! 昔の監督のことはよく分からないのですが、少なくとも最近の若手監督は、海外で勉強してきたり、国内で勉強するにしても洋画を劇場で見るのは当然のこと、ビデオや衛星放送を通じて色々な映画を見ていることがインタビューを通じてよく分かります。そして、そういった映画を通じて我々と文化を共有している彼らが作る作品に日本人が共感し易いのは極々自然のことだと思います。

 さてさて、その後のチャン・ユニョン監督ですが、1999年の冬に第2作『カル(原題:tell me something)』を発表して、こちらも大ヒット。ジャンルとしてはスリラーものだけれど、これまたインタビューの最後で熱く語ってくださった「意志の疎通」をテーマにした作品で、『ザ・コンタクト』ではパソコン通信という新しいメディアが新しい形での「意志の疎通」を可能にするという希望を描いたのに対し、『カル』では対話の断絶がもたらす危険性や悲劇を描いています。ちなみに、この『カル』は韓国での封切り前に早々と台湾に権利が売れてしまいました。チャン・ユニョン監督は、アジアの中の韓国映画を語る上で、欠かすことのできない人物となりつつあるようです。


1999年12月5日執筆 西村嘉夫(ソチョン)

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謝辞

 このインタビューは、『電影城市』の韓国映画担当スタッフとしてプレス参加した西村嘉夫(ソチョン)がおこなったものです。インタビューのホームページへの転用を許可してくださった『電影城市』編集部に感謝します。また、合同記者会見と上映時の質疑応答の収録を許可して下さったアジアフォーカス・福岡映画祭にも感謝いたします。

 収録されている写真のうち、一番最後のチャン・ユニョン監督のアップ写真と「『ザ・コンタクト(原題:接続)』質疑応答」の最初の写真は映画祭のプレス用写真。「チャン・ユニョン監督インタビュー」の項にある写真の撮影者は藤田知子(さよ)さん。それ以外はすべて西村嘉夫(ソチョン)が撮影しました。

 当日、通訳として根本理恵さんにご同席いただきました。また、アシスタント、及びインタビューのテープおこしには藤田知子(さよ)さんにご協力いただきました。記して感謝いたします。

1999年12月5日 西村嘉夫(ソチョン)

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