アジアフォーカス・福岡国際映画祭2010リポート
『手のとどく限り』
Reported by 井上康子
2010/10/10受領
2010/10/25掲載
障害をもつ女性主人公スヒを、実際に障害をもつパク・チウォンという女性が演じている。パク・チウォンさんは実際に障害者であるのだが、この作品は彼女自身を描いたドキュメンタリーではなく、彼女はあくまで女優として登場している。
『手のとどく限り』
スヒは肢体不自由と言語障害があり(これは演じているのでなくパクさんの障害のままに表現されている)、障害者の収容施設で暮らしているが、同じ収容者であるミンスの存在に安らぎを感じ、しばしば隠れて物置で愛しあう。ミンスと会うときの彼女が不自由な手で口紅を塗るのは、『オアシス』でムン・ソリ演じるコンジュの同様のシーンを思い出させるが、重い障害があっても女性であり、美しく装いたいという主人公の思いが切なく伝わってくるいいシーンだと思う。冒頭近くの彼女とミンスのセックスシーンではパクさんは上半身を見せて熱演しているが、彼女の恥じらいや喜びのようなものがとてもきれいに撮られており、これはこの作品で長編デビューした若いハム・ギョンノク監督が、実際に障害をもつ人が演じながら障害の有無を超えた女性の美しさを描いている斬新な作品なのかもしれないと期待をした。
しかし、その後の彼女に監督が女性としてどのように振る舞わせたかを挙げると、ボランティアの女性が身に着けていたクロスのペンダントを盗んで身につけて喜ぶことや、ミンスの子どもを妊娠した彼女を施設から引きずり出した園長が彼女一人を写真館に連れて行き花嫁衣装の写真撮影をさせると、花嫁衣装に大喜びすることなど(園長が彼女を引きずり出したのはてっきり彼女を堕胎させるためだと思ったが違っていた。結婚の予定は全く無く、唐突に花嫁衣装の写真撮影のみあって、このシーンは意味不明であった)、大人の女性とはいえないあまりに幼稚なもので、がっかりさせられた。
女性としての彼女を描くことと並行して描かれているのは、施設での管理者による入所者の虐待である。スヒは洗濯や、彼女より重い障害をもつ人の世話などに一日中こき使われる。施設の園長をはじめとする管理者は、たまに施設を訪れるボランティアたちに日常的な虐待が知られることをおそれて、ここに居たいなら外部の人間と話してはいけないと入所者たちを何度も脅す。さらに、収容者が管理者からなぐられ、性的に暴行を受けていることも示される。5歳でこの施設に入れられたスヒも幼いときに、園長の夫である牧師から性的に暴行を受けた経験があることが暗示される。
1980年代の作品かと錯覚させられるような型どおりの人権侵害の様子が前半で繰り返されるのには少し辟易したが、後半で彼女の妊娠が施設内での性的虐待によるものであると誤解したボランティアが、彼女を保護施設に連れて行き、そこでも表面は穏やかな職員たちが、施設の管理者同様に結局は彼女の話を聞こうとしていないという展開にうまくつながっている面はある。
ティーチインの模様
保護施設で最初は堕胎を、出産したいなら里子にと、説得を受けたスヒは、最後に「だめ」と声をあげる。この作品は女性としてのスヒをうまく描いたとは思えないが、意志を表現することができなかったスヒが声をあげるまでを描いた作品としては印象に残る。
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