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Review 『ファン・ジニ 映画版』
『マイ・ボス マイ・ヒーロー3』『パンチ・レディー』

Text by カツヲうどん
2009/3/9


『ファン・ジニ 映画版』

2007年執筆原稿

 皆さん、「ファン・ジニ」と聞いてなにを連想するでしょうか? 日本では全く馴染みのない人物ですが、韓国でもその実体は具体的な記録がまったくないためよく分からないそうです。キーセンという特殊な身分ゆえ、そして当時の厳格な階級社会ゆえ、文化的足跡を残しながらも、その人物像がまったくわからないことは残念ですが、その未知のキャラクターが多くのクリエイターの想像を掻き立てるらしく、今まで小説や映画などで描かれたファン・ジニの物語は「それぞれ全く違う」とのことです。日本では、1986年に製作されたペ・チャンホ監督の『黄真伊(ファン・ジニ)』が一番お馴染みだと思います。深夜枠ながらテレビでも放映された作品なので観た方も多いでしょう。私はそれほど記憶に残ってはいないのですが、当時の韓国映画としてはかなり意欲的な大作で、人形浄瑠璃を連想させる伝統的な形式に則った、なかなか凝った作品でした。ヒロイン、ファン・ジニが夕暮れの浜辺でその人生を終えるシーンだけが、なぜか強く印象に残っています。


 さて、今回の『ファン・ジニ 映画版』は、北朝鮮の作家ホン・ソッチュンが書いた小説を原作に、金剛山でのロケーションと、意欲的といえば意欲的、排他的な政治的意図があったかと聞かれれば決してそれも否定できない企画です。常に新しいものを生み出そうとしている製作会社シネ2000と、かつてのニューウェーブの映像派チャン・ユニョン監督らしい映画に仕上がってはいたのですが、なにか新しい視点や発見があったかといえば、ちょっと疑問に感じる作品でもあったのです。

 映画で描かれる物語、そして人間像が厭世観とアンニュイに彩られ、どこか突き放したような映像美になっているところは、作る側の個性がきちんと反映していましたし、美術も衣装も、通常の韓国時代劇的なビジョンを廃し、出来るだけ「現実的な空気の匂い」を感じさせる努力をしていたとは思います。ただ、時代劇大流行の韓国において、なにか特別な存在感があった作品かといえば、そういうことは全くなくて、逆に没個性に感じてしまうのはなぜなのでしょうか。この『ファン・ジニ 映画版』は、タイトルこそ「ファン・ジニ」であっても、実は流民によるクーデターの話があくまでも主題であり、結局ヒロインはどうでもいい、お飾りにしか過ぎなかったからです。実像が不明だからこそ、作り手の想像を自由に膨らませることができる訳ですが、今回の『ファン・ジニ 映画版』は、あくまでも体制転覆に秘められたロマン、といったことばかりに力が注がれてしまい、結局、何一つ明確に描けた要素というものがなかったように思いました。

 映画を観た限りでは、原作のシナリオ化にかなり悪戦苦闘していた印象を受けますが、結局は原作のダイジェストで終わってしまったようで、映画はお話を追うので精一杯。上映時間が4時間くらいあれば、もっと深くて見所のあった作品になった可能性もありますが、現状ではへたくそな短縮版といった感じで、登場人物も時代もすべて観る側にリアリティを持って訴えかけてこないのです。肝心のファン・ジニ、その人生はまったく描けていないといってもよく、そもそもチャン・ユニョン監督が、こうした女性像を描くことに本当は関心がないのでは?という疑問を感じましたし、かといって反乱を企てる流民のリーダー「ノミ(野郎といった感じの蔑称)」も、その仲間も、彼らの生き様も、ちっとも描かれていないので、彼らがなぜ体制に牙を向くのかが外国人ならずとも、ちっとも共感できないと思います。これまた韓国側からいわせれば「それは常識」ということなのでしょうか? この作品で「悪」である体制側の支配者、つまり両班階級の描き方もこれまた面白みがまったくありません。支配する側に魅力的なキャラがいればまた話は別だったのでしょうが、何か人を引きつけるキャラの造詣というものが全くないのです。

 俳優たちの演技も、なんだか皆、板付き芝居でベタッとしていて生彩がありません。ソン・ヘギョのファン・ジニ像というのも、正直イマイチどころかイマサン、イマヨン。象徴的なキャラクターだからこそ、逆説的にもっと個性的な女優、もっと年齢が高い女優の方がよかったのでは?とも思いましたが、肝いりの大作ゆえ、そういうわけにはいかないのだろうし、これといった若手がなかなか見当たらない韓国芸能界の難しさも顕著に感じさせてしまいます。唯一、ノミ演じたユ・ジテは光っていますが、彼と彼のドラマが目立ってしまうことは映画の表題にそぐわず、あまり活躍できません。近年、ぐっと演技に深みが出て来た彼ですから、今回の扱いはとても残念でした。

 今も昔も、韓国映画では階級闘争が好んで描かれています。表現に対する頚木(くびき)もより自由になり、過去、そして現在に対する保守的なものへの疑問と闘争心というものを最近強く感じる作品が増えていますが、それをファン・ジニというテーマでやってしまったことは完全に失敗だったのではないでしょうか。内容が『チェオクの剣』そっくり、という声も聞きましたが、確かにそういわれても仕方ない物語ですし、それもまた韓国におけるオリジナル性の虚弱さの象徴のよう。どうせなら「ファン・ジニとノミ」といった題名で、反乱を巡る物語を中心に描いていれば、多少は現代的で面白い作品になった可能性はあったのに、と強く残念に感じました。

 今回の『ファン・ジニ 映画版』は、韓国映画の企画としては意欲的な大作のように見えても、その実体はよくある無難な映画。時代劇流行の終焉を観てしまうかのような、退屈で実体が伴わない大作でした。呼び物であったはずの北朝鮮での撮影も、その使い方が微妙で、おそらくは意図していた撮影が出来なかったのではないでしょうか。そのラストもまた、ファン・ジニが主人公になり切れなかった終わり方でした。


『マイ・ボス マイ・ヒーロー3』

2007年執筆原稿

 現代的かつ社会貢献できる組織を目指すヤクザ、ヨンドン組。そこの若頭ケ・ドゥシク(イ・ソンジェ)は、とある大企業にサラリーマンとして潜り込む。ビジネスマンとして悪戦苦闘の毎日を送るが、やがて対立する組織の魔の手がのびてくる。

 「頭師父一体/マイ・ボス マイ・ヒーロー」シリーズ第三弾というわけで、おなじみの連中が今度はどういう活躍をするのだろうと思いきや、全て仕切りなおしたオルタナティブな続編。組事務所に「頭師父一体」の書が掲げられているだけで、あとは全く関係ない内容だが、一応基本コンセプト「ヤクザが堅気の世界で学び直し、世に貢献する」は守られている。

 監督のシム・スンボは新人ではなく、日本だったら中堅クラス。映画は久々の登板だ。だから作りはオーソドックスで安定した仕上がりだが、ギャグにキレがなく、若い客層にも年齢の高い客層にもどっちつかずな「昔の韓国映画」という印象は免れない。

 キャスティングも奇妙な顔合わせ。十年前だったらこういう企画にイ・ソンジェが出演したかどうかは甚だ疑問だが、オーバーでわざとらしい演技を飄々とこなし、真面目で愛されるキャラクターを堅実に演じているのはさすがではある。それよりも注目は、組長演じたソン・チャンミン。かつての二枚目から転じて三枚目としても活躍を始めている彼だが、飄々とした中にも余裕かくしゃくとした演技を見せ、これが中々格好いい。出番が少ないのが残念だ。再びコメディ映画に回帰しつつあるパク・サンミョンは、逆に精彩を欠く。

 『マイ・ボス マイ・ヒーロー3』は正直どういう意図の企画かよくわからない。前作『マイ・ボス マイ・ヒーロー2 リターンズ』が意表を突いた大ヒットだったので、そのおこぼれをあずかろうとしたのかもしれないが、話もキャストも監督も、全て唐突な組み合わせだ。これは推測だが、元々他の企画をシリーズ第三弾として急遽組み替えたのではないか? 無難な出来といえばそれまでだが、セールス・ポイントがあるかといえばそれも疑問であって、主要キャストのファン以外は、ほとんど価値を感じられないコメディだろう。配給を20世紀フォックス・コリアが手がけているが、海外セールスへの期待をかけて作られた映画だったのだろうか。


『パンチ・レディー』

2007年執筆原稿

 幼い頃、父親の家庭内暴力が深いトラウマになった主婦ハウン(ト・ジウォン)。彼女の夫スヒョン(ソン・ヒョンジュ)はプロの格闘家だったが、些細なことで暴力を振るい、ハウンは地獄の日々を送っていた。ある夜、夫を鍋で殴りつけ怪我を負わせるが、正当防衛が認められず、刑務所送りになる。出所後、反抗的な娘(チェ・ソルリ)と共に友人宅で暮らすようになるが、ひょんなことから夫スヒョンへ、テレビ会見の場でリング対決を宣言することになってしまう。しかし、彼女が勘違いで転がり込んだ格闘技ジム経営者ジュチャン(パク・サンウク)は実は指導経験ゼロの気弱な塾講師に過ぎなかった…

 この『パンチ・レディー』は古臭いB級コメディのように思えるが、映画のテーマは極めて深刻で、演出も真面目だ。それは全く笑えないくらいなのだ。主婦ハウンは、従順で大人しい女性だが、その裏側には幼い頃、実父のひどい暴力を見て育ったという悲しい過去がある。そのトラウマを抱えて大人になったのはいいものの、今度は彼女が夫の狂気に満ちた家庭内暴力にさらされて、いつ殺されるかわからない毎日を送るようになる。プロの格闘家である夫は、自分の虐待行為を自覚しているが止められない。過ちは何度も繰り返され、自分に対する驕りは事態を悪化させていく。ハウンにとって唯一の味方は娘と親友だけ。しかしハウンを庇うには限界があり過ぎた。結果、ハウンは追い詰められ、夫に対決宣言をすることになってしまうのだが、コミカルな状況設定にもかかわらず、深刻すぎて全く笑えない。

 無力な妻、暴力が止まらない夫、そして命を脅かされた女性を誰も助けてくれない男尊女卑の韓国社会。全てがあまりにリアルで、映画はコミカルなオブラートで包もうとしても包みきれない。ハウンは自分を鍛えるため、あるおんぼろジムに転がり込むことになるが、そこの経営者ジュチャンもまた弱い男、男尊社会からの落ちこぼれだ。人が善すぎてハウンに嘘をつきつづけるジュチャンの姿にリアリティはないが、そこには「男らしく」虚栄を張れない優しい韓国人男性の悲劇が見え隠れしてくる。

 『パンチ・レディー』という映画は、笑いを盛り込もうとしながらも、あまりに真剣な演出と深刻なテーマ、そしてすっきりしない話の運び方などから、冗長な映画になってしまっている。だが、映画でしつこいほど執着して描かれる隠れた社会的弱者の姿には、単なる男女不平等問題を超えたものがあって、単なる新人の失敗作で捨てるには惜しい迫力も満ちている。『ロッキー』的なカタルシスも全くないが、強い社会派メッセージがふつふつと湧き出てくるような作品であって、外国でリメイク出来れば非常に面白い映画になりそうな印象を受けた。


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