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読者評 『まぶしい一日』

Text by 703
韓国映画感想集 河よりも永くゆるやかに
http://tirugonsam.seesaa.net/
韓国映画と私
http://d.hatena.ne.jp/chirugonsam/
2008/2/8


プロローグ

 この作品がシネマコリア2006で上映される前、私はまだ韓流スターの映画ばっかり観ていた。韓国のことに関する知識がまるでない私は、韓流スターしか知らなかったからである。ところが、ようやく名前を覚えたスターが出演している作品を探して観てみると「…オヤ?」という感じである。絶対どこかにもっと面白いものがあるに違いない。それが、シネマコリアとの出会いだった。


シネマコリア2006 ティーチインの模様

 知らない俳優の映画を観るのにはちょっと不安もあって、とりあえず1本だけ観ることにした。そして選んだ作品が『まぶしい一日』だった。映画上映後のティーチインで監督や出演者の方のお話を聞く機会があり、その時の監督が言った一言が妙に心に引っかかった。

「日本の人は、韓国(人)は日本に追いつけ追い越せ、と思ってると思われるでしょうが…」

 これまで日本がアジアでは先進国である自覚はあったけど、他の国の人が日本をどう思っているか私は考えたことがなかった。国の教育や行政、モラルに対する意識・考え方に対しても、自分の環境はこれが当たり前だと思っていた。そういえば「生きること」にそんなに必死にならなくとも、ぬくぬくと生かしてもらっていたのだ。他の国に「追いつきたい」というような意識も特になく…。

 人類の全てが同じ環境ではないことは明らかである。自分も日本人に生まれたかった、と思う人もいることだろう。生まれながらに恵まれた環境があることを「羨ましい」とか「ずるいぞ」と思う人もいるかもしれない。監督は、まだ韓国は日本に追いついてないと思っているのだろうか? そのことが衝撃だったのだ。

 観終わったときには、とにかく興奮していて、何がどういいのか、自分でもどう表現したらいいのか分からなかったけど、とにかく「韓国映画ってすごい!」と思ったことを覚えている。

 あれから1年が経つ。

 何がすごかったのか、実は未だに考えている。まだまだ、韓国に関する知識があるとはいえないけれど、これからは韓国のことをもっと知った上で映画を観たい…。今はそんな風に思っている。


 『まぶしい一日』は3つの小さな作品からなる、オムニバス映画である。見終わった時、このタイトルがしっくりとこないような気がした。また、どうしてこの作品たちがオムニバスとして群をなすのかも分からなかった。だが、半年、一年たって、やっぱり「まぶしい」のかもしれないなと思った。安易な幸せとは言いがたい日常。でも振り返って見ると、もしかしたら、その一日は主人公にとってまぶしいものかもしれない…。

エピソード1 『宝島』

 『宝島』は二人の少女のロード・ムービー。少女同士、少女&その祖父、少女&旅で出会った人たちなど、人間関係の視点としては多角的な見方が出来るため、観る人によって感想が異なるのではないかと思われる。

 私の場合は「在日コリアン」の存在について考えさせられた。在日の問題については、日本映画『パッチギ!』でグサリとえぐられた経験を持っている。在日だから、という差別的なことはだんだんとなくなっているらしく、若い世代からは「そのテーマはもう古い!」という意見も出ているとのことで、実はホッとしているが、私は個人的には日本人は「在日」の人たちのことを本当はもっと知ったほうがいいと思っている。実は自分自身も『パッチギ!』を観るまでは、何も知らなかったのだ。竹島の問題とかも、今年になってから触れられることはないが(もはや触れないほうがいいのかも)、今後も日韓の関係を友好的にしていくためには、知らなければならない問題だと思う。

 特に心に残っているシーンは、少女たちを日本人と勘違いしてレイプしようとする青年らが出てきたところだ。結局、「私は在日だ。あんたたち、こんなことしてて恥ずかしくないの?!」と韓国語でののしられ、青年らはシラけてしまい何も起こらなかったのだが…。怖かった。

 それでも韓国が好きだし、私は在日の人とも、韓国人の人とも仲良くしたい。『パッチギ!』で涙ながらに『イムジン河』を歌う塩谷瞬みたいな心境(仲良くしたいと思っていても在日の人からは日本人だからと受け入れてもらえない…)なのだ。今後も友好関係が続くよう、心から願うばかりである。


エピソード2 『母をたずねて三千里』

 『母をたずねて三千里』は、一見地味な作品である。大きなストーリー展開があるわけではないが、引きつけられたのは「モラル」とは一体何なのか?を考えさせられた点である。

 作品の中盤までの主人公は、先生の言うことも聞かずに学校を抜け出したり、道行く人にノート・パソコンを高値で売りつけてお金をくすねようとしたりする「悪い高校生」として描かれている。確かに悪い。

 でも、それが「お母さんに会いたい」という理由だったら…?

 高校生男子が、日本にいるお母さんに会うために、どんな手段を使っても航空券を買おうとしている。それをいけないことだ、と私には言えない…と思った。日本に行ったところで、お母さんに会える可能性があるわけではないし、帰りのチケットは多分持っていかないので、日本に行ったところで路頭に迷うのが関の山だと思われるが、そこまでは考えていないのだろう。

 理由のない犯罪は少ないと思う。

 でも、理由があったとしても、「いけない」と決まっていることをしてしまったら、それは犯罪なのだ。さぞかし、警察や判事といった仕事をしている人はつらいだろうと思う。それでも本能には逆らえない。食べ物のないところにいたら、食べるためにどんなことでもしてしまうだろう。また、肉親に会いたいという感情も、本能に近いものなのではないかと思う。

 少年の表情はいつも暗く、目だけがするどい。

 少年の夢見た「お母さん」はどんな人なのだろう。

 少年の夢見ている「日本」はどんな国なんだろう。

 少年のまなざしの先に何があったのか、そして、それは果たして「まぶしい」ものだったのか… 本作を観て一年以上たった今でも、まだそれが気になっている。


エピソード3 『空港男女』

 空港ではないけれど、私もこの作品と同じような経験をしたことがある。

 ある日、韓国語の授業に向かう電車の中で、予習をしていなかった私は真っ青になりながらテキストを広げていた。すると、となりのサラリーマン風の男性の更にとなりに韓国人男性が座っていて、私のテキストを見て親しみをもったのか「アンニョンハセヨ〜!」と声をかけてきたのだ。

 ナンパだったら100%無視するが、何といっても韓国人と話せるチャンス。降りる駅までは、あと5分。5分ぐらいだったら何とかなるんじゃないか。「アンニョンハセヨ…」と、おそるおそる言ってみると、私たちの間に座っていたサラリーマンが怪訝そうな顔で席を立ち、韓国人がスライドして私の隣に座ることになった。笑顔の彼はすごい勢いで一方的に何やら話し始めた。

 困惑した私は「ちょっと待って。私は韓国語を習ってまだ半年です。よくわかりません」と韓国語で必死に訴えた。いざという時のために、このフレーズだけは丸暗記しておいたのだ。「そう。でも、大丈夫。上手ですよ」と、今度はゆっくりと話してくれた。

 その後も、韓国語で「どこで降りるの?」とか「韓国語は難しい?」などと聞かれ、ほとんど単語で答えを返すような感じだった。思うように話せないのでつい「ごめんなさい」を繰り返してしまい、日本人のイメージがこんな感じだとよくないなぁと思った。でも『空港男女』の塩田君も謝りっぱなしでしたね。日本人ってこういうイメージかも?!

 ほっとしたのもつかの間、今度は彼のほうが日本語で話し始めた。

 「私も日本語を勉強しています」 へぇ。

 「日本に興味があるので、旅行をしています。北海道、金沢、東京、今度は大阪に行くつもりです」 そうなんですか。日本を楽しんでくださいね。

 そこでちょうど私の降りる駅に到着したため、「さようなら〜!」とお互いに韓国語で言って、私は電車を降りた。

 韓国語のクラス・メイトに興奮しながらこの出来事を話すと、

 「それで、電話番号は聞いたの?」 聞きませんよ〜

 「せっかくの出会いだったのに〜」 特にタイプじゃないですー

 「でもね、そうやって言葉の分からないもの同士が、なんとかして自分の言葉を伝えあおうとする、その気持ちが語学学習にはとても大切なのよ」 なるほど

 Tさんの言葉には重みがある。何といっても70歳にして韓国語を学んでいるフランス語講師だからだ。

 『空港男女』は語学学習をしている人たちの話ではないが、互いの国の言葉が分からないながらも、通じるものを何とか感じようとしているところが自分の体験と似ているような気がしている。『空港男女』を思い出すとき、あの強引な韓国人とのやりとりもまた、同時に思い出す。


エピローグ

 幼い頃の数年間、自衛隊の駐屯場のある土地で育った。世代的には“戦争を知らない子どもたち”にあたる私ではあるが、おそらく同年代の人たちより、戦争の爪あとを敏感に感じて育ったのではないかと思う。

 音楽やアート、文学… アメリカ人(米兵)から日本が受けた影響は大きいものがあると思う。でも、小さい頃は、声も態度も大きな彼らがただただ怖かった。マナーの悪い人がいても、戦争を生き抜いた世代の大人たちは誰一人注意できる人はいなかった。なるべくかかわらないようにしようとする大人たちの更に後ろに隠れて、私は怯えて育ったのだ。

 小学校の頃に先生に言われたことで、忘れられないことがある。

 「みんなは、何も考えずに“バカでもチョンでも…”と言うけれど、この言葉はいけない」

 先生いわく、この言葉の“チョン”は朝鮮人を表しているとのこと。植民地時代に、人間扱いされなかった言い方の名残なのだと…。そして、先生は「原罪」についても語っていた。12歳の私はまだ「原罪」を考えるには幼すぎた。だが、先生は12歳の子供たちに話したのではないのだろうと、今なら分かる。ゆっくりと大人になったとき、心のどこかに引っかかってさえいれば、いつか思い出して考えてもらえるはずだと見越して話したに違いない。学生時代に、三浦綾子の小説を読むまでは、このことをすっかり忘れていた。また、何故このことが朝鮮人の話と結びつくのかはその時もまだ分からなかった。

 その後、“チョン”は朝鮮人を表していた言葉だと聞いたことは一度もない。本当のところは、今もわからない。

 でも、軍や米兵の中で、いつも小さく縮こまっていた私たちだからこそ、“チョン”を差別する人間にはなるなと、先生は言いたかったのではないか。人の気持ちや痛みの分かる人間に育てたかったのではないか… そう思うと胸が熱くなってくる。

 私は小さい頃、ずっと外人が怖かった。だから、英語も嫌いだし、外国に行きたいと思ったことも一度もなかった。それなのに、韓国映画と出会い、好きになり、考えが変わっていったのだ。人の気持ちに寄り添うことの大切さ、人の寄り添う温かさに感動し、生まれて初めて「外国に行ってみたい」と思うようになったのだ。この気持ちの変化は、自分にとってものすごく大きなことだった。

 『まぶしい一日』の登場人物たちは、全員ハッピーな人とは言えない。特別な人たちでもない。どちらかというと、普通スポットの当たらない、地味な毎日を仕方なく生きている感じの人たちだ。

 そんな彼&彼女らを身近に感じる。そして、その屈折した心の状態を時折自分に重ねてみる。他の人から見れば、当たり前な、大したことないことだろうけれど、私にとって生まれて初めて行った空港はとても「まぶしい場所」だった。

2007年執筆原稿


『まぶしい一日』公式サイト
 http://cinemakorea.org/mabusii/

『まぶしい一日』上映スケジュール
 2月10日(日)@広島市映像文化ライブラリー
 3月8日(土)@東京都北区男女共同参画センター「スペースゆう」プラネタリウムホール


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