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アジアフォーカス・福岡国際映画祭2007リポート
『風と砂の女』チャン・リュ監督インタビュー

Reported by 井上康子
2008/1/1



Review 『風と砂の女』

 モンゴルで牧畜をしている男ハンガイ(O.バトウルズィー)は、地域の砂漠化をくいとめようと一人で植林を続けている。そこへ脱北者の母親スニ(ソ・ジョン)と息子のチャンホ(シン・ドンホ)が訪れて一晩の宿を請う。彼らは韓国を目指しているのだが、拘束される可能性が低いことからモンゴル経由のルートを選んで移動しているのだった。夜が明け、出発を促すスニに対して、チャンホは疲労感からしばらく留まることを主張し、やむを得ずスニはそれを受け入れる。こうして3人は生活を共にするようになる。

 原題の『Hyazgar』はモンゴル語で「境界」を意味するという(本作は韓国でも「境界 경계」というタイトルで劇場公開された)。砂漠化した地域と植物が残る地域にも境界がある。ハンガイが植林をしているのは砂漠化し、動物の死骸が転がり砂嵐が吹く地獄のような場所だが、そこは境界付近なので、そこから少し移動すると草原があり、そこは清らかな花が咲いている天国のような場所になっている。砂漠と草原の境界という象徴的な場所で、人間同士がさまざまな境界によって交流が阻まれることを示していく監督の手腕は鮮やかだと思う。ハンガイとスニ、チャンホは言葉が通じない。ハンガイはスニを求めるようになるが、スニは拒絶する。ハンガイはそこに留まる人間だが、スニとチャンホにとって、そこは通過点に過ぎない。けれども登場人物たちは、お互いに越えられない境界を持っているという与えられた役割の中でぎこちなく動いているに過ぎないように見える。

 モンゴルを舞台にした本作はもともと監督自身がすべての構想を練ったものではなく、一人で植林をする男の話を映画化する企画が持ち込まれて、そこから監督がストーリーを膨らませていったものだという。チャン監督は自身が在中3世の朝鮮族であり、マイノリティとして生きてきた人だ。前作の『キムチを売る女』は残念ながら未見だが、中国を舞台にしチャン監督の生活体験が強く影響した作品だったのだと思う。本作も異郷で生きる朝鮮族という部分は共通しているが、舞台をモンゴルにしたことや、朝鮮族を脱北者として設定したことが、監督の中では消化できていなかったのではないだろうか。

 冒頭、ハンガイの娘が聴力を失いつつあり、妻は娘に都会で治療を受けさせることを訴えるが、ハンガイは自分には植林があると何とも冷淡だ。それが彼と妻との間に亀裂を生じさせるのだが、以降、暖かみがある人物として描かれるハンガイが娘には冷淡というのは不自然だ。登場人物の行為がこのようにつじつまが合わないとか唐突だと思える部分が多いのは、モンゴルや脱北という要素が人物にうまく組み込まれていないためだろうと思われる。登場人物の中で最も存在感があるのはチャンホだが、それは彼が子どもであるため、設定の呪縛が比較的緩やかだったせいかもしれない。彼は異郷で過ごす不安や、周囲に人がいないモンゴルでの生活への安堵という自身の思いを表現できており、他の人物とは異なっている。

 砂漠化したモンゴルを舞台にしたことによる独特の乾いた味わいがあるが、感情を伴わずに頭の中で組み立てた作品を見せられたようで、強く感情移入して見ることができず残念であった。



チャン・リュ監督インタビュー

2007年9月17日@ソラリアホテル
聞き手:井上康子

 残念ながら今回、映画祭で上映された『風と砂の女』は感動して観ることができなかったのですが、前作の『キムチを売る女』は未見ながら本作のように未消化という印象を持つことはないだろう、観たいなあと切望している作品です。また、ご自身が在中3世の朝鮮族であり、前作よりマイノリティとして異郷で生きる朝鮮族を描いているという監督の姿勢には前作が公開された頃から興味を抱いていましたので、上映後に監督にお話を伺わせてもらいました。

 なお、日本では監督の名前は「チャン・リュル」と紹介されていますが、上映時の舞台挨拶で監督から「リュル」ではなく「リュ」と発音するとの訂正があったので、それに従って表記しました。

── モンゴルを舞台に描くことや、モンゴルで撮影を行うというのは簡単なことではなかったと思います。この作品の内容はどのように決定されていったのでしょうか?

 2005年のことですが、私の友人の紹介で韓国の映画会社の人が北京に来て、一緒に撮らないかと誘われたのが最初でした。彼はモンゴルで一人で植樹をしている人がいるので、その人についての作品を撮るという企画を持っていました。私は一人で植樹をしているというだけの話ではストーリーにおもしろみがないと思いました。その頃、ちょうど脱北した方たちに会う機会がありました。私の故郷の吉林省でも脱北者に会いました。彼らの最終目的地は韓国ですが、直接行くのは危険なので中国やタイやビルマを経て、韓国にたどり着く人が多いと聞きました。中でも中国の砂漠地帯を経てモンゴルを経由する人がいると聞いた時は強い衝撃を受けました。どれほど強い意志をもてば数千里を移動できるのかと、彼らの気持ちを考えた時に作品にしたいと思うようになりました。それでこの構想を先程お話した韓国の映画会社の人に話しました。構想を評価してくれたので、モンゴルに一緒に取材に行き、この作品の脚本を書きました。

── 原題の『Hyazgar』は「境界」を意味する言葉だと説明がありましたが、どうしてこの言葉をタイトルにしたのですか?

 タイトルは撮り終えてから考えたのですが、砂漠と草原の境界が舞台になっているという以外に、中国とモンゴルの国境も考えましたし、脱北者が境界を移動していくということも考えました。そしてまた、より深くつきつめていくと、人と人との境界、男と女の境界という意味もあります。境界という言葉はいろいろな意味を内包できて良いタイトルだと思いました。

── 前作の『キムチを売る女』では、異郷で生活する朝鮮族を登場させていて、本作も異郷に逃れた脱北者を登場させていますが、ご自身が朝鮮族の3世として中国で生きてきたということが、こういう人物を登場させる動機になっているのでしょうか?

 そう言えると思います。私がどういう人生を過ごしたか、私がどういう体験をしたかが核になりますから。私の生活した環境は中国で主流ではありません。非主流の立場です。私はいつも非主流の人の視点に立つんです。意図的にというのではなく、自然にそうなるのです。だから私は異郷で生きる人の映画を撮ることになります。

── チャンホがモンゴルでアリランを歌うことで自分の朝鮮人としてのアイデンティティを確認しようとする場面が印象に残っていますが、監督はご自分のアイデンティティについて、どのように考えていますか?

 中国では私は常に非主流です。韓国に行ってもやはりそうです。どこに行こうと私は非主流なのです。でも、私はこういう私の立場にとても感謝しています。もし、主流の立場であれば傲慢な人間になったかもしれません。しかし、非主流というのは心理的に弱い立場に置かれます。それは芸術に携わる人間にとってはとてもよいものだと思います。芸術というのは突き詰めていくと非主流のものですから。

── ティーチインの中で、前作も本作も母親と息子のつながりを描いていることについて、「自分も母親と二人で生活したことが関係しているかもしれない」と言われましたが、お母様と下放を経験されているのですね。

 父が逮捕されて5年間拘束されました。幼い時でしたが、私は母と農村に下放されました。父は祖父の代に中国に来た2世ですが、母は14歳の時に中国に来ました。下放されたところでは朝鮮族はうちだけだったので中国語で生活しました。最近になって、また韓国語を話すようになりましたが、韓国語はあまりできないんです。

── 最後に次回作について教えてください。

 1977年に韓国で起こった裡里(イリ)駅の爆発事故を素材にしたものです。すべて韓国で撮影予定で、2007年11月末にクランクインの予定です。中国でこの作品の一部にするつもりで撮り始めたものもありましたが、それは結局1本の作品としてまとめました。


取材後記


 監督は延辺大学の出身ですが、延辺は朝鮮族自治州なので、在中3世といっても韓国語も使われるのでは?と思っていました。しかし、韓国語はあまりできないとのことで、取材時も中国語の通訳の方を介してお話を聞きました。それにしても、下放前はお母様とは韓国語で会話をされていたそうなので、下放の経験がなければ韓国語での会話もきっと大丈夫でいられたことでしょう。チャン監督一家の歴史を追うと、日本の歴史とも関係の深いことですが、朝鮮半島から中国へ渡り、そこで文革のために下放を経験することになり、さらに天安門事件でチャン監督は職を追われと、歴史と政治の大きなうねりの中でマイノリティとして本当に劇的に生き抜いてこられたのだと思います。

 監督ご自身はどこかひょうひょうとしたところもある穏やかな話し方をされる方でしたが、「芸術というのは突き詰めていくと非主流のもの」という語りには芸術家としての強いプライドが感じられました。けれど、亡くなったお母様は息子が堅実なサラリーマンになることを望んでいられたそうで、その話をする時は期待に添えなかった残念さがにじみ出ていて、お母様への思いの強さが感じられました。次回作も母子のつながりの強さを描いた作品のようです。



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