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Review 『My Son 〜あふれる想い〜』『止められない結婚 オリジナル版』『犬と狼の間の時間』『キム・レウォンの引越し大作戦』

Text by カツヲうどん
2007/12/30


『My Son 〜あふれる想い〜』

2007年執筆原稿

 殺人罪で無期懲役囚となったガンシク(チャ・スンウォン)は、一日だけ特別恩赦を許される。パク監察官(イ・サンフン)同行のもと、高校生になった我が息子ジュンソク(リュ・ドックァン)と再会するが、そこには予期しない真実が待ち受けていた。

 この作品、一連のチャン・ジン作品の中では、もっとも普通に見える作品だったのではないでしょうか? 韓国映画が得意とする「家族」を中心にすえ、親と子の強い絆を描いてゆきます。チャン・ジン作品特有のニヒリズムは希薄であり、映画の構成もまた、しごくスタンダードに進展していきますから、コアなチャン・ジン組のファンからすれば「一体どうしたんだ!」といった感じにみえるかもしれません。でも、鴨の一家が出てくるあたりから、「やっぱりチャン・ジンの作品だね」という個性がまたプンプンと漂い始め、クレジット・タイトルに連ねられた豪華なチャン・ジン組声優陣の名前を目にした時、やはりこの映画もまたチャン・ジン組作品以外の何物でもないことが明らかとなります。

 チャン・ジンの映画は毎回手を変え品を変え、で一定のスタイルに落ち込むのを避けているように感じますが、前作『偉大なる系譜』が韓国ヤクザ映画のパロディとも解釈できる作品であったことを考えると、この『My Son 〜あふれる想い〜』もまた、ここ一、二年の韓国映画における流行へのシニカルなパロディが含まれていたのかもしれません。

 物語は本当にスタンダードに進展してゆきます。しかし、それとともになにかどこか不自然な感覚が伴い、違和感を抱かせながら進んで行くのです。当初、この感覚は頻繁に使われるカットバックや、どこかひいたカメラ目線から来るものだろうか?と考えながら見ていたのですが、物語が終盤に近づいた頃、驚愕の真実が明かされ、それまでのなんともいえない不信感の理由が見事明かされていきます。このどんでん返しは人によっては「余計」と思えるでしょうし、かといってこれがなければ作品は凡庸に終わっただけとも思えるしで、賛否両論な仕掛けではあるのですが、この展開があったからこそ映画は感動的な作品になったともいえそうです。

 最近の韓国映画は、平凡なシノプシスにブラフをちりばめ、最後にストレート・フラッシュ!とやるのが流行りですが、これは劇作家として実績のあるチャン・ジンだからこそ許された手法であって、新人には正直、真似してほしい演出ではない、というのが私の本音でした。

 俳優陣は、新たなチャン・ジン組座長となったチャ・スンウォンを筆頭に、いつもの顔ぶれですが、注目はなんといってもパク監察官演じたイ・サンフン。演技が巧みであり、脇役のようでも実際は映画のキーとなって大活躍です。『ヨコヅナ マドンナ』で一躍大注目されたリュ・ドックァンはいつものように物静かなキャラクターですが、ところどころでオーラを感じさせ、思った以上の名優に成長しそうな気がしました。彼は俗にいう「韓流スター」といった安易でデタラメな形容がまったく似合わない若手俳優であり、正統派の映画俳優として流行に関係なく長生きしてほしいものです。

 『My Son 〜あふれる想い〜』は基本的には地味な、ごく普通の作品といえそうですが、劇中のどんでん返しは衝撃的な効果を生んでいて、そこら辺の変化球ぶりがやはりチャン・ジンらしい映画といえそうです。


『止められない結婚 オリジナル版』

2007年執筆原稿

 ソウルの江北に暮らす伝統的な生き方にこだわったパク一家の一人娘ウノ(ユジン)と、江南で暮らす成り上がり丸出しのシム一家の長男ギベク(ハ・ソッチン)が恋に落ちる。正反対な両家に巻き起こる結婚騒動を描く。

 物語はベタですが、韓国の典型的なコメディとして、お話だけはなかなかいい線いっていたのではないかと思います。ですから10年位前にもう少し手馴れた中堅監督が、さらにもう少し知名度の高いスターを取り揃えて製作することができれば、けっこうヒットした作品、そして愉快な快作になったでしょう。

 しかし、企画を実行するには時既に遅し。また新人監督が手がけるには実は技量を要す内容であって、結果として映画は失敗作でした。どうせ低予算で作るのなら、干されている中堅監督に依頼すればいいのに、とも考えるのですが、プロデューサーの立場からすれば、それも色々と問題を含んでいて難しいのでしょう。でも、こうやって新人は消耗品扱い、中堅監督はポンコツ中古扱いと、一部プロデューサーとカルトなだけのスター監督のポッケに大金が入り、他は枯れてしまう悪循環は繰り返されるわけであって、映画の出来不出来よりも、私はそちらの方が気になってしまいました。

 映画は最初から最後まで安っぽく、かなり早撮りした印象ですが、スピード感は全く無く、先の読める展開にお馴染みの痴話ネタと、かなり退屈。パラグライダーを小道具として絡めていますが、古い企画を無理やり若い観客に合わせたかのよう。チグハグ感は免れません。ただ、この映画には結構深いテーマが隠されていて、最近の拝金主義、西洋文化信仰的な生き方よりも、多少貧しく頑固でも精神的豊かさを重視する伝統的な生き方を見直そう、といったメッセージは含むところがたくさんあったと思います。その両者を江北的生活と江南的生活に例えて対立させていくのですが、圧倒的に伝統的な生活の方が魅力的です。これこそ本当の「韓国的『優雅な世界』」といえそうでした。

 主演のベテラン二人組、キム・スミとイム・チェムは、職人的に役をこなしている感じで特に感銘は受けないし、若い主演の二人、ユジンとハ・ソッチンの二人に至っては、主演をさせたことを疑問に思うくらい、オーラというものが欠如しています。でも、とても光っていたのが、パク一家の叔父であり、仁寺洞で印鑑屋を営むチル演じたユン・ダフンでしょう。他がパッとしないこともあって彼はひときわ輝いています。

 この『止められない結婚 オリジナル版』は、特にこれといったものがないコメディであり、韓国における古い定番のお話を象徴したような映画といえそうです。


『犬と狼の間の時間』

2007年執筆原稿

 「映画製作」という現実に疲弊した映画監督のキム。現場を離れても、かかってくる電話は借金返済の催促かスタッフからの連絡ばかり。そんな彼は、陰鬱な現実からふと逃避するように故郷である江原道・束草を25年ぶりに訪れ、街を彷徨いはじめる。

 韓国映画に伝統的なテーマがあるとすれば、その一つとして「冬の彷徨」というべきものがあります。そこには国家の分断・離散家族といった社会的な悲劇から、ごく個人の苦しみ・哀しみが抱擁され表現され、韓国文化人お得意の「恨」という概念の別の形といえるかもしれません。

 監督のチョン・スイルは韓国では数少ない作家主義を貫きつつもコンスタントに作品を作り続けている監督です。しかし、作品は商業性や大衆性とはまったくかけ離れていて、今回の『犬と狼の間の時間』も観ていると「また自分の話?」といいたくなる印象200%。極めて個人的な映画であっても、常識を打ち破ったスタイルで自他の追従を許さない韓国の監督にキム・ギドクがいますが、チョン・スイルが作る映画を観ていると、キム・ギドクは本当に「ミラクル」な人であって特別なんだなぁ、とますます痛感してしまいます。チョン・スイルとキム・ギドクの作品は対称にあるといえなくもありません。

 本作は、かなりチョン・スイル監督の人生観というものが反映されていたといえるでしょう。映画監督が借金生活に苦しむ様子は、こういった個人的な韓国映画作品ではお馴染みですが、束草を彷徨する主人公の姿というものは、おそらく監督自身の日常がかなりダブって見えるものです。正直、観客としては「こんな映画は自分の授業だけで生徒だけに見せていろよ」といった感じなのですが、極私的イメージを紡ぐ、という行為は、韓国の映画的インテリにとっては欠かせない強迫観念なのかもしれません。

 今回、一番気を惹かれたのは離散家族の悲劇を描いていたことでした。束草という場所が38度線に位置し、離散の象徴であることはいうまでもありませんが、かつて韓国映画では頻繁に描かれながら、最近はちっとも描かれなくなってしまった離散者の叫び、というものが、この作品には珍しく表現されています。国家分断という出来事が韓国人にとって日常的すぎて他人事になってしまった現在、イデオロギーとは関係ない離散者たちの心の叫びというものを描くことは、本当に貴重なことになってしまいました。

 映画監督キム演じたアン・ギルガンは、ここ数年、バイ・プレイヤーとして韓国映画で大活躍の俳優です。リュ・スンワンの作品全てに出演しているにもかかわらず、なぜか注目されることがない俳優ですが、強烈な顔立ちが印象的な俳優です。演技力もありますが、ちょっとスタイルがワン・パターンというか、硬いので、いまいち観る側の目にとまらないのかもしれません。今回は初主演であり、これからの韓国映画に注目している方にとってユン・ジェムンと並んで注目の俳優といえるでしょう。

 『犬と狼の間の時間』という作品は、単品では価値を見出すことが難しい、退屈で凡庸な作品ですが、今後もチョン・スイル監督が映画を撮り続けることで、一種の体系的映画として後世、誰かが価値を見出す可能性はあるでしょう。


『キム・レウォンの引越し大作戦』

2002年執筆原稿

 現在の韓国映画界では、アメリカ留学組が大活躍しているようだ。本当にきちんと現地で勉強しているかどうか疑問もあるが、本作品のイ・ヨヌ監督(UACCとUSCを卒業)はなかなかの勉強家らしい。彼は、かつてアメリカが誇ったビリー・ワイルダーやハワード・ホークス作品のような上品なドタバタコメディを目指していたのだろう。だが、監督の志とは逆に『キム・レウォンの引越し大作戦』は猛烈に退屈。記憶の闇に葬られるであろう駄作となってしまった。

 プロットの基本は、巨額のダイヤが隠されたコチュジャンの壺が、他の壺と紛れた事から沸き起こるドタバタを描いたものである。だが、話はすぐ誰が中心で一体何をやっているのか、さっぱり分からない混乱した展開になってゆく。複数のエピソードが絡まって収束、大団円というのはドタバタ・コメディの王道であるが、非常に作劇も難しいジャンルだ。残念ながらキム・ヒョンジンの脚本は完全に失敗している。

 ハム・スノの撮影もアクセントに乏しく、ホーム・ドラマだったら向いていただろうが、時間の展開が一層分かりにくくなっている。出演者には、自然な演技を心がけているような演出がなされている様だが、この存在感の無さはなぜだろうか。検事ドゥチル演じるチョン・ウンインは個性が中途半端で主演はかなり苦しい。麻薬組織のナンバー2、パク・テホ役のチョン・グァンニョルは敵役としてはあまりに魅力と華がない。彼よりも彼の子分三人衆の方が遥かに面白い位だ。女刑事トッコ・ジン役のソ・ユジンは、とてもチャーミングで役作りも頑張っているが、実力が伴わない。ただし、日本でも受けそうなルックスではある。

 アクションは、仁川空港での大立ち回り、ラストのシャベルカーの大バトルと、とても日本では撮影がかなわないシーンが幾つもあるが、観せ方が上手くなく、結局はオマケの域、見所とはなりえなかった。この『キム・レウォンの引越し大作戦』もまた他の若手監督作と同じく、企画と監督の相性が全く合わなかったようである。


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