HOME団体概要support シネマコリア!メルマガ登録サイトマッププライバシー・ポリシーお問合せ



サイト内検索 >> powered by Google

■日本で観る
-上映&放映情報
-日本公開作リスト
-DVDリリース予定
-日本発売DVDリスト
■韓国で観る
-上映情報
-週末興行成績
-韓国で映画鑑賞
■その他
-リンク集
-レビュー&リポート
■データベース
-映画の紹介
-監督などの紹介
-俳優の紹介
-興行成績
-大鐘賞
-青龍賞
-その他の映画賞


Review 『1942奇談』『マガン・ホテル』『ぶどうの木を切りなさい』『セックスインポッシブル〜男はみんな狼だ!〜』

Text by カツヲうどん
2007/12/17


『1942奇談』

2007年執筆原稿

 1942年、冬の京城。最新設備を誇るアンセン病院には、様々な遺体が運び込まれてくる。そして、それを取りまく医者たちの複雑な人間模様。やがて全ては謎の連続殺人事件へと収束してゆくが…。

 2005年に『赤い靴』という、しょーもないホラー映画がヒットしたことがありました。しかし、筆者の目を惹いたのは映画そのものより、日帝下のソウル=京城に物語の秘密があるという展開と、その時代の華やかさを強調した演出でした。それから少し経って、『青燕 あおつばめ』が公開され、そこで描かれた「日帝」にも色々と驚かされましたが、残念なことにヒットしませんでした。しかし、そこには明らかに韓国側の視線の変化、そしてそれらを発表出来るようになりつつある韓国社会の変化というものを、映画を通して大きく感じたのです。もしかしたら、最近の韓国における若手クリエイターたちは、「非日常」としての「日帝」に魅力を見出しつつあるのかもしれません。それは日本人が幕末や明治、戦国時代などに、歴史的好奇心とは別の異世界に対するロマンを感じることと同じようなことなのでしょうか。

 今回、チョン兄弟監督の手による『1942奇談』は、そうした「異世界・日帝時代」をフルに描いた異色作。もしかしたら真正面から初めて日帝時代のルネッサンスを描いた韓国映画かもしれません。当時のソウルで起こった連続殺人事件と、アンセン病院(シンサ洞の病院が元ネタか?)で働く医者たちのドラマを超常現象を絡めつつ描く内容ですが、「ホラー映画」というよりは、シュールな「人間ドラマ」と表現した方がよさそうな作品になっています。

 物語は三つのエピソードからなっていて、それが最後に一つにまとまる構成になっていますが、時間軸の進行が現在から過去へと辿るようになっているために複雑かつ難解な映画に仕上がっています。ですから、無目的で映画に来たような人たちには「?」でイライラする作品でしょうが、「起承転結」のパターンに捉われない作品が好きな人には、鮮やかな万華鏡のようであり、魅力的な映画だったのではないかと思うのです。

 おそらく、この『1942奇談』は、清水崇監督の『呪怨』シリーズをかなり参考にして演出されたのではないかと思いますが、スタイル的にはデビット・リンチ的世界観を目指したのではないでしょうか。それに全編にかつてのホラー映画の名シーンが散りばめられてもいて、分かる人には分かるお遊びが幾つもあります。

 舞台が日帝下なので全編、当時の日本的なものが散りばめられていますが、どれもうまく小道具として機能していて、日本人から観ても違和感は少ないだろうし、韓国のクリエイターがこれだけジャポニズムを意図的に映画へ取り入れて成功させた例も、おそらく初めてでしょう。そういうところにチョン兄弟の非凡さを感じました。

 全体を構成する三編のうち、傑出しているのは、母娘の複雑な愛憎劇をショッキングな映像美で描いた二編目です。映像的な面白さはもちろんのこと、アサコ演じたコ・ジュヨンの熱演が素晴らしく、彼女の凄さがよくわかると思います。彼女は前作『九尾狐家族』でも、突出した演技者としての可能性を観客に印象付けましたが、やはりその才能は偶然ではなかったようです。その他、チン・グであるとか、キム・テウであるとか、日本でもお馴染みのキャスティングですが、とにかくコ・ジュヨンの演技が素晴らしいので、彼らは完全に負けています。

 この映画でもう一つ興味深かったことは、韓国における「鬼神」のイメージが描かれていたことでした。韓国は大陸文化の流れにあるゆえか、「鬼神」と「幽霊」は区別して考える概念であって、日本人にはそこら辺がよくわからない(韓国人も実は、はっきり区別はしていない)のですが、特別な力を有した死者と、無力な生者が同じ空間に暮らすという、ちょっと異様な感覚が良く出ていたと思います。

 この『1942奇談』は昨年くらいから起こりつつある、韓国ニューウェーブ・ホラーを代表する作品の一つといってよく、今までの韓国ホラー映画にうんざりしていた方には、是非観ていただきたい作品ですが、一般的とはいえない作風なので、もしかしたら韓国映画界で鬼っ子になってしまう可能性も抱えた作品といえそうです。


『マガン・ホテル』

2007年執筆原稿

 この映画、「潰れかけたホテルにお金を取り立てにいったヤクザの一団が、ホテル再建に奮闘するはめになり、敵対組織と大乱闘の末、ハッピーエンドの大円団」という、あまりにも定番な企画。しかし、それは守るべき骨子が明確ならば、映像やキャストなどに実験を加味することで、逆に面白いカルト作品になる可能性もあるということ。ですが、本作の場合は、低予算ということから来る貧相さのほかに、スタッフとキャストのやる気の無さのようなものがあまりにも画面から滲み出ていて笑うに笑えない映画となってしまいました。舞台となるホテルのロケハンは過酷だったようですが、監督とプロデューサー共ども、そこで力尽きてしまったのでしょうか?

 話は一発ネタがだらだらと並べられている感じで、時折言い訳のように本筋のドラマに戻っては、またバラバラなお話をだらだら繰り返すという構成になっていて、話のテーマが見えてきません。カメラもなんだか腰が引けていて、おそらく新人監督チェ・ソンチョルは、助監督的な割り切り感覚でバリバリと仕事をこなしつつも、最後まで本監督として乗り気がせず、愛を映画に込められなかったような気がしました。

 この映画で驚いたのは、舞台となるホテルの豪華な作り。江原道が観光地として賑わうのは周知のことですが、こんな立派なホテルを建てて採算が取れるの?といった感じで、辺鄙な場所の豪華な建物という組み合わせは、いかにも韓国らしい風景でした。

 主演はキム・ソックン以下、皆イマイチなキャスティング。『洪吉童』のパロディでもやれば、もう少しは笑いを取れたかもしれませんが、これなら脇役クラスの個性派を主演に据えた方がよっぽど面白かったと思います。平手打ちの名手「解決者」演じたキム・レハと、プロパンガス自殺志望の執事長チュンゴン演じたウ・ヒョンが実質一番のスターといったところでしょう(ちなみに「解決者」が車に跳ねられるシーンは秀逸)。

 この手のヤクザ・コメディは、世間からいくら非難されてもコスト・パフォーマンスが高いので、これからも脈々と作られ続けて行くでしょうけど、作りようによってはカルトな名作が生まれる可能性もあるわけで、せめてこれからは監督の作家的こだわりを反映させて欲しいなぁ、とプロデューサー連中には提言したいですね。


『ぶどうの木を切りなさい』

https://blog.naver.com/thegrapevine
2007年執筆原稿

 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。」(新約聖書 ヨハネによる福音書15章より)

 この『ぶどうの木を切りなさい』という作品は、カソリック(Catholicus)の神学校と修道院を舞台に、世俗を捨てて神の僕(しもべ)になろうと決意した若者ムン・スヒョン(ソ・ジャンウォン)の、心の戦いを描いたドラマです。タイトルの『ぶどうの木を切りなさい』は極めて宗教的なものを暗示しているように思えますが、そういったイメージを超えて「人の繋がり」というものを、私的葛藤の中で捉えようとした題名だったのではないでしょうか。

 映画は一種、宗教的な物語ですが、韓国人の観客と日本人の観客では、そこから受ける印象がおそらく全く別のものになるかもしれません。しかし、私がこの作品を観ている時に感じたことは、キリスト教的環境を舞台にしていながら、説教臭さや押し付けがましさが一切ないばかりではなく、宗教というものが信じる者にとって「空気や水と同じものである」という感覚です。しかし、そこにふと芽生える懐疑と矛盾。それは日本の遠藤周作が描き続けてきたテーマに重なるものであり、特定宗教に抵抗を持つ人々にも十分同感できるものといっていいでしょう。

 主人公スヒョンが神学校生という設定であっても、この映画で描かれるのは、ごく普通の苦しみです。スヒョンを指導する神父や修道士たちは「神の僕」である前に、常識的な社会人であり、スヒョンの友人たちも普通の若者に過ぎないからです。一人の女性スア(イ・ミンジョン)の残影にスヒョンは悩まされ続けます。しかし、同じ問題で悩み苦しむのは彼だけではなく、他の修道士や修道女も皆同じであり、上位の者たちも彼らの秘め事に対しては見守ることしかできません。彼らがいくら禁欲的な生活を送っていても、社会から途絶した非常識な異人ではなく、あくまでも普通の人々なのです。

 ミン・ビョンフン監督がロシア国立映画学校留学時代、アルメニア旅行で体験した奇妙な宗教的体験が本作のヒントになっているということですが、それよりも本来は聖職志望者であったというミン・ビョンフン本人の、今に至る複雑な想いが映画には多く投影されていたのではないでしょうか。それはまた、彼の青春時代の悩みそのものでもあったと思うのです。ですから、宗教的な環境を舞台にしながらも説教臭さは全くなく、私小説的ながらも妙な隘路にはまることなくと、その映画的手腕には非凡な才能を感じました。監督が担当した撮影もなかなか優れており、低予算ながら印象的なシーンが幾つもあります。技術的な未熟さは仕方ないとしても、事象の捉え方、イメージの捉え方は特筆すべきものがあり、今後の作品では、盟友ともいうべき撮影監督と出会えるかどうかが、彼にとって非常に重要になりそうです。

 スヒョン演じたソ・ジャンウォンは『許されざるもの』において悲劇的な結末を辿る主人公を演じたことが記憶に新しい俳優ですが、今回はその演技力と個性に一層磨きがかかり、将来かなり期待できそうな片鱗を見せてくれます。彼が韓国の自滅的スター・システムに取り込まれてしまわないことを祈りましょう。修道院のムン神父演じたキ・ジュボンも好演です。彼はテレビ・ドラマから映画まで、とにかく出すぎといえるくらい出演し、その役割も多彩ですが、それゆえ俳優としての実力が伝わりにくい部分がありました。しかし、本作ではじっくりと腰をすえて役に取り組んでいて、人間臭さを感じさせながらも自己制御に徹したキャラクターを説得力を持って演じています。今回のような役は一般的な韓国映画などではあまり観る機会もないと思いますので是非注目して欲しいと思います。

 『ぶどうの木を切りなさい』は娯楽作品には程遠く、極めて個人的な志向の映画です。またヒロインのイメージが、観る側に混乱をきたし易いという欠点もありますが、韓国映画の今後十年を考える上で重要な作品になるかもしれません。


『セックスインポッシブル〜男はみんな狼だ!〜』

2003年執筆原稿

 まるで絵に描いたような安っぽいB級映画だが、その貧困な馬鹿馬鹿しさが、たまらなく魅力的な映画だ。冒頭、『ロスト・メモリーズ』のパロディから始まり、やたら早いテンポでヒロインが家を出てソウルで暮らすようになるまでが描かれているが、まるで素人のような編集ぶりが妙な軽快さを生み出し、安っぽいネタのオンパレードでもちっとも観ていて飽きない。ヒロインが安東旧家出身なのが人をくっているが、「安東=ド田舎」という点をあけすけにギャグに使っている部分が斬新だ。

 物語は支離滅裂。軽薄なテレビ・コントの寄せ集めのようだが、監督のキム・ソンドクは元々そっち系出身なので、今回は持ち味全開といったところだろう。

 主人公ミンソ演じたシン・エは、可愛いと言い切るには、なんとも微妙なルックスの持ち主だが、今回はそんな個性的なところが映画のスタイルにぴったりあてはまった。ミンソの母親を演じたソン・オクスクも保守伝統で生きていると見せかけて、現実的な母親像を好演している。男性陣は皆パッとせず、誰も彼も影が薄い。そんな中、きらりと光る存在なのが、ミンソの父親役のソン・ジェホだ。頑固で滑稽、融通が全く効かず短気だけど、どこか間抜けなオヤジぶりは可愛い。

 この『セックスインポッシブル〜男はみんな狼だ!〜』、スターは誰も出ていないが、『夢精期』が好きな方や『セックス イズ ゼロ』はどぎつ過ぎてだめ、という方にはお勧めだ。なお、マニアックな見方をすれば、『スキャンダル』の更なるパロディのようでもある。安っぽい事が福に転じたともいえそうな拾い物の快作だ。


Copyright © 1998- Cinema Korea, All rights reserved.