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Review 『サイボーグでも大丈夫』『僕の彼女のボーイフレンド』『オグ』『TUBE/チューブ』

Text by カツヲうどん
2007/5/27


『サイボーグでも大丈夫』

http://eiga.com/official/cyborg/
2007年執筆原稿

 この映画の監督兼実質のプロデューサーであるパク・チャヌク監督の特徴は「宗教や哲学の教義にそって、古今東西の映画や漫画を因数分解し再構築する」というところにあると思います。ですから彼の映画を観るたびに、何かデジャブに襲われる人は少なくないのではないでしょうか? 反面、決して万人向けとはいえません。『オールド・ボーイ』くらいまでは、まだ一般観客のことを考慮していたのでしょうけど、『親切なクムジャさん』からは監督のエゴなこだわりが全開し始め、ついて行けなかった人も多かったと思います。

 今回の『サイボーグでも大丈夫』も、パク・チャヌク監督のシフトが更にあがってしまい、こだわりを伺い知ることが出来ても、難解で特異な映画になってしまいました。物語は、ずばり「キチガイの映画」。また「個人の主観が物理事象を変えうる」という量子力学ネタを加味したような内容にもなっています。イム・スジョン演じる工員ヨングンは精神を病み自傷行為に及んで死にかけ、郊外の精神病院に収監されます。自分をサイボーグだと信じるヨングンは、病院でもひときわ浮いている存在ですが、ここで観る側にひとつの疑問が浮かび上がってきます。

「彼女は本当にサイボーグではないか?」

 もちろん映画には彼女の不幸な人生が織り込まれ、なぜ精神を病んでしまったかが描かれていますし、サイボーグである必然性も特にないので、あくまでも幻想にしか過ぎないのでしょうが、ヨングンの異常な視点がたびたび繰り返され、彼女に感化されてゆくイルスン(チョン・ジフン)を観続けていると「彼女は人間なのだろうか?」という問いの方が強くなってきて確信が持てなくなってもくるのです。それは客観と主観の絶対的真理を巡る葛藤でもある訳ですが、この「思い込みによる異様な行動」が、果たして本当に異常なことなのか? 主観で判断するからこそ自分がまともで常識的だということになっているのではないか?という深い問いを投げかけて来るのです。

 今までのパク・チャヌク作品は、社会や人間の犯罪的行動に宗教的語彙を重ねて描くことで常識とされる道徳論の矛盾をあぶり出したものが多かった訳ですが、本作の場合は人の心というものが物理的絶対性の存在にはあらず、この世の事象もまた絶対的な物事ではない、という観念的な問題提起へと更に突き進んでいったように思えました。ですから、正直しんどい内容。映画における個々の記号の解釈というものは観客の自由であり、映画を観る上の楽しみでもある訳ですが、本作は全編が「本当なの? なぜ? どうして?」と観る側へ問い続けるかのようであり、受動的な快楽を求めるタイプの観客にとっては針のムシロだったことでしょう。逆に内省的考察で遊ぶことが出来る人にとっては楽しいパズルだったと思います。

 映像的には今までの残酷さは影を潜め、グラフィカル的な志向が強くなっており、絵的に面白い部分がたくさんあります。また、劇中のサイボーグには「サイボーグ009」からのイメージが引用されているので、そこら辺も日本人には愉快でしょう。特にヨングンの病院内大虐殺は、ありそうでなかったものであり、よく出来ていました。

 今回、イム・スジョンは「かわいい女の子」イメージから逸脱し、パフォーマーとしての演技に挑戦しています。かなり期待されていた「ピ」ことチョン・ジフンは、準主役としての役割に徹していて好感が持てますが、「ピ」のファンからすれば物足りないかもしれません。個人的には患者仲間ドッチョン演じたオ・ダルスが一番笑えました。このドッチョンというキャラは、髪型や動きがおかしなだけで常識的な小心の人。いわば異常と正常の狭間にあるキャラなのです。

 『サイボーグでも大丈夫』という作品は、業界的に2006年の注目作であったはずなのですが、あまりに突飛で個人的な作品になってしまったゆえ、あっという間に一般の劇場から消えてしまいました。でも、こういう作品になることは、あらかじめ分かっていたはずであって、「面白くないからウケなかった」というのとは、ちょっと違う気もします。良いか悪いか評価は二つに分かれる作品ですが、こういう映画が丁寧に作られるということ自体は続けて行くべきことだとも思うのです。


『僕の彼女のボーイフレンド』

2007年執筆原稿

 友達の友達は友達。でも恋人の恋人は恋人? 自分の恋人、妻の恋人、夫の恋人、弟の恋人、友達の恋人、その恋人はどうなるの? 広いようでせまーい男女関係を時間軸を交差させて描くトリッキーなラブコメディ。世間は本当に狭いもの。人間関係というものが偶然ではなくて必然であることを痛感させられる瞬間というのはよくありますが、韓国の場合、国土面積や人口の関係か、日本以上に世間が狭いと感じることがよくあります。巡り巡って因縁が終着する様子は、まるでヒンドゥー教の輪廻転生を垣間見るようですが、本作『僕の彼女のボーイフレンド』は、それを男女関係に置き換えたようなコメディといえるでしょう。

 自由奔放に見えるナンパ男がそれなりに真面目で、堅そうに思えた女の子が小ずるいヤリマンという構図はよくあるパターンですが、その関係を更に推し進め、「人は都合の良い事象しか観ようとしない、とくに男女関係においては・・・」という心の隘路をよく描いた作品といえそうです。でもそのことは「知らなければ幸せ」ということでもあって、映画の終わりは大爆笑であると共に、その後の修羅場を暗示していて、人によっては身に覚えのある後味悪いものだったかも。

 映画はかなりチープですが、それが軽さの味になっていて、この手の作品にありがちな、臭い似非トレンドな雰囲気はあまり感じません。派手な業界の空虚な部分というものはどこの国でも同じようなものなのでしょうし、この映画で描かれた虚栄な世界は十数年前の日本の風景をほのかに連想させ、妙な懐かしさも湧き上がってきます。同時進行している複数のエピソードを少しずつ、時間をずらして並べることで、複雑な人間関係の狭い真実を描いてゆきますが、表現のメリハリがあまりはっきりしていないので、かなり混乱気味。俳優たちも個性がクッキリというタイプではないので、人によっては途中、誰がなんだかわからなくなるでしょう。これが演出上の狙いであれば大したものですが、そうとも思えず微妙です。でも映画で求められた現代人的な軽薄さをよく体現していて、なかなかの好キャスティング。

 職権乱用でナンパに励むプロデューサー、ソッコ演じたチェ・ウォニョンは一昔前のイ・ジョンジェをより爽やかにしたようなルックスで、軽薄さと幼さ、真面目さが同居した男性特有の性分をよく体現していたといえるでしょう。彼を翻弄する女子大生チェヨン演じたキム・プルンはまあまあですが、舌足らずな話し方と天然ぶりが、韓国の若い女性をある意味反映していて結構リアルです。個人的にちょっと注目だったのは、女性カメラマン、ジヨン演じたコ・ダミ。正直、今の日本によくいるタイプのルックスなんですが、実力で勝負の自由人といった雰囲気があって、ちょっと新しい存在感の女優です。こういう女優こそ日本のドラマなどに積極的に起用して欲しいと思いました。

 監督のパク・ソンボムは短編で評価されていた映像クリエイターですが、軽くて、くどくないところが、その持ち味であり魅力なのでしょう。この監督、下手にメジャーで撮るよりも、低予算、無名俳優路線で作り続けた方が、映画作家として花開くような気がします。

 この『僕の彼女のボーイフレンド』のネタ自体は、今の日本では既に古いものかもしれませんが、ノースターの低予算だったからこそ今風になり得たという、韓国映画のトレンドに対する皮肉のような作品でもあった、といえそうです。

※ 第21回福岡アジア映画祭2007で上映


『オグ』

2003年執筆原稿

<解説>
 韓国の民衆文化を背景に、誰にでもやがては訪れる「死」を題材にした作品。演劇『オグ、死の形式』を映画化。演劇版の演出をしたイ・ユンテク自らがメガホンをとって映画監督としてデビュー。題名の「オグ」は来世の安楽を願うためにムーダン(巫女)を招いて行う儀式のこと。

 この作品の出来映えは十分以上である。監督のイ・ユンテクの手腕は手堅く確実だ。出演者の演技も巧みだし、演劇として譲れない部分は演劇のスタイルを貫き通し、映画でなければ出来ないところは、きちんと映像表現に委ねている。だが「一体誰が観に来るのか?」という点では、なんだかズレている作品でもあった。

 映画のストーリーは、生と死の奉事を通して、人生を問いかける深遠な内容だ。今の韓国では滅多にお目にかかることが出来ない、伝統的な様式美に溢れている。一見ドメステックのようでも万国に共通する題材ゆえ、外国人にも十分共感しえる物語だろう。この映画で特徴的な事は、巨根のお迎え三人衆(これは死神と表現しても間違いないだろう)、一番の新参者が、前世の想いを引きずり続けていることだ。彼と、かつての恋人との悲哀を物語に絡めて描くことで、映画はぐっと深いものになっている。ここは創作者の冴えを感じる部分である。ただ、この二人を悲劇の淵に引きずり込んだ村の若者三人衆が「僕たち心から反省しています」で終わってしまうのは納得行かない。

 今回、出演者は皆、非常にいい演技を見せている。悲劇の恋人たち、ミヨンとヨンテクを演じたイ・ジェウンとキム・ギョンイクの姿も初々しく感動的だ。真の愛情とは結ばれないから永遠である、という事を、誠実な演技で観る側の心に深く刻みつけてくれる。韓国の農村部を美しく映し出したチェ・ドゥヨン率いる撮影チームの仕事ぶりも高く評価出来る。

 今の時代、残念ながら陽の目を見ることはないであろう作品だが、朝鮮半島の文化に心ひかれる方々には是非お勧めしたい映画である。


『TUBE/チューブ』

2003年執筆原稿

 世の中には、どうも運に恵まれない作品というものがある。この『TUBE/チューブ』もそんな星の下に生まれてしまったようだ。映画自体は大変な労作だ。金浦空港を舞台にした銃撃戦は相当なものだし(ただし空港には誰もいない)、地下鉄の車両をそのまま持ち込んだであろうセットや(ただし走行中でも全然揺れない)、地下鉄構内での激しい戦闘と(ただし警察がやけに弱い)、本当だったら凄い内容なのだ。まず日本では100%撮影不可能。本家ハリウッドもびっくりの映画である。

 だが、観ている最中も観終わっても、「凄い!」とか「面白い!」とかいう感慨が全く沸き起こらない事にもビックリさせられてしまう映画である。なぜかと考えてみると、まずアクションに全く迫力がない。この手の映像に見飽きた事もあるだろうが、派手ではあっても演出のベクトルが、観客の期待する方向から明らかに外れた方向に飛んでいってしまっている。撮影技術は決して下手ではないし、映像的にもまとまってはいると思うのだが。どうも監督のペク・ウナクは、こういったアクション演出が苦手なのではないか。

 次にドラマが散漫極まりなく、全く感情移入が出来ない点である。登場人物達の人生や葛藤、動機など一通り詰まっているが、無理やり説明しているに過ぎず、突然カットバックで、だらりだらりと回想が始まる様は白けるだけ。特に女スリ、インギョン(ペ・ドゥナ)が、主人公のチャン刑事(キム・ソックン)に恋い焦がれる様子は陳腐極まりない。ソウル地下鉄司令部の様子や地下鉄運営の裏側など、本当は映画を面白くする重要なシーンのはずなのだが全く上手に使えていない。

 第三に、登場人物がひどく魅力がない。特に善の主人公である刑事チャンと、悪の主人公であるテロリスト、ギテク(パク・サンミン)はまるで棒立ち、演技がひどすぎる。キム・ソックンは「僕って、ワイルド(いまさらなヒーロー像だ)」といわんばかりの役が全く似合っておらず、演技下手もあいまって、悲愴感すら感じさせる。その哀れさが、ラストの感動を少しだけ促進させていたとしたら、なんという皮肉だろうか。また、彼のタフガイぶりも、あまりにも不自然で、いくら娯楽作だからといっても、ここまでご都合主義がまかり通ると絶句してしまう。対する悪の親玉ギテクは、諜報員崩れのインテリ・テロリストのはずなのだが、彼の仲間を含め、まるで自己陶酔した田舎のチンピラにしか見えない。映画は『ダイ・ハード』をかなり意識したような物語になっているが、『ダイ・ハード』で出てきたような悪役の魅力は、『TUBE/チューブ』のテロリスト達にはひとかけらもない。紅一点のヒロイン、ペ・ドゥナにとっては、彼女のキャリアにつまらない作品が一本加わっただけである。苦悩する地下鉄職員、事件に巻き込まれた乗客、裏で糸を引く政府高官と、一通りのキャラは勢揃いだが、「シナリオ・マニュアル通りに書きました」の範疇を越えることはない。

 唯一の救いは完成度の高いVFXだが、作品に迫力が全くないので、宝の持ち腐れに過ぎない。また、全面CGIに頼らざる得ない点も韓国VFXの辛い部分だ。

 この『TUBE/チューブ』が後世に名を残すためには、カルト・コメディとして認められる事しかないだろう。凄いシーンはあるけれど、それ以上にしょぼさが上回ってしまった退屈な娯楽大作である。


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