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Review 『タチャ イカサマ師』『頑張れ!グムスン』
『僕の、世界の中心は、君だ。』『ふたつの恋と砂時計』

Text by カツヲうどん
2006/12/24


『タチャ イカサマ師』

 この映画は、現代韓国で最も評価が高い漫画家の一人、ホ・ヨンマンの四部からなる大作漫画『タチャ イカサマ師』の中の第一部『智異山の飼い葉切り(藁を切る刃物)』を映像化した作品です。監督のチェ・ドンフンは『ビッグ・スウィンドル!』で一躍注目を集めたので、今回もトリッキーな企画になるのかな?と予想していたのですが、『タチャ イカサマ師』はいい意味で泥臭く、真正面から勝負を挑んだ映画に仕上がりました。

 映画は139分と韓国映画では珍しい長尺。8部構成で成り立っていますが、スピーディーにポンポン進むため、あまり退屈しません。逆にはしょり過ぎて軽薄、物足りない印象を受けますが、主人公のゴニ(チョ・スンウ)が詐欺賭博師になってから話はぐっと重みを増して、なかなか見所のあるドラマへと変化してゆきます。

 韓国で「花札」といえばそれこそ国民的人気のカードゲーム、日本でいえばパチンコのようなもの。もちろん賭博はご法度なんですが、昔は街の昼下がり風景としてよく見かけたものでした。最近は警察の摘発が激しいためか、完全に地下に潜ってしまったようですが、形を変えて携帯電話で花札をやっている老若男女の姿は韓国を訪れた人も良く見かける風景だと思います。この映画で取り上げられた「イカサマ師(韓国語では[タチャ 타짜])」とは、あれこれと技を繰り出して、賭博師からお金を巻き上げる存在。基本的には花札賭博の世界を描いてはいますが、博打の技術的詳細情報よりも、命を賭けて裏人生にエネルギーを注ぎ込むアウトローたちの生き様を描いているので、花札愛好家でないとついてゆけない、ということは全くありません。逆に、ヤクザが一般人を集めて開かれる賭場の様子がリアルに描かれていて、そこら辺に一種の風俗物としての面白さがあります。

 ただ、長い原作を忠実に消化しようとしたためか、ダイジェスト版のようになっている印象は否めなくて、アウトローたちのギラギラした執念とか、賭博師として生きてゆくことの怖さ、空しさといったものはあまり感じられませんでした。特に、伝説のイカサマ師、ピョン・ギョンジャン(ペク・ユンシク)とゴニのドラマは申し訳程度の描き方なので、ちょっと肩透かしな感さえあります。ペク・ユンシクは最近、似たような役ばかり演じていますが、こういうキャラクターがはまる俳優って韓国には意外といない、ということでしょうか。

 今回、最大の悪役でもあったチョン夫人演じたキム・ヘスも、最初は物足りない印象を受けますが、物語が進むにつれて、彼女の持つ持ち味が出てきて、映画に重みを加えて行きます。ただ、女を武器に男を手玉に取る凶悪女を演じるには年齢的にちょっと若すぎたし、健全すぎたかな、というのが率直な感想でした。

 さて、主役を張ったチョ・スンウはどうだったでしょうか? 正直なところ、今回は完全なミス・キャストだったと思います。彼の持つ朗らかなイメージを覆すことが出来なかった上、アウトロー特有の暗さ、怖さが全く出ておらず、映画の途中から突然消えてしまったりと、主演としての存在感はまったくありません。彼は若手としては結構キャリアを積んでいるはずなんですが、昔より演技も大味になってきているように見えて仕方ありませんでした。以前の『下流人生〜愛こそすべて〜』と同じく、こういうアウトサイドな役は向いていないのではないでしょうか。今後年齢も重ねていくと、今現在のような健全なイメージだけでは俳優としてもっと苦しくなってゆくでしょう。暗く湿った雰囲気、そして腐臭を漂わせられるようになれば、ぐっと株も上がるのですけどね。

 原作者ホ・ヨンマンの漫画作品群は、テレビにドラマにと韓国では引っ張りだこですが、強力な原作だと、どうしても映画では自由なアレンジが出来なくなる傾向があります。『タチャ イカサマ師』も、二部、三部化するつもりで、もっと各々のエピソードを掘り下げて欲しかった映画でした。


『頑張れ!グムスン』 (再掲)

 ペ・ドゥナの魅力全開、と言いたい所だが、正直なところ彼女がいたからそこそこ観られる出来映えになったと表現した方がピッタリの不発なコメディだ。ただし、主人公チョン・グムスン(ペ・ドゥナ)と、夫のハン・ジュンテ(キム・テウ)の生活描写は、現実感に溢れており、若夫婦、新米ママのドタバタ奮戦記として観れば、まあまあよく出来てはいる。

 問題なのは、他の主要キャストが大変弱い点だ。特にヤクザの抗争を巡るドタバタは、かなり浮いており、しらける展開となっている。ヒロイン、グムスンがバレーボールの名ストライカーだった背景も、こだわって描かれていないため、諸々の伏線がかなり弱くなっている。彼女の人生がもう少し描かれていれば、もっと笑えて感動できる映画になっていたと思うと、残念でならない。

 グムスン役のペ・ドゥナは、個性と演技力とエネルギーの全てを備えた、希有な女優である。この作品もまた、文字通り「グムスン=ペ・ドゥナ」が全てを牽引していくのだ。実際の彼女もキラキラと輝く圧倒的に魅力的な人物であるという。夫役のキム・テウは、韓国のダメ男をやらせたら、まずはベスト10に入る俳優だ。ぐでんぐでんに酔っぱらった、だめサラリーマンぶりは、彼の個性派としての真骨頂なのだが、役柄の人生や日常生活が力を入れて描かれていないため、人物の厚みと真実味が失われている。若手サラリーマンゆえの哀しみがきちんと描かれていれば、映画の出来もぐんと向上した事だろう。二人の愛娘役は本物の赤ん坊だ。赤ん坊と動物ほど、コントロールの難しい俳優はないにもかかわらず、本作品では非常に巧く使われており、これだけは感心した。

 夜の街でヒロインを追いかけ回すヤクザ連中に、ダメ夫を人質に取る悪質サロンの連中と、敵役の俳優たちは、皆魅力が乏しく、つまらない事この上ない。こういう部分こそ、主演クラスのキャスティングをすべきなのだが、ペ・ドゥナにギャラを払いすぎたのだろうか。手抜きといわれても仕方ない部分である。良くも悪くも、ペ・ドゥナあっての映画となってしまったようだ。



『僕の、世界の中心は、君だ。』 (再掲)

 この作品、日本の小説『世界の中心で、愛をさけぶ』を韓国で映画化した作品ですが、おそらくクリスマスにあわせた突然の公開、著名なスターの主演作であり、もっと宣伝してもいい作品なのですが、韓国では本当に「こっそり」といった感じに公開されました。『世界の中心で、愛をさけぶ』の映画化である、ということもまるで隠すかのようで、韓国の映画ファンでも、その事を知らなかった人が結構いたようです。

 私は原作を読んでいないので小説との比較は出来ないのですが、行定勲監督の映画やテレビ・ドラマ版と比較した場合、かなり忠実な映画化なのではないでしょうか? 主演の二人が高校生を演じるには年齢的にかなり無理はありますが、観ている内に全く気にならなくなりますし、韓国・全羅南道の風景も、日本版とは違って活気が感じられ、現地の明るい日ざしとあいまって、実に健康なメロ・ドラマになっています。

 韓国版の改変で優れていたと感じたのは、主人公の祖父が町の葬儀屋になっているところです。それゆえ祖父の悲恋は日本版よりも一層切実で胸にしみいるエピソードになっていますし、ヒロイン、スウンが死から逃れられないとわかった時、いつもは何気ない日常だった祖父の仕事場が、主人公スホにとって全く別の意味を持ち始めるところは見事といえるでしょう。

 主人公スホ演じたチャ・テヒョンは、なかなかの好演です。日本版の主人公はどちらかというと暗くネガティブな印象のキャラクターでしたが、俳優チャ・テヒョンの持つ明るい三枚目のイメージが映画をカラッとしたものにしていて、救いのある話に仕上げています。ヒロイン、スウン演じたソン・ヘギョも今回の映画の雰囲気にぴったり。彼女は劇中、高校のマドンナとして男子生徒の憧れの的ですが、全く嫌味を感じません。「クラスメートにこんな子がいたら、大人気だろうな」と納得出来る配役です。このキャラクターは、日本版のヒロインに比べると、大人しく淑やかなキャラクターになっていますが、私としては韓国版の方が自然な印象を受けました。

 最後は「世界の中心」ならぬ「全羅南道の先端で愛を叫んで」幕を閉じますが、原作に無理に合わせず、あくまでも映画の舞台を韓国の地方の一地域にだけで収めたことは正解だったと思います。日本版とは全く別の、全編に漂う健全さや明るさは、韓国を舞台に、韓国人スタッフの手で製作したからこそ生まれたのでしょうし、堂々と日本の小説の版権を獲得して、オリジナルともいえる好編を作りあげたことも高く評価すべき作品です。


『ふたつの恋と砂時計』 (再掲)

 ハ・ジウォンという女優がアイドル的存在であったとすれば、そしてアイドル的存在が「普通の人ではない」ということであれば、この映画は「反アイドル映画」を目ざしたのかもしれない。だから、ハ・ジウォンのファンからすれば期待外れだったろう。

 ストーリーは、ジーン・ウェブスターの古典小説『あしながおじさん』にヒントは得ているものの、あくまでもイメージの借用といった感じで、内容的に関係はない(本作の原題は『あしながおじさん』)。

 この作品最大の特徴は、駆け出しの放送作家ヨンミ演じたハ・ジウォンにしても、相手役ジュノ演じたヨン・ジョンフンにしても、ヨンミのルームメイト、ジョンジョン演じるシニにしても、誰かを演じている、というよりも、彼らの素に近い印象を受ける役作りをしていることだろう。コン・ジョンシク監督は、彼ら俳優たちが仕事の合間に見せる、素顔の部分を大切にした演出を心がけているかのようだ。ただし、そういった俳優自身の持ち味を引き出したという点では優れていても、映画自体が優れているかどうかは、全く別だ。

 支離滅裂で散漫な構成は、観客が映画に集中出来なくなるには十分過ぎるほど、ひどい。劇中、Eメールに残された悲恋が同時進行して行く構成になっているが、これがヨンミを巡る現実のラブ・ストーリーを不明瞭にしており、結果的にはなんだかよく分からない物語で終わってしまう。また、この作品を観て、ペ・ドゥナ主演の『春の日のクマは好きですか?』に非常に似た印象を受けたのは、私だけではないだろうと思う。基本的には全く異なる話だから、安易に盗作うんぬんというべきではないが、釈然としない。また、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』のような日本の流行恋愛小説(および映画化作品)とも、物語の構造が非常に似ているところは、企画時にだいぶ研究したのかな?とも思わせた。

 はっきりいって、この『ふたつの恋と砂時計』は失敗作だ。特にお勧めできる魅力もない。ただ、出演している個々の俳優が好きな人には、心に残る作品かもしれないし、『春の日のクマは好きですか?』のように、日本の観客の共感を呼ぶ可能性はあるかもしれない。


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