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Review 『吸血刑事ナ・ドヨル』『サンデー・ソウル』
『走れ、薔薇』『クレメンタイン』

Text by カツヲうどん
2006/4/23


『吸血刑事ナ・ドヨル』

 現在の韓国映画における大きな問題の一つとして「武器となるコンテンツがない」ということがあげられます。日本でいえば「ゴジラ」や「ホラー」、「アニメ」といった、国際的に「ああ、あれね」という感じのものが、韓国ではまだありません。特有のコンテンツ・ブランドがない、というのは、財産がないのと同じことで、今はよくとも明日はどうなるか全くわからないわけです。

 最近の韓国では、コメディに関して続編を積極的に作ろうとする傾向がありますが、これも、コンテンツ戦略の一端でしょうし、特定の監督や俳優が、輸出向けのブランドとして機能しはじめていることも同様でしょう。日本では韓国の映画やドラマが、さも世界を驀進しているかのような報道がされがちですが、「一時の勢い」のような段階でしかないことも事実であって、最近のスクリーン・クォーター制度緩和に対して韓国の映画人たちが抗議のパフォーマンスを繰り広げているのは、そういった現状に対する不安感の現れでもあるのです。マスコミは「韓国の作品が、外国で大人気!」と大げさに報道し、スターたちもギャラのボッタくり状態ということだけを見ていると、韓国の映像業界は、さも盛況のようにも見えますが、現実はもっと醒めているのではないでしょうか。

 『吸血刑事ナ・ドヨル』という作品も、長期的コンテンツ戦略を意図した企画だったと思われます。内容は完全に続編を前提とした作りになっていて、キャラクターの設定もよく考えられています。予告編やパブリシティ記事を読むと、あまりにもベタな内容なので、ひいてしまう人もいるでしょうが、アメコミにおけるスーパー・ヒーローのパターンをきちんと踏襲していて、定番キャラクターを生み出そうという努力が映画からは感じられました。冒頭に出てくるドラキュラのイメージがあまりに安っぽいので、これにはがっかりしましたが、ナ・ドヨルが決して完璧な吸血超人ではなく、その能力発揮に制限があったり、彼を支えるオカルト専門のカソリック神父がいたりと、今後の展開に向けた伏線があちこちにひかれていますし、ナ・ドヨルが現世の暮らしを捨てて、闇の世界で正義を執行していこうという決意をするラストも、バットマンのようではありますが、結構いい線いっていたと思います。

 主演のナ・ドヨルに抜擢されたキム・スロは、映画デビューが意外と早く、1993年の名作『トゥー・カップス』が初出演となっていますが、本格的に注目されたのは、やはり1999年の『アタック・ザ・ガス・ステーション!』の出前持ち役でしょう。『シュリ』でも北朝鮮工作員の一人として出ていますが、あまり目立つキャラではありませんでした。彼はそこそこ個性があっても、器用なタイプの俳優ではなく演技も大味。今回観た限りでは「主演としてちょっと厳しいかな」とは思いましたが、本作がシリーズとして続くことが出来れば、それなりにこなれてくるでしょう。ただ、イ・ムンシクやソン・ジルといった脇役から主演に昇格した演技派に比べると資質が弱く感じるので、サブ・キャラクターに誰を持ってくるかが、「ナ・ドヨル」がシリーズとして生き残れるか否かの鍵になってくると思います。

 彼をサポートするピオ神父演じたオ・グァンノクは貧相なルックスが特徴の俳優ですが、とても味があります。『春の日のクマは好きですか?』や『オールド・ボーイ』にも出演していたので、心当たりのある人も多いはず。また、韓国はキリスト教文化がかなり浸透している社会でもあるためか、ピオ神父というキャラクターに全く違和感がなかったことが意外でした。しかし、この映画、真の主役は、なんといってもオカマのヤクザ、タク・ムンス演じたソン・ビョンホです。彼は悪役としてマンネリ化しつつあったのですが、彼にオカマのキャラクターをオファーした製作側の意図は大当たりでした。『吸血刑事ナ・ドヨル』といえばソン・ビョンホですよ、絶対に。

 この『吸血刑事ナ・ドヨル』は、『ロスト・メモリーズ』で商業デビューしたイ・シミョンの第2作にあたりますが、この監督の名前を聞いたときの感想は「コメディをほんとに撮れるの?」でした。なぜなら『ロスト・メモリーズ』が、ユーモアのかけらもない、生真面目な演出ぶりで、遊びの余地というものが全く感じられなかった作品だったからです。またこの監督、どうも省略することが出来ない性分のようで、とにかく物事の進行を丹念に、くどく描く傾向がありました。今回の作品において、そういった部分がどうなっているかが気になる点の一つだったのですが、生真面目で長い、という特徴は『ロスト・メモリーズ』そのまんま。コメディであったのは、ほんの最初の部分だけ、あとはシビアなドラマが展開して行きます。監督の個性を考えれば、いっそのことシリアスなドラマにした方が良かったと思うのですが、『吸血刑事ナ・ドヨル』というジャンル物企画が成功するためには、まだまだ韓国という国ではコメディである必要性があったのでしょう。『吸血刑事ナ・ドヨル』は、これ一本だけでは、ぱっとしない作品ですが、今後、シリーズ化することで、魅力的なものになる可能性は十分あると思います。とりあえず、続編に期待しましょう。


『サンデー・ソウル』

 この作品、一見ジャンル不明の怪作ですが、「意図に反してそうなった」というよりも「意図してそうなった」といった感じで、よくあるトンデモ系映画とは、ホンのちょっと違う印象を抱きました。監督のパク・ソンフンが企画・製作・シナリオも兼ねている、ということですから、出来うる範囲でやりたい放題。学園祭で上映された8ミリかVTR作品のようです。上映時間が95分と非常に短いにもかかわらず、観ていて3時間を超えるような退屈さとイライラを覚えました。監督のイメージをそのまま構成したような内容、といえば格好はいいのですが、これでは実際、配給側も扱いに困っただろうし、観に来た観客も「???」だったと思います。キャスティングは豪華なんですが、ちょっと楽屋落ち過ぎたりして、日本ではあまり一般的ではないでしょう。

 映画は基本的に「狼人間」「サイコキラー」「少林寺」のエピソードが、ばらばらに並べられていて、それぞれが古今東西のB級作品へのパロディでもあるのですが、「そのまんまだろ」と突っ込みを入れたくなる程度。しかし、おバカ映画と片付けるには、あまりに妙に高尚な内容だったりもします。「狼人間」のエピソードは、密かに人間社会で暮らす狼人間の苦悩を描きますが、主演のポン・テギュが嘔吐するシーンだけが、異常に凝ったカメラワークである以外、何をやりたかったのか、よくわかりません。「サイコキラー」は、連続殺人犯最後の相手がアンデッド一家だった、という奇妙なお話で、一番まともな出来映えです。被害者の若い女性のカバンの中から、スルメが一枚出て来るところだけが笑えますが、やっぱり何をやりたかったのか、よくわかりません。最後の「少林寺」は、一番お金がかかったと思われるエピソードです。個人的にちょっとだけ面白かったのは、主人公「台風(キム・スヒョン)」がホンダ製50ccスクーターの後ろにいつも引いている棺桶。これ自体の元ネタはあまりにも明白ですが、問題なのは中に入っているもの。その明かし方、中身ともにあまりの脱力系で笑えました。しかし、このお話も何をやりたかったのか、さっぱりわかりません。タヌキ顔のヒロイン、イ・チョンアが、すっかり綺麗になっていたことだけが驚きでした。

 この『サンデー・ソウル』、つまらないの一言で切り捨てられる映画なんですが、「一体、なにをやりたかったのだろう」と邪推すると、「高度な実験をやりたかったのでは?」という考えが浮かび上がってきます。そのヒントとなるのは、エピソードとエピソードを繋ぐ映像処理。ワイプやフェードの代わりに、漫画のコマ割りを模したアニメーションを使っているのですが、監督のパク・ソンフンは、マンガを拾い読みする感覚を映画で再現できるかどうか、試してみたかったのではないでしょうか? そう考えると各エピソードがてんでバラバラであることも、自ずと説明がついてきます。コミックと映画の手法的融合を試みた、深い意図に支えられた作品だったのかもしれません、と、とりあえず結んでおきましょう。


『走れ、薔薇』

 一般的にインディーズと称される映画を日韓の違いで考えると、日本側は非日常を、韓国側は極日常を描こう、という傾向が強いように見受けられます。小説でいえば、韓国インディーズ作品は私小説の趣。この『走れ、薔薇』もまた、そういった作品の一つといえます。

 男の主人公ナムデが映画監督志望の青年であって、女の主人公ヨンミが教師志望である、という点は「また監督の私生活?」といった感じで、監督自身の人生経験に対する洞察力の狭さを見せられるようで、正直いってうんざり。キム・ウンス監督の前作『秘密−Desire−』は、拷問にかけられているような退屈な作品でしたが、異国文化で養われた視点というものが確実にあったと思います。しかし、今回の『走れ、薔薇』は、商業ベースを半端に念頭おいた作品になってしまったためか、監督独自の個性がかなり薄れてしまっていたように見えました。

 映画は基本的に三部構成になっていて、マンネリ化した夫婦生活を活性化させようとする第一部、精神的に満たされないヨンミを描いた第二部、離婚したナムデとヨンミが再会する第三部、二人の後日談を描いたエピローグから成立しています。どれも韓国的な日常を描いてはいるのですが、こだわりの姿勢が萎縮してしまったようでもあり、第三部に出てくる、韓国の商業中心主義の映画界に対する皮肉も、なんだか後ろ向きな感じがして、逆にいやーな気持ちにさせられました。

 ヒロイン、ヨンミ演じたチェ・バニャは、たくさんの映画に出ているので見覚えのある方も多いとは思いますが、個性的な顔立ちの割には「何に出ていたっけ?」といった感じで、それだけバイ・プレーヤーに徹した女優なのでしょう。こういう役柄こそ、売り出し中のもっと若い女優に挑戦してもらいたいと思うのですが、難しいのかもしれません。ナムデ演じたキム・テフンは、昔のキム・テウをちょっと連想させるルックスで、生きることが下手な映画監督志望の青年を好演しています。テフンのキャラクターもまた、キム・ウンス監督のドッペルゲンガーなのかもしれません。

 『走れ、薔薇』は、鍾路のランドマークでもあるタプコル公園の隣、旧ハリウッド劇場があったビルに移転した後のシネマ・テーク「フィルム・フォーラム」で上映されましたが、ここは今の韓国では消滅しつつある古き良き面影を持った建物と場所であり、劇場施設は古いものの、往年の名画座といった感じで、決して悪くありません。鍾路に移転したことで外国人も行きやすくなったと思います。上映可能な旧作韓国映画についても、積極的に上映していくようなので、近所のシネコアも含めて、韓国のシネコン巡りに飽きた方は一度行ってみてはいかがでしょうか? 地下鉄三号線「鍾路三街」もしくは「安国」、地下鉄五号線「鍾路三街」とどこからでも歩いて行くことが可能です。


『クレメンタイン』

 「観客不在」の形容が相応しい、ズレにズレた珍作だ。もっとも、映画の出来自体はそれなりに手堅く、決してヒドイ映画とも言い切れないので、とんでも系カルト映画になる道は難しい。また、テコンドーを表に掲げている事も、ちょっと集客の面で問題だろう。なぜなら、韓国の男性諸君からすればテコンドーは嫌でもやらせられるスポーツ(特に兵役時代)なので、日本人が考える以上に、潜在的テコンドー嫌いは多いのではないだろうか?と思うからだ。

 物語は一見、昔のアメリカや香港映画によくあった、格闘系暗黒アクションのように見えるが、実際は家族の絆を高らかに謳い上げたメロ・ドラマである。見所になるはずだった、無差別異種格闘戦は申しわけ程度にしか出てこないし、スティーブン・セガールの出演もオマケ程度、しかも、ただでさえ短いアクション・シーンは、TVドラマ並みのショボさなので、格闘アクションとしての価値はゼロに近い。

 「後援」という名目で、韓国のテコンドー団体の名前があることから、そこから資金提供がなされているのかも知れない。だが、この映画を観て一体何人「僕も私もテコンドーをやりたい!」と感じるかは、はなはだ疑問だ。なにせ、劇中のテコンドーは、ちっとも格好良くなく、ちっとも強くないからだ。映画はラスト・クレジットのタイトル・バックに、テコンドー競技大会で技を競う子供たちの姿が、ロング・ショットで映し出されて終わるが、出資者に対する言い訳のような、ずるい終わり方だ。

 主演の刑事スンヒョン演じたイ・ドンジュンは、かつてテコンドーのチャンピオンだっただけあって、動きに嘘はないし、蹴りの切れ味はさすがである。それに、脇役だったら、いい味を出しそうなキャラの持ち主でもある。だが、主役を張るのは、かなり無理があった。実際の主役は、女検事ミンソ役のキム・ヘリ(『千年湖』)と、娘サラン役の怪童ウン・ソウ(『ボイス』)の二人だろう。しかし、この二人目当てに、映画を観に来る人間は、相当のマニアか重度のファンだ。大物ゲストという事で、それなりに話題になったスティーブン・セガールも、それほど人気があるとは思えない。

 そして、この映画を観ていて、はたと気づいた事が一つあった。テコンドーにしても、柔道にしても、スポーツとして統合、ルール化された格闘技をそのまま並べてみせても、映画として全く面白くないのではないか、ということだ。伝統的国技であることも、日本の大相撲がそうであるように、関係団体からの規制が色々と多い事も考えられるので、仕事がやりにくかった、という背景が、この『クレメンタイン』にもあった事は、十分考えられる。

 かつて、日本の周防正行監督は「大相撲」ではなく「学生相撲」を描くことで、『シコふんじゃった。』という傑作コメディを作り上げたが、『クレメンタイン』は、真面目すぎ、一直線過ぎて、家族メロ・ドラマと中途半端な刑事ドラマに、逃げざる得なかったようだ。


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