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Review 『血の涙』『風の伝説』
『君に捧げる初恋』『天国からのメッセージ』

Text by カツヲうどん
2006/2/18


『血の涙』 ★★★

 この映画は正直いって、なんだかよくわからなかった。派手な出だしに、凝りに凝ったディテール、微妙な時代設定と、作り手の意欲はひしひしと伝わっては来る。しかし、狭い島の中、限られた人間たちの間で繰り広げられるドラマは退屈で、さっぱり先に進まない。話がよくわからなかったのは、言葉の違いが一番だが、『JSA』や『殺人の追憶』は、そんなことが全く無関係だったから、ミステリーを題材にした映画としては、やはり失敗だったと思う。

 一番の問題は、内容が過剰にテンコ盛りのわりには構成が雑で、ミステリーの部分と人間ドラマの部分がきちんと整理されておらず、重要な登場人物の書き分けも全く出来ていなかった事だ。結果、物語は複雑に入り組んだまま、誰がなんだかよく分からないまま、結末に向けて強引に突き進んでしまう。話の核心を冒頭に持ってくる構成は、それなりにショッキングだが、それをやってしまったから、ミステリーとして尻つぼみになった感じがする。もっと、オーソドックスに話を組み立てるべきだったのではないか?

 この映画の売り物の一つ、凝った残酷描写も、一般公開出来るよう、かなりブレーキをかけているが、惨いばかりで「残酷美」には程遠く、しかも執拗なので変質的な印象を受ける。この作品もまた『永遠なる帝国』と同じように『薔薇の名前』の影響下にあることは明らかだが、それゆえオリジナリティも薄い(一見、両者とも魅力的なのだけど)。

 キャスティングも半端。『リベラ・メ』以来、久しぶりのシリアスな役を演じたチャ・スンウォンは、三枚目に徹する前の大根役者時代に戻ってしまったような演技だし、他のキャストも、それなりに個性の強い俳優を起用しているのに、誰が誰やらよくわからない。女優陣が良くないのも問題で、彼女たちにもっと強い個性があったならば、映画の魅力はもっと増していただろう。男たちのドラマといわれてしまえばそれまでだが、悲恋がドラマの大きな鍵を握っているのだから、やっぱり致命的だ。

 凝った美術には大変な熱意を感じるが、限定された狭い世界での話なので、映画自体へのおもしろさには繋がらない(ただ、当時の朝廷御用達の製紙業を克明に描いていて、映画とは別な意味で、いい仕事はしていると思う)。

 しかし、映画を観終わったあと私はちょっと考えた。「監督のキム・デスンは、本当にミステリーとしての面白さを狙っていたのだろうか? 心の奥底では別のところに目的があったのではなかろうか?」と。映画は、何が面白いかといえば、決して作者側のコントロール通りにならないことだろう。監督が表向き狙った事とは別に、潜在的に考え続けた想いが、予期せず映画に噴出してしまうことは、しばしばあり得るし、表向きのテーマでは失敗していても、監督の情念が発現してしまうことが、たびたび起こりうる。この『血の涙』にも、そうした相反するテーマがあったのではなかろうか。それは何かといえば、キム・デスン監督が持つ「保守的な因習や社会」への「怒り」であり「憤り」であり、同監督のデビュー作『バンジージャンプする』に込められていたものと、大きく共通するものだ。

 『バンジージャンプする』を初めて観た時、私が衝撃を受けたのは、韓国社会が持つ許容性の狭さを、露骨に猛烈に批判し、そこからは激しい「怒り」と「憤り」が、ほとばしっていたからだ(私がこの作品を、単なる「ホモ映画」とか「純愛映画」とかで片付けたくない理由はそこにある)。この『血の涙』もまた、時代こそ大きく違っても、道徳律や社会的規律といった建て前的な秩序理論に抹殺される個人の悲劇が描かれており、両作品の奥底は実は繋がっているように見受けられる。主人公の武官ウォンギュ(チャ・スンウォン)が、厳しかった父親から受けたトラウマから逃れられないこと、そういう父の影響を疎ましく思いながらも、自身、同じような道を辿らざる得ない姿は、保守の呪縛に苦しめられ、本音と建て前の狭間で悩む現代韓国人の暗喩のようでもあり、形は異なるが、『バンジージャンプする』でイ・ビョンホン演じた主人公の苦悩とも重なるもののように思える。

 『血の涙』は、伝奇ミステリーという形をとってはいるものの、時代背景が李氏朝鮮時代の後期であり、舞台となる島が排他的かつ保守的な厳しい階級社会で成り立った世界であることに、キム・デスン監督の狙いが見え隠れしている気がした。半島の封建時代というものが、どういうものであり、その負の部分が今の韓国にどう影響しているか、また、そのことを今の韓国人がどう考えているかを、彼らは外国人に対して語りたがらないので、我々日本人には非常にわかりにくい。しかし、『血の涙』は、そういった隠されたものの一端を示している異色作ではあると思う。現代の韓国を通して半島の歴史や人々の考え方に関心をもたれた人には、色々とテーマを投げかける作品だろう。


『風の伝説』 ★★

 この映画は、シナリオがかなり面白くなる可能性を持ったものだったのだろう。構成も複雑だが、決して難解ではない。だが、作品は残念ながら中途半端に真面目な、煮えきらないものとなってしまった。監督のパク・チョンウは『アタック・ザ・ガス・ステーション!』『風林高(新羅の月夜)』『ジェイル・ブレーカー』など、近年ヒットしたコメディに脚本家として参加している人物だが、自身が脚本を書いているためか、生真面目で融通の効かない印象のある演出ぶりである。そういう意味では脚本と演出の必要とするセンスの相違を考えさせる作品だ。

 映画は基本的には、抱腹絶倒のコメディを目指した内容なのだが、可笑しいシーンをさらりと流してしまい、個々人の悩みを延々と描く事で人物像を掘り下げようとする手法が、全てをどっちつかずにしてしまい、映画自体のリズムも崩してしまっている。そして致命的なのは、ダンスシーンが音楽を含め全く魅力がないことだ。この作品を作る際、どうしても日本映画『Shall We ダンス?』との比較は免れないから、意識的にしろ無意識的にしろ、パク・チョンウ監督が自分のオリジナルを狙っているのはよくわかる。だが、踊りも、その曲目もワン・パターンで退屈だし、ドラマも主人公たちがつまらない人々なので、その生き様に感動も面白さもないのである。

 ダンスの曲目に関しては、個人の好みもあるので一概には言えないものの、アメリカのオールディーズや映画音楽ばかり延々とかかっている様子は、まるで一昔の小学校運動会のようで安っぽい。特にラスト、香港ロケを行った決めのダンス・シーンは、曲目が映画『ディア・ハンター』のカバーなので、個人的にはなんとかして欲しかったところだ。

 ダンス映画なのにダンス・シーンに魅力がない、というのは困った事だが、出演俳優達は踊るために大変な努力をしている。だから非常にもったいない。この作品で一番の見所は、主人公プンシク(イ・ソンジェ)がダンス修行で全国を行脚するところだろう。ここは確かに愉快に仕上がっているのだが、各地のダンス隠れ名人(=元ダンス・ジゴロ)が皆、韓国社会で、ろくな人生を辿っていない、という部分が、韓国の職業偏見を表しているようでもあり、ちょっと不愉快だった。確かにヒモ(=燕)稼業は倫理に反する事ではあろうけど、きちっと彼らの人生も描くべきだろう。

 プンシク役のイ・ソンジェは、痩身で誠実そうな印象が、求道的なダンサーのイメージによく合うが、映画のキャラクターに元々魅力がないのでパッとしないままだ。もっと積極的な目的を持って生きる人物を演じて欲しかった。残念である。プンシクの旧友マンス役キム・スロは全くダンス・ジゴロに見えず、完全なミス・キャストだ。どうせなら、エアロビの教師をやりながら、ヒモ稼業に精を出す役の方が、彼にはよく似合っただろう。プンシクの最初の師匠、パク老人を演じたキム・ビョンチュンも、本来は面白くなる場面を、映画はあっさり通り過ぎてしまうので、その魅力を発揮する前に出番が終わってしまう。ヒロイン、警察官のヨヌァ演じたパク・ソルミに注目する日本のファンも多かっただろう。だが、彼女はヒロインのようでヒロインではなく、単なる脇役、プンシクの話を聞いているだけの役にしか過ぎない。彼女は顔立ちこそ派手ではあるが、本人の個性自体は地味な女優なので、あまりこういう作品は似合わないのだろう。

 『風の伝説』は、韓国のダンス・ジゴロを扱った作品であり、日本の『Shall We ダンス?』とは全く異なる作品だ。だから両者をああだ、こうだと比較しても意味はない。ただ、はっきり言えることは、後者のような面白さも感動もない、という事である。


『君に捧げる初恋』 ★★

 チャ・テヒョン、ソン・イェジン、ユ・ドングンと、ヒット作品で人気と注目を集めた出演者たちが勢揃い。一見期待大の作品だが、映画は大仰なだけで、中身はなく、がっかりの出来映え。製作の裏側で行われた「こうすれば観客に受けるだろう」といった論議が聞こえて来そうなシーンの寄せ集めのような作品である。

 反面、主演三人組の良さは決して損なわれておらず、ご贔屓の俳優が目的なら、それなりに観る価値はあるだろう。主人公のテイルを演じるチャ・テヒョンは今回、従来のイメージを覆すような大胆な役作りに成功している。テイルは、攻撃的で乱暴だ。非常に我が強く、粗雑で力強い。それは、チャ・テヒョンが今まで演じていた「へなへな/優柔不断/優しい」といったイメージとは全く異なるものであり、まるで別人のようだ。ヒロインのイルメを演じるソン・イェジンは、今回一番損をした俳優かもしれない。なぜなら彼女はアイドル扱いが実に似合わない女優であることが、今回はっきりと分かるからだ。彼女のビキニ姿に喜ぶファンもいるだろうが、やはり彼女は古典的な役柄でこそ、本領を発揮する資質の持ち主だと思う。残念ながら今回は一番のミスキャストだ。

 カリスマ然とした高校教師ヨンダル役のユ・ドングンは、相変わらずの芸達者ぶりをみせる。今回は少々洗練されてしまったきらいがあり、前作『大変な結婚』の、あまりにも濃すぎた名演技を思うと、かなり物足りないだろう。ただし、本作品でも「天才的」と評された名アドリブは十分堪能出来る。今回はあくまでも、若手二人のバックアップに徹したかのような役作りだ。実生活では、事業家としても多忙な日々を送っているユ・ドングンは、本来はダンディな人物なのだろう。

 この『君に捧げる初恋』は大して面白くないし出来も悪い。『猟奇的な彼女』や『同い年の家庭教師』の感覚を期待すると、200%裏切られるだろう。だが、チャ・テヒョンのファンには必見の作品であると共に、彼の持つ俳優としての素晴らしさを知るのには、非常に参考になる作品である。


『天国からのメッセージ』 ★★★(再掲)

 韓国映画の優れている部分は、他人にどういわれようと、ハリウッドのセンスを率直に取り入れてしまうことだろう。また、そのスタイルがそれなりに馴染んでしまうところも、日本と大きく違うところである。この『天国からのメッセージ』もそういった応用を利かせた韓国映画らしい娯楽作だ。映画は基本的に明るいホーンテッド・ハウス物で、『ゴースト ニューヨークの幻』のネタをかなり取り入れているが、実質、韓国版お笑い『シックス・センス』になっているところが、ちょっとだけ目新しい。

 ただ、映画の出来は悪くないものの、あっさりと淡白で、かつてのキム・サンジン調を思えば、物足りない内容になっている。主役のピルギ演じたチャ・スンウォンは、毎回おなじみの個性的な三枚目ぶりで笑わせてくれるが、心なしか元気がなく、全体を引っ張って行くには今回、力が少し頼りなかったようだ。ヒロインのチャン・ソヒも、日本人好みの可愛い女優だが、映画のヒロインとしては、ちょっと役不足の感がある。

 この映画最大の見所は、ピルギが大量のニワトリに襲われるシーンだろう。合成を多用せず、本当にひしめくほどニワトリを用意したスタッフのこだわりは称賛ものだし、ちゃんと効果が出ている。こういう点は原点に立ち戻る意味で見習うべきことだろう。幽霊と現世の関わりも、非常に真面目に描かれているため、決して安易なドタバタになっていない点も高く評価すべき部分だ。

 監督のキム・サンジンは、1999年の新感覚コメディ『アタック・ザ・ガス・ステーション!』で大ヒットを飛ばし、一躍トップに駆け登った監督の一人だが、最近はパワーもインパクトも衰え、スタイルも古臭くなり、冴えなくなってきている。後輩を指導する立場になったことも大きいのだろうが、時代のうつろいを象徴しているようで、ちょっと寂しい気がした作品でもあった。次回は思い切り、俳優たちを暴れさせて欲しいものだ。


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