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Review 『台風太陽〜君がいた夏〜』

Text by 井上康子
2005/6/26



 6月2日に韓国で公開された『台風太陽〜君がいた夏〜』を観た。チョン・ジェウン監督の長編デビュー作、若い女性たちが社会で感じる希望や葛藤を描いた『子猫をお願い』をこよなく愛する私は、2003年9月に開催されたアジアフォーカス・福岡映画祭に、『もし、あなたなら〜6つの視線』のゲストとして来日したチョン監督にインタビューするという幸運に恵まれ、その時に次回作であった本作品についての監督の構想を聞くことができた。今度は若い男性を主人公にして、Xゲームとか、スポーツを題材にして新しい若者の文化を描きたい、彼らは一種の青年失業者の第一世代にあたると思うが、失業問題も乗り越えていくような姿も撮りたい、という監督の話を聞いて、どのような作品になるのか興味を抱き、公開を首を長くして待っていた作品だ。

『台風太陽〜君がいた夏〜』 2005年 英題:Born to Speed
 監督:チョン・ジェウン 『子猫をお願い』『もし、あなたなら〜6つの視線』
 主演:チョン・ジョンミョン(ソヨ) 『アー・ユー・レディ?』
     キム・ガンウ(モギ) 『シルミド/SILMIDO』『コースト・ガード』『春が来れば』
     イ・チョニ(カッパ) 『氷雨』『彼女を信じないでください』『オオカミの誘惑』
     チョ・イジン(ハンジュ) 『ガラスの華』(ドラマ)

 公園にある円柱形の金属の手すりの上を小気味よい音をたてて疾走する青年たち。巨大なオブジェの側面を水平になって疾走する青年たち。都市にある建築物の本来の機能に頓着せず、疾走し、跳び下り、ジャンプする。その自由で躍動的な姿は、若さの象徴で確かに美しい。出演者たちのスケートの技術の習得、撮影、編集は苦労が多かったと思うが、スケートの魅力をこれでもか、これでもかと見せつけてくれる。超運動オンチの人間で普段そんなことを全く考えない私でさえ、ちょっとやってみたいなという気分にさせてくれる、その手際は見事だ。

 この作品では全上映時間の半分以上がアグレッシブ・インライン・スケートの妙技を披露する時間にあてられているが、それは、この作品の最も大きな目的がインライン・スケートの魅力を伝え、それに打ち込む青年たちの姿をありのままに肯定することに置かれているからだ。

 インライン・スケートに打ち込む青年たちのグループの中でも、最も実力を持つモギと、恋人のハンジュが彼について語るせりふは、象徴的で印象に残るものだ。

「(モギ)楽しいから乗っている。それがすべてだ。」
「(ハンジュ)(彼の)野心のないところが好きなの。」

 モギにとってのスケートは、今、現在の時間を一人で楽しむためのものであり、そのことが彼にとってのすべてだ。彼には、過去も、野心を実現するための未来も存在しないし、また、野心を向ける対象である社会も存在しない。彼はインライン・スケートの世界大会にさえ興味を示さない。怪我の傷跡も勲章のようにいつくしみ、「怪我をしないために乗っているんじゃない」とうそぶく、無責任な人間だ。

 一方、グループのリーダーであるカッパは、モギとは対照的で、野心があり(世界大会へのメンバーの出場を目指し)、責任感のある人間(ヘルメット着用の不徹底を怒る)だ。しかし、作品中、彼自身が魅力的に描かれておらず、彼はモギのキャラクターを際立たせるための存在に過ぎないのだと推測される。

 作品中、唯一存在する出来事らしい出来事は、世界大会に出場するための費用を稼ぐため、カッパの提案で、モギがスケートのスタントを引き受け、事故を起こしてしまうことだ。彼は失敗を繰り返し、撮影スタッフからなじられたことに腹を立て、本来の自分らしいスケーティングをしようとワイヤーをはずして演技し、カメラにぶつかって壊してしまう。

 その場から逃走したモギはグループのメンバーからも孤立してしまうが、その後、カッパの促しにより、撮影スタッフに謝罪に行くことで一応の責任を果たし、カッパたちとも和解する。

 しかし、この一連の出来事によってモギは滑れなくなってしまう。彼は「怖かった。何もおもしろくなかった。」とつぶやく。スケーティングが仕事になり、社会的な責任が伴うという経験をしたことで、モギにとっての、スケートの意味が変わってしまったのだ。モギはその後、恐怖を克服するためだろうが、橋の上から川に飛び込んで見せるが、その後の彼を監督は画面に登場させていない。彼は、その後、どうなるのだろうか?

 モギのスケーティングと彼のクールさに魅かれて、グループのメンバーになった高校生のソヨは、事業に失敗した両親が彼一人を家に残して逃走してしまった寂しさをうめるために、更にスケートにのめりこんでいく。

 初心者だった彼が、ラストは世界大会に出場するというファンタジーのようなエンディングは、ソヨの成長を示し、観客に希望を抱かせようと設定されたのであろうが、モギの野心のなさ(世界大会にも興味を示さなかった)を肯定的に描いていた視点がそれていってしまった感はぬぐえない。

 と、言いながらも、私はモギの野心のなさや、責任感のなさを全面的には肯定できない。一人で滑っているときは確かにクールだが、彼は責任を持つ自信がないために野心がないに過ぎないように感じられる。スケーティングが仕事になり、社会的な責任が伴うと「怖かった。何もおもしろくなかった。」とつぶやくモギはあまりに繊細でひ弱だ。しかし、モギのこの姿は、おそらくは監督が、実際に存在する青年たちの姿を反映させたものであろう。

 『子猫をお願い』の余韻を強く残したままでこの作品を観た私には、『台風太陽〜君がいた夏〜』は『子猫をお願い』とは異質な作品だ、と感じられた。『子猫をお願い』では、若い女性たちが家庭や社会の中で感じる希望や葛藤、挫折が基本的にはとても写実的に描かれていた。彼女たちがどのような家庭に属し、どんな仕事をしているかを、手に取るように見ることができた。一方、『台風太陽〜君がいた夏〜』の登場人物たちは社会性が希薄であるし、この作品は写実性も希薄だ。作品中、ソヨの背景を説明するために、ソヨの両親が逃走する場面を示した以外は家族もほとんど登場しないし、モギがスタントを引き受けた撮影のスタッフを除けば、一般社会の人もほとんど登場しない。彼らはスケートの販売店でアルバイトらしきこともしているが、その収入で生活できるとも思えない。

 何より、『台風太陽〜君がいた夏〜』の一見クールだが実はひ弱なキャラクターのモギを中心とする青年たちには、『子猫をお願い』の社会の中でひたむきに希望を持とうとする女性たちに対するようには、感情移入することができなかった。

 私と異なる、登場人物の青年たちと同世代の観客たちは、あるいはこの作品の青年たちを、共感を持って迎えるのだろうかと考えたが、観客動員の状況も厳しく、残念ながらそうではなかったようだ。

 チョン監督は公開前のある取材で、若者たちへのメッセージを求められて、このように答えている。

「本人がしたいことをして、そのことを大切に思いなさいと言いたい。本当に自分が挑戦したいことに挑戦していたら、将来の保障のようなことは大きな問題にならないと思う。」

 この言葉は、おそらく、映画監督という仕事を、将来の保障などないにもかかわらず、したいから、してきたという、監督自身が自分を振り返っての発言だったのだと思う。そして、監督から一昨年聞いた構想の中で、登場人物について、彼らは一種の青年失業者の第一世代にあたると思うが、という言葉を併せて考えると、監督はいわゆるニートとかフリーターと呼ばれる青年たちを念頭において、彼らがやりたいことを見つけて、挑戦してほしいという思いも含めて、この作品を撮ったのであろうと推測される。

 モギはいわゆるニートの青年で、彼のキャラクターに私個人は感情移入することはできなかったが、監督は、ニートの青年の心情に共感を寄せて、キャラクターとして、うまくモギという人物を創造していると思う。

 少し、残念に感じるのは、後半で、川に飛び込んだモギがその後どうなるのか、フォロー・アップせず、オープンな終わり方を示したことで、「挑戦したいことに挑戦する」という監督が本来持っていたはずの、メッセージが十分に伝わっていないと感じられることだ。

 限られた時間の一本の作品の中に監督のすべての想いを込めることはできず、この作品においては、スケーティングのビジュアルな魅力を伝えることが最も優先されたのだと思う。そして、そのことで、刹那的な青春の美しさを表現することには確かに成功しているが、彼らがいかに社会と関わっていくのかについて、描き方が中途半端になってしまったという感が否めない。私のように、『子猫をお願い』の社会の中でひたむきに希望を持とうとする女性たちや、写実性が好きな人は、物足りなさを感じる作品かもしれない。


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