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Review 『スカーレットレター』『大統領の理髪師』『サマリア』
『サム〜Some〜』『Sダイアリー』

Text by カツヲうどん
2005/6/1


『スカーレットレター』 ★★

 この『スカーレットレター』という作品は、主演のハン・ソッキュの(そして彼を取り巻くスタッフたちの)復活への凄まじい意欲が、情念と化して漂う怪作であり、前作『二重スパイ』が、まだハン・ソッキュの精神的余裕をどこか感じさせた作品だったのに対し、この『スカーレットレター』は、まさに瀬戸際、鬼気迫るものすら感じさせる。しかし、悲しいかな、彼が頑張れば頑張るほど、ピョン・ヒョク監督(『Interview』)の構築しようと試みた華麗なる世界観は、トンチンカンに瓦解してゆき、惨めで哀愁すら漂う映画になってしまった。

 物語は3人の男女を巡るサスペンス・ミステリーの形を取ってはいるが、実際はつまらない痴話でしかない。ミステリーの核になるべき殺人事件が、話の本筋と関係なく、これだったら、最初から最後まで痴話に徹した方が、遥かに優れた内容になったのではないだろうか?と疑問が湧いてしまう内容だ。おそらく、監督の意図、プロデューサーの意図、主演俳優の意図と、すべて包括して救済しようと試みた結果なのではないだろうか。しかし、監督も、プロデューサーも、主演のハン・ソッキュも、その他の人々も、本音は、本作品の出来映えには、全く満足していないに違いない。

 作品がきちんと大衆娯楽になるよう、気を配っているところは、ピョン監督の成長を感じさせるが、はっきりいって既に古臭いスタイルだ。ハン・ソッキュ渾身の見せ場も「俺ってワイルドでマッチョだぜ」という、ずれたイメージ・チェンジ戦略が一杯で、ピョン監督の「勝手にしろよ」というメッセージが聞こえて来そうでもある。

 ハン・ソッキュ演じる特捜刑事ギフンを取り巻く面々のつまらなさも、悪意を感じるくらい、パッとしない。ギフンの妻を演じたオム・ジウォンにしても、殺人事件に巻き込まれる未亡人役のソン・ヒョナにしても、驚くほど華がなく、その他脇役については誰一人キラリと光らない。ギフンの情婦カヒ演じたイ・ウンジュは、昔とった杵柄か、手慣れたピアノの扱いを見せてくれるが、不必要に多い中途半端なヌード姿には全く魅力がなく、ファンも嬉しくないだろう。

 この『スカーレットレター』は、残念ながら、ハン・ソッキュ起死回生の映画にはなりえなかったようだ。昔の「隣の優しいお兄さん路線」への復活を望むファンの声は、益々増えるに違いない。


『大統領の理髪師』 ★★★★★

 この作品は、名作として語り継がれる資質を持った秀作だ。

 大統領府下の古い街、孝子洞に住む、理髪師の家族のドラマと共に、1960年代から1980年代にかけて、朴正煕政権の誕生と崩壊を、もう一つの重要な物語として描いており、従来の回顧ものとは、大きく異なる作品になっている。

 朴正煕という人物は、日帝時代終焉後、現代韓国の基盤を築いた人物だが、軍事専制政治を長期間に渡って行い、民主化運動を激しく弾圧した人物として、その評価は、国内外、対極だ。日本との関係も深く親密だったので、日本人にもっともよく知られた韓国人でもある。

 そのような人物ゆえ、朴正煕を直接、登場人物として描いた作品は、今までほとんど無かった。10年ほど前、TVドラマで競合するように朴正煕大統領暗殺の真相を描く大作が放映されたくらいで、映画として、ここまではっきり描いたのは、恐らく今回が初じめてだろう。だから、朴正煕とその時代が忌まわしく、大嫌いという人間にとっては、抵抗のある、複雑な心情の物語でもある。

 劇中、大統領を巡る固有名詞は一切使われず(名称も「閣下」であり「統治者」である)、一種のパラレルワールドとして映画が語られてゆくのは、作劇上の制限を少しでも取り払う、という意図の他に、朴正煕という人物を、多少なりとも肯定的に、人間的に描くことが、今だ韓国ではタブーである事がうかがえる。

 監督のイム・チャンサンは今回がデビュー作。現場での演出ぶりに頼りないところもあったらしいが、作品そのものは、非常に完成度が高い。彼が現場で見せた優柔不断ぶりとは、実はスタッフとキャストの力を引き出す方法だったのかもしれない。

 最初から最後まで、決して明るくない物語を、まじめにちゃかさず、暖かく、真っ向から描いており、そのバランスの融合は絶妙だ。この手のジャンルは、自分勝手な回顧主義や過剰なコメディ演出、哀愁演出に走りやすいが、『大統領の理髪師』は、そういう事が一切ない。

 当時を再現した空気感も見事で、貧しく無力だが、明るく人生を渡り歩こうとする庶民の姿は、感動的だ。生活臭あふれる家屋を再現した美術もいいが、オープンセットになると、どうしても安っぽくリアリティが無くなってしまうのは、韓国映画美術に共通する弱点だろう。

 また、映画『シルミド/SILMIDO』でも冒頭に描かれた、青瓦台襲撃事件が、この作品でも描かれている。事件そのものは、ギャグで茶化されるが、事件後、孝子洞の住人を襲った悲劇的な事の顛末が描かれており、観ていてなんとも複雑な心境になってしまう。

 また、登場する大統領が、よくも悪くも日本の戦前教育に大変な影響を受けている面を皮肉まじりながら、嫌味なく描いている部分も面白い。

 映画の出演者は皆、内面的芝居を行うよう、慎重に心がけたようで、地味だが、皆いい味を出した。主役のハンモ演じた、ソン・ガンホは、今までのワンパターン三枚目から脱して、無力でお人好しな市井の人物を好演している。この映画で見せた演技は、彼の新境地になるかもしれない。彼の妻ミンジャ役のムン・ソリもまた、今回は年齢相応のおばさん役を等身大で演じている。彼女は立て続けに挑戦的な役が続いた為、色物女優のイメージが最近は強い。だが、こういう役こそ、彼女の本領発揮なのではないかと思う。

 朴正煕がモデルになっている統治者を演じたチョ・ヨンジンは、舞台が中心で、今回メジャー作品で初めて拝見する俳優だが、独裁者の、自他に厳しく孤独な姿を、繊細かつ端正に演じており、もう一人の主役に相応しい存在感を見せた。理髪師ハンモが、彼に敬愛と憎しみを交差させた感情を抱えて行く様は、哀しくも感動的だ。

 警護室長を演じたソン・ビョンホにとっては、今回の役は、かなり決断が必要だったのではないだろうか。劇中唯一の憎まれ役であり、大統領警護室長といえば、ネガティブなイメージ、悪のイメージがつきまとい、俳優として固定のイメージを抱かれやすいからだ。だが、彼はそんな役を堂々と演じ切った。

 この『大統領の理髪師』は、現代韓国人にとっては、複雑な作品だろうし、一部日本人にとっても同様だろう。だが、まだ記憶に生々しい時代の光と陰を、きちんと描こうとした点は、非常に高く評価出来るし、そうでなくとも、貧しい時代を生きた庶民を、ユーモラスに生き生きと描いた点でも、素晴らしい映画である。

 特に、父子の深い愛情と、人々の未来へ託す希望を重ねたかのようなラストシーンは、後世に残る名シーンだろう。

 2004年の韓国映画ベスト5入り確実の作品である。


『サマリア』 ★★★

 私はこの作品を観ていて、ハッとさせられた部分、非常に感動した部分が2つある。はっきりいうと、この『サマリア』において、観る価値のある部分は、この2ヵ所だけである。残りは非常に退屈だ。だが、この2つの部分があるからこそ、この映画は鮮烈な作品になったのであり、ベルリンでの受賞に繋がったのではないだろうか。

 その2つの部分とは、ひとつは、ヒロインたちの排他的な強い絆であり、ひとつは、ラストにおける父娘の別れである。

 映画の前半は、ヨジン(クァク・チミン)とチェヨン(ソ・ミンジョン/ハン・ヨルム)の強い関係が描かれて行く。2人の関係に、同性愛を重ねる事は簡単だ。韓国の観客にしてみれば、「女子高生の同性愛者なんてけしからん」と、怒りを抱く観客も少なくなかったと思う。

 だが、そんな2人のべったりした関係で浮かび上がってくるのは、彼女たちのあまりにも孤独な姿である。そこには、学園生活も、家族も、友人も、異性も、存在しない。その様子は、何か深い闇が後ろに感じられるようで、センセーショナルどころか、観ていて辛いくらいだ。話の核としてヨジンの父(イ・オル)が大きく関わって来るものの、やはり2人の関係の前には、全く疎外された存在でしかない。

 このヨジンとチェヨン、2人だけの時間は、あまりにも痛々しい。見るのが辛いポートレートのようで、二人の関係は最後まで、多くの観客の脳裏に焼きつくだろうと思う。

 チェヨンの死後、娘ヨジンを守ろうとする父親の暴走によって、映画は悲しい結末を迎える。そのラストシーンも静かだが、鮮烈だ。

 遠くに去って行く父を乗せた自動車と、川原の轍にはまり込み、もがき続ける娘の自動車の対比は、親子の決別を見事に描き出しているのと共に、最後まで相容れない2人の愛情関係を象徴しているようで、大変な名シーンとなっている。

 この『サマリア』が、どうしてベルリン映画祭において評価されたかは、ご覧になって納得いかない方も多いだろうし、その意見は決して間違いではないとも思うが、そんな事を論じても意味はない。だが、「少女と少女」「父と娘」、これらの儚くも鮮烈な関係が審査委員の心を揺さぶったであろう事は想像に難くないだろう。


『サム〜Some〜』

原題:サム
2004年執筆原稿

 チャン・ユニョンという監督は、韓国映画界の中でも実に独特の感覚を持ったクリエイターだ。個人の感性と視点を映像へ移し変えることに長けている監督の一人だろう。この『サム〜Some〜』も『接続』や『カル』のように、一見大衆的な題材を扱いながら独自の映像美学で、ちょっと変わった作品になっている。一番特徴的なことはヒロイン、ユジン(ソン・ジヒョ)がデジャヴとして辿って行く疑似未来の時間軸と、ドラマの実際の時間軸とが複雑に交差してゆく点だろう。それは並行宇宙を題材にしたSF小説を連想させる。それゆえ物語が時折不明瞭になったり、ミステリーとしてはあまり面白くないという欠点も抱えているが、アメリカの作家P.K.ディック作品の錯綜した時間感覚に近い。また、ドラマの舞台となるソウルの街並みの捉え方も特異だ。昼間は曇り、夜は人工的な照明下と、一貫して日常の「非日常風景」を描き出すことに力を注いでいる。特に主人公2人の乗った4WDにサッと時雨が降りかかる早朝のシーンは非現実な美しさに満ちている。

 登場する人物も皆どこかヴァーチャル的だ。もしかたら裏設定として映画『マトリックス』のような構想が潜んでいたとしても何ら不思議はない。主人公の刑事ソンジュ(コス)が、刑事らしからぬキャラクターであり、どこか漠然として浮遊感漂う人物像になっているところは、前作『カル』でシム・ウナが演じたヒロイン像と共通している。また、激しいカーアクション・シーンも派手で見物だ。『カル』でもハン・ソッキュ演じた刑事が強引に踏切りを車で突っ切って列車と衝突しそうになるシーンに大胆な合成の手法を使っていたが、今回も移動カメラとカット数にこだわった演出で、他とはひと味違うものに仕上がっている。

 このように、『サム〜Some〜』は非常に個性的な映画である。だが、今までの作品では見えてこなかった部分、チャン・ユニョンという監督が、作家監督としてはイマイチ、商業監督としても小難しい過ぎる、という部分がはっきり見えてしまった作品でもあった。彼の今までの作品群を思い起こすと、大衆的のようでもその語り口は難しく、かといって客を呼ぶほどの作家性はなく、「なぜヒットしたか」という一番の理由は個性と演技のしっかりした人気俳優たちが、監督の危うい作家性をしっかりと支えたからこそではないかという気がする。

 この『サム〜Some〜』は、今までのユニョン監督の作品に比べると、より一層大衆寄りの印象が強い。その分、今までの作品に比べナマクラな感じは否めない。最大の理由は、主演の2人がまだ新人のアイドル的なイメージの俳優たちだからだろう。中堅のカン・ソンジンが彼らを支えてはいるが、かなり力不足だった感は否めない。主演のコスにしても、ヒロインのソン・ジヒョにしても、チーマー役イ・ドンギュにしても、決して悪くない俳優たちばかりだが、彼らには明らかに映画を引っ張って行く力が不足していた。それゆえ、この『サム〜Some〜』は、ハン・ソッキュやシム・ウナ、チョン・ドヨンといった俳優たちの最盛期が、いかに特別な存在であったか、ということがよく分かる作品にもなってしまった。


『Sダイアリー』 ★★★

 韓国人とつき合っている日本人は、まず、異口同音に「韓国(人)は本音と建て前がはっきり分離している」という感想をもらす。そのことは、外国人にとってはトラブルの元にもなりかねない要注意事項なのだが、韓国人当人たちからすれば、タブーだらけの封建社会が長かった歴史の中で、自らの言論を守る方便だったのかもしれない。

 この『Sダイアリー』は、そんな「韓国式建て前」を乗り越えて、自らの価値観に正直であろうとする現代韓国の若者の本音を反映したかのような、2000年代に突入した韓国だからこそ、描きえた映画になっている。内容はコメディでも、そこには一種のフェミニズム映画のような趣すら感じられるのだ。

 主人公のチニ(キム・ソナ)は、恋愛に積極的かつ自由だ。悪くいえば「ヤリマン」であり、保守的な視点いえば、尻軽で反道徳的な女性である。こういった女性像は、今までは決して肯定的には語られず、「特別な女」として扱われることが殆どだった。彼女等は、ドラマの中で「女狐」であり「かわいそうな女」であって、男にとって都合のよい、夢の存在にすぎず、「こういう女は道徳的にけしからんけど、本当は側にいたらいいなあ」といった、まさに「本音と建て前」そのままの扱いだったのでは、ないだろうか。

 1990年代も後半を迎え、自分の欲望に対して正直に生きるヒロインたちをスマートに描く韓国映画も増えてきてはいるが、やっぱりどこかで「特別な」感じが否めなかった。しかし、この『Sダイアリー』の場合、製作側の一種の気負った感覚が感じらない。チニ彼女の生き方が、裏表のない、正直な普通の姿として描かれており、ごく普通のコメディとして提示されているのだ。

 誰も彼女の奔放さを責めはしないし、不道徳だからといって、男も女も悲劇的な結末を迎えることもなく、むしろ最後はハッピーエンドだ。

 彼女を巡る3人の男性たち(イ・ヒョヌ&キム・スロ&コン・ユ)の様子も、今の韓国人男性をよく象徴している。皆、穏やかで、趣味人の連中ばかり、胸を叩いて「俺に黙ってついてこい!」とか「必ず出世して幸せにしてやる!」などと、ヤボな枕詞は誰もいわない。

 彼らはチニの報復で、さんざんな目に遭わされるが、その時だって、一方的にチニを攻め立てたりはしないせず、皆心優しい男たちばかりだ。もちろん、だからこそ、この映画を観た韓国人の中には、反感を感じた者も結構いたと思う。しかし、それと同様に、彼女、彼らの生き方に、ごく自然に、共感した人も多いのではないだろうか?

 この『Sダイアリー』は、ゲラゲラ笑い転げるようなコメディではないが、激しく変化する韓国を象徴するような、まさに旬の韓国映画である。キム・ソナの多彩な表現力も素晴らしい。


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