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Review 『マイ・ジェネレーション』『羽根』
『マラソン』『公共の敵2 あらたなる闘い』

Text by カツヲうどん
2005/2/9受領


『マイ・ジェネレーション』 ★

 ビデオ撮り、モノクロ・パートカラーと、興行から程遠いこの低予算作品が一日一回ながら、ちゃんとした劇場で掛かった、ということは、今の韓国では特別な事なのかもしれない。そして、それは一部の韓国映画関係者の憤りであり、些細な抵抗運動のようでもある。しかし、そういった事を考慮しても、この作品に果たして劇場でわざわざ見せる価値があったかどうかは疑問だ。

 映画の内容はきわめてプライベート、映画学校の実習によくあるような陰気で泥臭く、暗い話だ。一映画青年の暗く絶望的な日常は、日本その他でも全くあてはまることなので、十分理解できることだが、ある程度共感できても、こんな話を淡々と描くことに、一体どういう価値があるのか、という疑問と、第三者がこれを観ることに、どういうメリットがあるのか、という疑問が始終つきまとう。そういう点では、今の韓国映画界、作る側も観る側も含んだアンチ・テーゼなのかもしれない。

 演出も出演者も、はっきりいって、特別に注目すべきところはない。ぶつ切りの日常スケッチを並べてゆくことで、諸行無常の現実が浮かび上がってくる様子は、監督の計算、と解釈したいが、唐突に遮断されたラストは、だた観客を突き放しているだけで、あまり支持は得られないような気がする。

 どんなに作り手が信念、マイペースぶりを自認していても、それを振り回しすぎる限り、逆に自分を袋小路に追い詰めてゆくだけなのではないか? 結局、映画というものは、作り手と受け手のキャッチボールであり、作る側が唯我独尊のふりをしていても、観客がそれについて行く才能というのは極めて希だ。自ら作家を標傍しても、劇場で作品が上映され、観客が集まってこその映画では、作家になることは自らが決めることは難しい。

 第二のリュ・スンワンは、そう簡単には出てきそうにない。そんな思いを抱かせる、湿った自閉的作品だ。


『羽根』 ★★

 デジカム撮りによる、作家性を目的とした低予算作品だが(ちなみにプロジェクター上映だった)監督のソン・イルゴンは商業作品の実績を持つ人物なので、コンセプトはしっかりしており、初期のヴェンダースのような味わいが好きな人には大きな魅力を持った作品だろう。ただし、当然ながら娯楽作とは程遠い作品なので、暇つぶしで観に行くと爆睡しかねない作品でもある。

 話そのものは、主人公の映画監督が、済州島の東に隣接する牛島で、過去の愛の軌跡を辿ってゆくという、個人的には嫌いな話だが、独特のリズムと、デジタルムービーカムの機動力を活かした映像美の秀逸さもあいまって、この手の作品にありがちな一人よがりさはあまり感じられない。そういう点では、好印象の作品に仕上がっているといえるだろう。しかし、この映画の魅力は、作家性でもなく、映像美でもない。この『羽根』という作品の価値は99%、ヒロインを演じたイ・ソヨンの存在にある。ソン・イルゴン監督にも、主演のチャン・ヒョンソンにも悪いけど、この映画の魅力はイ・ソヨンの輝きが全てなのである。

 彼女は最初、田舎の地味な、ちょっとかわいい程度の女の子として登場するが、物語が進むにつれて、どんどん輝きを増してゆく。観ている途中はわかりにくいかもしれないが、映画が終わってみると、その魅力に気がつくのではないかと思う。彼女の演技は、まだまだ未熟かもしれないが、しかし、その全身から放たれるオーラはキラキラと輝き、眩しく素晴らしいものだ。彼女はまだまだ宝石の原石にしか過ぎない。しかし、その内側から溢れ出る光は、清々しく美しく、そして強烈だ。

 イ・ソヨンという女優は、映画デビュー作『スキャンダル』の上映会見で、記者たちに、けんもほろろに完全無視され、彼女が脱いだことは覚えていても、どんな顔だったか、皆忘れているというような、ひどい扱いを受けていたが、この作品をきっかけに、本当のチャンスを掴んでほしいと切に願う。

 『スキャンダル』で彼女がちょっと気になった人は、男女を問わず、是非観ていただきたい作品である。きっと、イ・ソヨンという女優の、最高の一瞬を目撃出来るだろう。


『マラソン』 ★★★★

 この映画は、スポーツ映画ではない。ハンディを背負った主人公がマラソンで栄光を掴む様は、本当はどうでもいい事なのである。それは映画を観ればすぐ分かると思う。では、この『マラソン』はどういう映画かといえば、この作品は最初から最後まで、母と子の血みどろの闘いを描いた映画なのである。そして、ハンディキャップを背負った人間たちを描いたという点では、イ・チャンドン監督の『オアシス』と対称を成す映画といえるかもしれない。

 この『マラソン』という映画の優れたところは、老若男女を問わず誰にでも受け入れられる作品に仕上がっている、ということだろう。その普遍性は、今の韓国映画の持つ高い水準を示すとてもよい見本だ。

 チョ・スンウ演じたチョウォンは、アメリカ映画『レインマン』でダスティン・ホフマンが演じた人物と同じく、重度の自閉症だ。家族にとって、チョウォンは、エイリアンが家にいるのと同じで、母親ギョンスク(キム・ミソク)が幼いチョウォンと対峙する冒頭は本当に痛々しく、絶望的ですらある。彼女がいくら愛情を持って彼に接しようと努力しても、チョウォンと意思は通じない。彼は人の形をした昆虫にも等しい存在なのだ。辛い努力に疲弊して行く母親の姿が、短いながらはっきりと描かれて行く。

 チョウォンが成長してからも、状況は決してよくなってはいない。彼は相変わらず昔のままだし、父親はそういう長男に対して辟易し、家族への愛情を失っている。次男も兄の面倒ばかりみる母親に嫉妬し、反抗的だ。この映画の巧みな点は、そういう苛酷な現実、一歩間違えれば失笑をかってしまうような自閉症児との生活を、リアルでありながら、嫌悪を感じさせずきちんとみせていることだ。

 『オアシス』の場合、あまりにも生生しいためか嫌う人も多かったが、『マラソン』では、よくも悪くも洗練された描き方がなされており、大勢の観客を大きな感動へといざなってゆく。また、メロウな部分も、今までの韓国映画にありがちな濃いベトベトぶりではなく、あくまでも現実の感覚に沿った、軽やかでしつこくない仕上がりになっている。

 チョン・ユンチョル監督とスタッフの手腕は、それだけでは終わっていない。この『マラソン』という作品が、豊かな映画的イメージに彩られているのも特筆すべきことだろう。非常に大がかりで凝った撮影であることも確かだが、生活する者の視点で捉えたソウルの四季は実に美しいし、肝心のマラソン・シーンに至っては、実に幻想的、脳内的なイメージで描かれている。この作品がスポーツ映画ではないといったのは、そういうところにもある。

 劇中、もっとも映画的白眉ともいえるのは、地下鉄でチョウォンが、シマウマ模様を巡って騒動を起こすシーンだろう。ここは、チョン・ユンチョルという監督の作家性と、映画のテーマが凝縮された名場面になっている。

 出演者たちも過不足ない。アン・ネサンがチョウォンの父親役で出ているところはご愛敬だが(彼は『オアシス』で、ソル・ギョング演じるジョンドゥの兄を演じた)、物語の核となる母子を演じたチョ・スンウとキム・ミスクのコンビネーションは素晴らしい。特に、実年齢そのものの役を熱演したキム・ミスクの姿勢は高く評価したい。恐らく彼女はこの役の為に、体重を増やしたのではないだろうか? かつてのマラソンの名選手で、今はやさぐれているコーチ、ジョンウク役のイ・ギヨンも注目株だ。

 このように『マラソン』はここ数年の韓国映画の中でも、屈指の完成度を持つといっても良い作品だ。だが、観ている最中も、観た後も、一つの疑問が私の脳裏にまとわりついて離れなかった作品でもある。それは「これでいいのだろうか?」という疑問だ。この作品があまりにも口当たりが良すぎるということであり、それはファースト・フードのような、表向きとは裏腹の、狡猾で洗脳的な巧妙さを持つおいしさであり、信用できないおいしさなのだ。

 私が『オアシス』について言及した訳は、そこにある。『オアシス』は、まさに口当たりの猛烈に悪い作品だったゆえ嫌う人も多かったが、絶大な支持を得たし、信用しうる傑作になりえたとも考えるのである。そして、この作品が成功したことは、韓国映画の明るい未来を期待させるものだった。

 しかし『マラソン』は、『オアシス』とは対照的に、嫌味が全くないゆえ、逆にイマイチ乗れず、妙な不安感を抱いてしまうのは、なんという皮肉だろうか。また、『オアシス』で脳性マヒを演じたムン・ソリの演技は、本当に凄かった。だが、『マラソン』で自閉症児を演じたチョ・スンウの演技には、巧みさはあっても、リアリティはない。それどころか、端々にチョ・スンウの理知的な輝きが瞳に出てしまって、はっきり言って嘘臭い。キム・ミスク演じた母親も、あまりにも献身的ゆえ、どこか共感できない。彼女のキャラが嘘だとはいわないが、家庭に興味を失ってしまった夫の姿こそ、自閉症児を持った家族の姿の真実をより感じられるのではないか。

 私は個人的に、この『マラソン』は、とてもいい映画だと思うし、これを観た日本人の80%程度も、いい映画だと感じるだろう。だが、結論からすれば、『オアシス』には遠く及ばない作品でもあった。 この『マラソン』は秀作かもしれないが、最初から最後まで、口当たりの良さで誤魔化されてしまったような、納得出来ない後味の悪さも感じさせる作品だったのだ。


『公共の敵2 あらたなる闘い』

原題:公共の敵2
2005年執筆原稿

 この作品を監督したカン・ウソクの作品を観るたびに、色々な意味で本当に偉い人だと、つくづく感じさせられる。彼の作品が日本で軽んじられている大きな理由が、安易な「韓流」に沿わない、その作家性にあるとすれば、本当に不幸なことである。今の韓国映画界で、彼ほど真の「韓国映画」を作り続けられる監督は他にいないだろう。だが、その「韓国映画らしさ」が、日本で評価されないことは、どこかおかしい。今に至るまでの日本と韓国の「お互いを理解しよう」「仲良くしよう」という、中身の伴わないキャンペーン・スローガンや、偏った「韓流ブーム」を象徴しているようで、座りが悪い。

 この新作『公共の敵2 あらたなる闘い』も、『冬のソナタ』のような口当たりの良さは全くないし、俳優たちもイケていないし、韓国に先進性やオシャレを錯覚して見ている日本人からすれば、毛嫌いされるような泥臭さで一杯の作品だ。だがそれゆえ、韓国への理解を標傍するなら、関心も持つべき映画だと思う。乱暴な言い方をすれば、韓国エンターティメントの魅力、武器は「ダサイまでの泥臭さ」だと思うのだけど、こういう言い方は、今の日本では反感を買うだけかもしれない。

 さて、この『公共の敵2 あらたなる闘い』は、前作とは全く関係ない話だ。テーマこそ、同じ骨子に沿っているといえるが、監督以下スタッフと、主演のソル・ギョング以外は、共通していない独立した物語である。今回は、前回よりも巨悪、捉えどころの難しい敵ゆえ、カン・ウソク作品に共通する社会性、正義性は強くなっているが、残念ながら、物語は共感しにくい内容になってしまった。

 小財閥の若きトップ、ハン・ソンウ(チョン・ジュノ)は筋金入りのお坊っちゃんであり、その立場をフルに活用して悪事を働く、確信的ワルである。本人はエリートとしての過剰な自負があるので、悪事を働くことも特権だと思っているし、基本的には手を汚さないから、警察捜査の対象から逃れ続けている。映画は、高校生同士の激しい乱闘から始まる。そこで同級生だったカン・チョルジュン(ソル・ギョング)とソンウは、この騒ぎに巻き込まれ、教師たちから激しい罰を受けるが、ソンウは特権階級の子弟だったゆえ、罪を問われない。そこで高校生だったチョルジュンは韓国社会に横たわる巨大な黒い壁を実感することになる。ここにこそ、この作品のテーマが最も強く打ち出されているのだが、主人公二人が成人した途端、物語は筋を追うのに精一杯、正義 vs 巨悪というよりも、検事カン・チョルジュン闘争記録といった展開になってしまう。

 この作品を前作と比べて、マイナスだった点を指摘するならば、主人公チョルジュンが検事であり、敵役のソンウが生まれつきのエリート階級だったことだろう。韓国では検事が悪を追うドラマが散見されるけれど、日本では非常に馴染みが薄い。検事といえば、現場の人というより、裁判所の人、といったイメージが強く、イマイチ、ピンとこない人も多いと思う。かくいう私もその一人だった。また、前作でソル・ギョング演じた警察官は、彼の役作りもあって、人間味溢れる現実的なキャラだったが、今回の役は前回とは比較にならないくらい立派なエリートだ。だから、彼を巡る検察庁の連中も、警察のような、だらしない公務職員とは違い、皆真面目で、ビシッとしている。それゆえ、主人公も、彼を巡る環境も、観る側にとって、あまり魅力がないのだ。

 敵対するサンウも、直接手を下さない事が基本なので、会社や家で怖い顔をして目をギョロギョロさせているだけ。それにあまり画面にも出てこないので、どんなワルなのか、イメージが希薄だ。個人的には、チョン・ジュノという俳優は、悪役こそベストであると思っているのだが、歳をとったことに加え、残念ながら彼の演技力の弱さがスクリーンでは目立ってしまい、一昔前のシャープな面影は既にない。脇を固めるキャストも、カン・ウソクらしい味のある俳優を揃えているけれども、ちょっと地味過ぎで、もっとデフォルメが必要だったと思う。

 この『公共の敵2 あらたなる闘い』という作品は、結論からすれば前作に比べ明らかに劣るし、特にお勧めはしない。だが、同じ監督の『シルミド/SILMIDO』が、映画のつまらない、面白いは別に、観るべき映画であったように、「韓国映画の首領=韓国映画最後の砦」として君臨するカン・ウソクのスタイルは、やはり注目すべきものであり、韓国に関心のある日本人は観続けるべきものだとも思うのだ。「最近、韓国物にはまっています」と自己申告する方こそ、好き嫌いは別として、観て考えてもらいたい気もする作品である。


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