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《通訳は見た!》 『MUSA−武士−』チョン・ウソン編
―その人柄に魅せられて―

Text by 尹春江 Photo by 宮田浩史
2003/12/24受領


Profile 尹春江(ユン チュンガン)

 シナリオ翻訳家。新潟県生まれの在日3世。和光大学人文学部卒。劇場公開作品・テレビ放送作品・映画祭上映作品・DVD発売作品など、数多くの韓国映画の字幕を担当。日本語字幕翻訳を担当した劇場公開作品には『純愛中毒』『テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる』などがある。プロモーションで来日する俳優の通訳をつとめることも多く、シネマコリアのサイトには、これまで

などを寄稿。



● ファースト・インプレッション≠セカンド・インプレッション

 『MUSA−武士−』が上映されるゆうばり国際ファンタスティック映画祭2003のゲストとしてアン・ソンギチョン・ウソンが来日したのは2003年の2月のこと。映画祭のゲストとして来日した彼らの東京での滞在は僅か22時間程度。仁川→成田→ホテル→即取材という強行軍にもかかわらず、移動の疲れ一つ見せず分刻みの取材スケジュールを二人はこなしていた。

 私はアン・ソンギ先生(あえて「ソンセンニム=先生」と呼ばせていただきたい!)の通訳を担当していたので、チョン・ウソンとは挨拶を交わした程度に過ぎなかった。休憩を兼ねた遅めの夕食の席で見た彼の印象は「ニヒルで無口な男」。特別、良いとも、悪いとも思わなかった。それもそうだ。多分私にはアン・ソンギ先生しか見えていなかったのだろう。素晴らしすぎてソンセンニムから目が離せなかったから・・・


左:花束贈呈者の六條華
試写場の舞台挨拶にて

 それから、9ヶ月経った11月、劇場公開が決定した『MUSA−武士−』(配給:ギャガ・ヒューマックス)のプロモーションのため、今度はチョン・ウソンが単独で来日し、彼の通訳を担当することになった。来日スケジュール表を目にした私は、正直わが目を疑った。な、なんと、三日間で計31本の媒体取材、他に舞台挨拶2回、最終日は場所を移してスタジオでの撮影まで組まれているではないか! あまり積極的に喋るタイプではなさそうだし、機嫌が悪かったらどうしよう? いかんせん私は、ナルシストと美男子が大の苦手だ・・・

 そんな私の心配をよそに空港に現れたチョン・ウソンは、別人のように「変貌」していた。短めに刈った髪、二月の来日時より痩せて顔も随分シャープな感じ。見上げてみると(身長186cm)やっぱり美男子だ! 何気ない黒のハーフ・コートにジーンズ姿がやけにサマになっていてカッコいい。なんだか先が思いやられるなぁ・・・と思いながら移動車輌に乗り込むや、私を見て「お元気でしたか?」と彼が声をかけてきた。「憶えてらっしゃいますか?」と当惑しながら答える私。「もちろんですよ!」 彼、こんなに明るかったっけ? 私の彼に対するイメージは一気に覆された。そして徐々に、俳優というより、ひとりの人間としてチョン・ウソンに魅せられていくのだった。

● アウトサイダーは意外とお茶目で気配り屋

 これまで出演した作品の配役のせいか、常にアウトサイダー的なイメージ漂うチョン・ウソンだが、実は私が接したどの俳優さんより人懐っこく、スタッフを決して慌てさせない「出来た人」だった。

 今回の来日では撮影が多いため、基本的に衣装は配給会社側で用意したものを着てもらうことになっていた。ホテル到着直後、スタイリストさんが用意した服に着替える前に、明日以降着用する衣装の採寸があった。採寸後、服を着替えた彼は少々窮屈だと言っていたものの、「タイトな着こなしが今、日本では流行ってるんです」というスタイリストさんの言葉に納得した様子。黒のスーツをシックに着こなしていた。ところが翌朝ホテルの部屋に迎えに行くと、予定していた服とは違った私服を身にまとっていた。「あれ?」 スタッフが尋ねる前に彼はその理由を説明した。「昨日は短い時間だったので準備してくれたスーツを着たが、どうもサイズがしっくりこない。今日は朝から晩まで取材攻め。着慣れたラクな服で一日を過ごしたい」というのだ。そして、せっかく用意してくれたスタイリストさんに申し訳ないという言葉まで添えて。う〜む、誰も何も言えなかった。申し訳ないのはこっちの方だ。時間を割いて、窮屈でなく、かつタイトな今風の服を選ばせてあげられればよかったのだ。でも分刻みのスケジュールにそんな余裕はなく・・・ 彼はいつだってそうだった。常に周りのスタッフに気を使い、フレンドリーで、「なぜそうなのか」という理由をきちんと話してくれるのだった。

 強行スケジュールをこなし彼が夕食にありつけるのは、毎日夜の8時を回ってから。その席でも彼は「翌日の取材に支障があるといけない」と言い、随分加減しながら飲んでいたように思う。でもそんな時でもスタッフや関係者に自らお酌をし「お疲れさま!」(日本語で)を連発。場を盛り上げてくれるのだった。写真撮影にも気軽に応じ、ポーズを取ってはスタッフを笑わせていた。一歩仕事を離れると韓国式儒教の「しきたり」が、ちょこちょこ顔を出してくるのは毎度のこと。チョン・ウソンもまたしかり。というより、彼はいまどき珍しいほど「しきたり」や「義理・人情」を大事にしている人に違いない。かといって他人にそれを強要することはなく、そのスマートさがまたいいのだ。

 そんな彼はいつだって最年長の私に気を使ってくれた。通訳はいつ、どんな時にもその相手から離れる訳にはいかない。トイレも相手が行った隙に行かなくてはならない(と私は思っている)。従って食事の時にも必ず横か真ん前に座ることになる。敬語での会話はもちろんのこと、取り皿に料理を分けてくれたり、お醤油を注ぎ足してくれたり。とっても気が利くのだ。彼の近くに座るチャンスを得た女性スタッフは、そんなチョン・ウソンに恐縮かつメロメロだったことは言うまでもない。彼のそんな気配りは決して「サービス」ではなく、彼の人柄からくるものに違いなかった。なぜって、その一つ一つの仕種に「暖かさ」や「温もり」が感じられたから。


右:筆者/試写場の舞台挨拶にて

● そして最終日

 この日は場所をスタジオに移して行われた。翌日の取材を考慮し、二次会やカラオケなどには一切行かなかった彼だが、それでも連日の取材の疲れと早朝ということもあってか、かなり眠たそうだった。

 スタジオには既に総勢8人のスタッフが万全の準備で待機していた。彼らは既に「撮るぞー!」とハイテンション。一方のチョン・ウソンはやっと頭が起きて来たという感じ。すぐにメイクに取りかかり、衣装に着替える。今回の衣装はすべてドルチェ&ガッパーナ(超お高い有名ブランドだが、それ以前にこの服を着こなせる人を探す方が難しい)。それまで取材に同行してきたカメラマンさんは、どちらかというと被写体であるチョン・ウソンの動きに合わせて嵐のようにシャッターをきるという感じだった。しかし、このスタジオではポーズを決め「撮りますよ」とカメラマンさんの声の後に1回1回撮るというやり方だった。昔風の大きなカメラで丁寧に・・・ 緊張感漂う一瞬。1・2枚とってスタッフがポラを検討。そしてまた1・2枚。ワンポーズ都合5・6枚写した中から最もいいものを選んでいくという方式。

 一枚目の「出来上がり」(正直言うと彼もスタッフも満足していなかった)を気にしてか、彼が私に言った。「こういう撮り方は慣れてないので、できれば自分が自由に動いているところを撮って欲しい」と。しかしカメラがそれ用でなく、他にカメラを準備していなかったため、やむなく彼の意見は却下された。

 どう撮るべきか? スタッフ・ミーティングが続くなか、またもや彼が私に言うのだ。「ここにいる皆さんが最高の僕を撮ろうとしてくれているのに、僕のコンディションがイマイチよくなくて申し訳ない。顔もむくんでいるし、実はまだ本調子ではなくて・・・」 このひと言で場の雰囲気がガラッと変わったように思えた。通訳する私でさえ、なんだか胸がキュンとしてしまったのだから。それからのチョン・ウソンの奮闘ぶりは素晴らしかった。メイク室で上半身裸になり腕立て伏せをしたり、顔をパンパンたたいたり。場の雰囲気とカメラの特徴をいち早くつかみ、それ以降の撮影に堂々と臨んでいた(その息を呑むほど美しい仕上がりは、映画雑誌『プレミア 日本版』(No.70)で、是非ご確認いただければと思います)。こうして、朝9時から始まった撮影はようやく午後2時に終了。終了後、撮影スタッフ陣は異口同音「彼、ナイスガイだね」 そう言いながらサインをもらっていた。

● 成田での別れ

 こうして3泊4日のプロモーションは終わった。

 通常だとスタッフは成田の出発ロビー(出国審査前の手荷物検査のところ)で俳優さんたちと別れることになる。ところが今回は見送りに出たスタッフ全員が、下りエスカレーターに乗る彼が見えなくなるまで、まるで恋人を見送るようにガラスに顔をピッタリつけて、手を振り続けていた(もちろん私も)。そして彼の姿が見えなくなると一斉に「本当にいい人だったね、チョン・ウソンさん」からはじまり、帰りの車の中でも彼の話ばかりしていたっけ。普段は疲れのあまり爆睡することが多いんですけどね。

 これまで日本での知名度はなぜかイマイチだったチョン・ウソンだが、今後間違いなくブレイクすると信じたい。次回作は今まで経験のない大人のメロに挑戦するらしい。その隠された優しさや温もりを存分に見せて欲しいものだ。そして今度会った時には「ユン ソンセン(尹先生)」(彼は私をこう呼んだ)じゃなくて「ヌナ(お姉さん)」って呼んでね。でもやっぱり「イモ(おばさん)」かな?!


※ 写真は来日中の記者会見および試写会の舞台挨拶で撮影した物です。


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