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シンポジウム「韓国映画ルネッサンス」

Reported by 井上康子
2002/12/5受領


Profile 井上康子

 福岡市在住。1980年代にNHK教育TV「アジア映画劇場」(佐藤忠男解説)でアン・ソンギ主演『風吹く良き日』を観て以来の韓国映画ファン。いつも、情報を頂くばかりですが、今回は地域での情報をお伝えすることができてうれしく思っています。



 2002年、福岡市総合図書館映像ホール・シネラで開催された「韓国映画祭 〜90年代黄金時代の黎明〜」において、11月9日に行われたシンポジウム「韓国映画ルネッサンス」の採録です。なお、本シンポジウムの前には『リベラ・メ』が、終了後には『八月のクリスマス』が上映されています。

<シンポジスト>

 ホ・ジノ 『八月のクリスマス』『春の日は過ぎゆく』監督。
 キム・ヒョンソク 釜山フィルムコミッション・スタジオマネージャー。1999年に釜山フィルムコミッション・ロケーションマネージャーとなり、『リベラ・メ』等の作品にかかわる。2001年より現職。
 石坂健治 国際交流基金アジアセンター専門員。韓国映画界と交流を持っている。
 通訳:根本理恵

 韓国からのお二人のシンポジスト、ホ監督は物静かに、抽象的に整理してお話くださり、対照的にキムさんは熱く、具体的にお話くださいました。石坂さんがシンポジウムのテーマである「なぜ、韓国映画がこれだけ元気になったか」について「韓国映画の元気さ」の基盤になる要素や背景も押さえながら議論を進めてくださり、また、根本さんの通訳で微妙なニュアンスも感じることができました。

 キムさんの御発言にもあるように、当日はホ監督に会いに来たというつもりの方が多かったようです。最後の質疑の時間も、ホ監督作品に対する質問の方が、シンポジウムの内容に関する質問より多くなっており、ホ監督の人気の高さも実感できた一日でした。



● あいさつ

ホ: こんにちは。皆さんにお目にかかれてとてもうれしく思っています。私は1998年のアジアフォーカス・福岡映画祭のときに、初めて福岡を訪れました。そのときは本当にいい思い出がたくさんできまして、食べ物もおいしかったですし、空気もとてもよくて、福岡にもう一度来ることができてうれしく思っております。
石坂: 1998年のときは『八月のクリスマス』がまだ一般公開になる前の上映だったと思います。もう一人、チャン・ユニョン監督と二人でいらっしゃいました。私も、このときの映画祭に来ておりましたが、『八月のクリスマス』とチャン監督の『接続』の二本が福岡で上映されました。今振り返って見ますと、二人の若い監督のこの二作品は韓国映画界の大きな動きの象徴のような作品でした。それをいち早く福岡で上映したときは失礼ながら無名の監督さんでしたが、わずか四年でたいへんな国際的な名声を得られまして、長いような短いような感慨を持っています。
キム: これまで三回福岡に来ていますが、この図書館のある百道浜に来まして、映画の撮影に使えるような都市ではないかという気がしました。道路も建物もすばらしくてその割には人がごみごみしていなくて、映画の撮影も、し易いのではないかと思いました。


『八月のクリスマス』(画像提供:ウノ・フィルム)
● テーマ

石坂: 今日は時間も限られているので、テーマは一点、「なぜ、韓国映画がこれだけ元気になったか」にしぼります。なぜ、20世紀末から21世紀にかけて、急速に上り坂になったのかが皆さんも関心のあるところだと思いますので、今日は監督という作り手と、製作支援という立場でお仕事をされているお二人がいらっしゃっているので個々のお立場から伺ってみたいと思っています。

● 経歴

石坂: ホ監督は、1963年生まれで、大学は哲学科。いったん社会に出て、国立映画アカデミーに入りなおされたと伺っています。当時、学生からアカデミーに入る時期まで、映画監督になることがどのくらいの実現性があって、どういう気持ちで映画の勉強をしておられましたか? また助監督時代は?
ホ: 韓国映画アカデミーに入学したのは29歳のときでした。それ以前は映画監督になろうという気持ちは全くなくて、しかも映画のことはよく知らなかったのですが、ひょんなことから職場をやめることになりまして、やめて、映画がそうはいっても好きでしたので、ただ映画のことを学ぼうという気持ちで映画アカデミーに入りました。私はもともと映画狂、映画が大好きで映画ばかりという人間ではなかったのですが、映画アカデミーに入ってから、短編を作ることになりまして、短編を作りながら、もしかしたら映画監督になるということもあり得るかもしれないという思いを少しずつ抱くようになりました。映画アカデミー卒業後はパク・クァンス監督の『あの島へ行きたい』『美しき青年 全泰壱』という二作品の助監督をさせていただきました。パク・クァンス監督は作品をゆっくり作る監督で、五年に一本とかで、私はパク監督のそういうところもちょっと学んで自分の作品のテンポもちょっとゆっくりかもしれないです(笑)。

石坂: キムさんは29歳で非常にお若いのですが、フィルムコミッションで中心的な立場の方です。同時に学生でもいらっしゃるということなので現在の生活の状況と、また、フィルムコミッションが設立された経緯、キムさんがコミッションに入られた経緯を教えてください。
キム: 現在仕事はとても忙しくてたいへんで、しかも映画関係の仕事は普通の会社のように決まった時間にこれをするという状況ではないので確かに勉強との両立はたいへんです。幸いまだ若いということと映画の仕事だけをしているとこれだけでいいのかという強迫観念のようなものが自分自身に対しておきることがあり、仕事をして、もう少し勉強もしたいという気持ちで大学院に通っています。大学院ではコンピュータ・グラフィックスを専攻しています。映画の勉強はもうすでに学部のときにやっていますし、映画の勉強もしたいのですがそれは現場のほうで仕事をしながらできるので、大学院ではコンピュータ・グラフィックスを専攻しました。スタジオで特殊撮影の仕事をすることがあり、それに役立てばというのと、個人的に美術もとても好きで、美術的なものというのは映画に影響を与える部分が非常に大きいと思い、デザイン、美術、色彩、構図等のことを知りたいという動機からです。先ほど、ホ監督が29歳で映画アカデミーに入られてから映画のことを勉強されたとおっしゃいましたが、私は19歳の頃から釜山で映画の勉強をはじめていましたので、勉強していたのはだいたい同時期かなと思います。大学でも映画を勉強して、短編だとかドキュメンタリーの映画を作っていました。実際そういうことに携わってきましたので、釜山で開かれている釜山国際映画祭の第三回目と第四回目にスタッフとして参加することになりました。その時は、技術チームというところでスタッフとして仕事をしたんですが、技術チームというところは、フィルムを実際に自分の手で触ったり、検査したり、上映の技術も任されたり、非常に重要な役割を持たせて頂きました。そのように参加したことがきっかけとなってフィルムコミッションに入ることになりました。私としては微力ながら一所懸命仕事をしたつもりで、そのことを評価していただいたのか、あるいは、物好きな奴がいるから加えてみようということになったのかはわからないですが、設立の二、三ヶ月前にコミッションの方から声をかけていただきました。コミッションができる前の六ヶ月間準備期間がありましたが、その時はちょうど映画祭の期間で係われませんでしたが、設立から係わりまして現在に到っています。現在はスタジオの仕事の責任を任されていますが、それ以前はロケーションのコーディネーターをしていました。

石坂: 現在、韓国映画が産業として非常に活況を呈しているというのはいくつか理由があると思います。もちろん、国家的方向性として文化振興について、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)時代になって大きく変換されているということがあります。また、そういった中で映画を作る側も、観る側も、特に若い世代が映画に関する関心が非常に高くて、世代交代がうまくいったということも伺えます。

● 映画教育:韓国と日本の状況

石坂: いまのキムさんのお話は若いうちに勉強しながらフィルムコミッションで働いているということでしたが、若い監督たちが監督だけでなく教える側にまわっているということもあります。私が日本と韓国で映画について最も状況を異にしているのは、実はこの映画教育の面だと思います。日本は御存知のように国立の映画学校、映画大学がありません。しかし、韓国には存在し、その他の大学においても日本の比でない、たいへん多くの映画を教える、特に映画の実技・製作を教える学部があります。その上、若い現場の監督たちが、教授や助教授として教えています。ホ監督も大学で教えていらっしゃるそうですが、どういうことを教えていらっしゃいますか?
ホ: 韓国の中央大学に映画大学院があり、そこで「製作の実習」という科目を担当しています。

石坂: 同世代の監督で教鞭をとっている人がかなりいるのではないですか?
ホ: 私たちの世代ですと、まだ専任としてそこの大学に所属して教えているという人はそれほど多くありませんが、専任になっている人から御紹介を受けて私たちのほうに講義がまわってくるということはあります。私のケースもそうです。パク・チャヌク監督(『JSA』)も私と同じところで講義を担当されています。

● フィルムコミッションの活動

石坂: 日本でも最近各自治体等がフィルムコミッションに地域活性化の方策として注目しています。映画のロケ地や便宜を提供して経済効果をねらおうというものです。釜山はその先輩格にあたるとして、実はキムさんは日本各地でひっぱりだこです。これまで日本映画の上映が制限されていたということもあるのですが、日本と韓国の映画界は本格的な関係に到りませんでしたが、金大中政権になって一気に変わりました。韓国映画界のいろいろな基盤、フィルムコミッションもそうですし、映画の題材もそうですが、韓国に日本が教えを請うというような状況が現在起こっていると思います。実際、いくつかの映画は、韓国映画の題材を日本が輸入するということがここ数年起こっています。フィルムコミッションについては釜山から学ぼうという動きになっています。そこで、キムさんに伺いたいのですが、今日はシンポジウム前にここで『リベラ・メ』が上映されましたが、この映画は釜山フィルムコミッションが設立されてかかわった映画として非常に刺激的な映画だと思います。この映画をひとつのモデルケースとして釜山フィルムコミッションがこの映画にどういう協力を行ったのか、製作支援したのかを教えてください。
キム: ちょっと答え易い質問で安心しました。支援したのは画面を観てお分かりかと思いますが、一次的な支援として、爆発のシーンとか、火災のシーンとか、それから消防士がたくさん出てきますが消防士の方々に応援で駆けつけてもらったりしました。その他に撮影以外のことでは、宿泊料金の割引をスタッフに対してしたり、器材の保管場所を無料で提供したり、そういったさまざまな支援をいたしました。


『リベラ・メ』(画像提供:P2)

石坂: そういった支援によって、みんなの協力を受けて、たいへんな大作を街の中で撮った訳ですね。
キム: 先程の話では一番大事なところを抜かしてしまいまして、市民の協力が何よりも大きかったですね。市民の協力がなければこの映画は撮れなかったといっていいほど協力していただきました。こういう大作になりますと行政側だけの支援ではやはり足りないので、市民の支援も必要になってきます。特にこの作品は非常に大きな騒音が生じたりとか、危険なシーンもありましたので、なおさら市民の協力が必要でした。具体的な例を挙げますとガソリンスタンドが爆発するシーンがありましたが、ガソリンスタンドそのものはセットで作ったのですが、その向かい側100メートルも満たないところにアパート団地(注)がありました。たくさんの人たちが住んでいる団地でしたが100メートルしか離れていませんので、爆発シーンを担当する人たちが一軒一軒アパートを回って、「ガラスが割れるかもしれませんので気をつけてください」ということを全戸に説明して理解していただいて、それから妊娠中の人やお年寄りとか体の弱い方にはホテルを提供して泊っていただくような、そういう措置をとりながら撮影しました。もうひとつ、ちょっと面白い裏話を御披露しますと、アパートの人々の協力を取り付けるのがなかなかたいへんだったのです。というのはこのアパート団地というのは非常に豊かな生活水準の高い人たちが住んでいますので、逆にそういう人たちは説得しづらい部分があったのです。でも、今回、幸い『リベラ・メ』は韓国を代表する有名な俳優さんたちが出演していたので俳優さんたちにも協力してもらいました。アパートには父母会というのがありましてそこの方たちから俳優さんたちのサインがほしいと頼まれまして、俳優さんたちに協力してもらって一緒に写真を撮ってあげたりとか、サインをしてあげたりとか、そういうことをしましたところ、住人の方たちも協力してくださいました(笑)。

(注) 韓国のアパートは日本のマンションに相当する。

石坂: いや、なんかすばらしいお話で。日本でいろいろな規制を考えると『リベラ・メ』のようなことができるかなと、各地でフィルムコミッションについて考えていらっしゃる方はやはり繰り返しこの映画を観ておられるという話を聞きますので、確かにひとつのモデルのような映画だと思います。

● 映画界の状況の変化

石坂: 『リベラ・メ』というのはたくさん物が壊れる映画だとすると、ホ監督の映画は対極で物が全く壊れない映画ですね(笑)。しかし、このふり幅の中に非常に韓国映画が多様になっていることが伺えます。今日シンポジウムの前後に上映される『リベラ・メ』『八月のクリスマス』は韓国映画の端から端まで楽しめるという感じだと思います。ホ監督に伺いますが、1998年にデビューですが、それから韓国映画はまさに日の出の勢いなのですが、作り手として、そういう映画界の状況の変化はどういう風に受け止めていらっしゃいますか?
ホ: 私は1998年に新人監督としてデビューしたわけですが、そのころ新人監督のデビューラッシュがあったと思います。『ディナーの後に』イム・サンス監督、『反則王』キム・ジウン監督、『情事』イ・ジェヨン監督、そういった監督たちとほとんど同時期に監督デビューしています。その頃から韓国映画に対する韓国国民の関心が高まったということが言えます。だから韓国映画がいま非常に活気を呈していて韓国映画に力があると言っていただけるのですが、それはもしかしたら観客の力なのかもしれないですね。それ以前は韓国の人が韓国映画を観るというケースはあまりなかったですし、お互い誘い合って韓国映画を観に行こうなんていうこともあまりなかったのです。どちらかといえばハリウッド映画ばかり皆さん好んで観ていたのですが、最近は観客の人たちに訊きますとハリウッド映画よりも韓国映画の方が好きだという人が圧倒的に多く、増えていますので、現在の状況というのはもしかしたら観客が作り出したものかもしれないですね。

石坂: 一作目の『八月のクリスマス』と二作目の『春の日は過ぎゆく』、何年か間があるのですけれども、製作のときの条件とか状況は変化しましたでしょうか?
ホ: そうですね、やはり、製作の条件は変わってきておりまして、現在は製作費が以前と比べてだいぶ高くなっています。一作目を撮った時より、二作目にかかる製作費のほうがかなりたいへんだったですね。でも、全体的に製作の状況がよくなっているということは事実です。でも、私が『八月のクリスマス』で、デビューした頃はまだ映画というものが産業として確立していなかったような気がいたします。でも、その後、状況も変わってきまして、二作目を作る前あたりから、韓国映画の市場も非常に大きくなりましたし、映画がひとつの産業として成り立ってきていましたし、産業化に伴い、役割分担もきちんとなされるようになりまして、とにかく映画というものをひとつの産業として捉える、そういう動きが二作目あたりから出てきたような気がします。それによる短所と長所というのはあるかもしれないですが。でも、個人的には一本目を作ったときよりも二本目を作ったときのほうが結構いろいろな面で楽に撮ることができました。

石坂: 付け加えますと、現在の韓国の映画振興制度ですが、非常にきめ細やかで、『リベラ・メ』のような大作から、小さな映画、例えば、ドキュメンタリーですとか、学生の作る映画、そういったマクロからミクロに至るいろいろなレベルで支援体制があります。これは国営の映画振興委員会という、以前は国家が直轄したんですが、1999年から民営化されていますが、そこが持っているプールされている資金を大きなものから小さなものまで振り分ける形で非常にうまくいっています。そういうこともあります。

● ホ監督:日本映画への思い

石坂: 思いついたので伺いたいのですが、ホ監督はもとから日本映画好きだということで、1998年のアジアフォーカス・福岡映画祭にいらしたときは小津安二郎監督の名前を挙げておられましたけれども、その後、日本映画をずいぶんご覧になっていると伺いましたが、新たに好きな監督は現れましたか?
ホ: 私から見ますととにかく日本映画は全部面白く見えるのです。昨年観た作品では是枝監督の『ワンダフルライフ』は非常に興味深く見ました。それから最近は成瀬巳喜男監督の回顧上映がありまして、監督仲間と一緒に見たのですが、最近の映画より当時の映画のほうが面白いじゃないかという話をしていました。成瀬監督の作品もとてもよかったと思います。

● キムさん:フィルムコミッションの実績、今後の希望

石坂: キムさんに伺いますが、『リベラ・メ』で釜山フィルムコミッションはたいへんな評判になりましたが、その後、どの位の数の映画にかかわったのでしょうか? また、かかわるのは韓国映画に限られているのでしょうか?
キム: 私ども釜山フィルムコミッションが撮影支援したのは一年でだいたい10本から15本位になります。これまでに、支援した作品をすべてあわせると31本になります。日本の作品では阪本順治監督の『KT』、それから『ドッジGO!GO!』も支援要請が来ましたのでそれにお応えして協力をいたしました。映画以外としましては、S.E.Sのシューさんが主演している『ノー・キッス』というドラマや『ラブ・アゲイン』というドラマなども支援しました。ですから、全体的に海外の映画やドラマにも支援していまして、中国のドラマの支援もしたことがあります。海外の映画とドラマで9本位になったでしょうか。映画以外の映像関係のドラマとか、CMとか、ミュージックビデオ、これはドリカムもありましたが、これらを別途に計算すると44、5本位になります。今後、日本の映画やドラマも誘致しようと努力しているところです。

石坂: そういうお仕事の中で、たいへんなこととかもう少し改善すべきところとかありましたら、あえてお聞きしたいのですが。
キム: まだ私は基本的に映画について学ぶという気持ちで現場に出ていますので特別にそれほど大きな問題は感じていないです。この仕事は映画のことを理解して好きじゃないとなかなかできませんし、個人的には問題や改善点は感じていませんが、希望はあります。今後、アジア全体がフィルムコミッションのネットワークを作って製作していくということです。まだ韓国ではフィルムコミッションはできてから日が浅いので、これから継続させていってアジア全体との協同関係まで拡げていきたいと思っています。日本ではフィルムコミッションが全国で12ヶ所と聞いていますし、韓国では、ソウル、全州、釜山の三ヶ所にできていまして、中国にも香港にもフィルムコミッションがありますので、これからはアジア全体が協力し、お互い連携して、撮影体制を整えていきたいと思いますし、ゆくゆくはハリウッドの撮影もアジアに誘致できないかということを希望として持っています。

● ホ監督:次回作について

石坂: 最後にホ監督に次回作の構想について伺いたいのですが。次はフィルムコミッションでやろうといったことはありますか?
ホ: 隣のキムさんもぜひ釜山に来てほしいとおっしゃってくださいました。次回作は来年撮影を始めて、来年中には仕上げたいと思っています。そして、釜山で撮れるように努力しようと思います(笑)。
キム: 少し付け加えさせていただくと、これは非常に個人的なお話かもしれないのですが、釜山のフィルムコミッションは一所懸命に支援をやってくれるという噂が拡がりまして、どんどん依頼が来るのですけれど、大部分はアクション映画で、アクション映画は道路も通行禁止にしないといけませんし、それから爆発シーンもありますし、たいへんなのですが、ホ監督が撮ってくださればそういう撮影はないと思うので、こちらとしても休暇を楽しむような気分で支援ができるのではないかと思います。そして、今日ここにいる福岡の皆さんはおそらくホ監督に会いに来たのではないかと思います。もしホ監督が私どものフィルムコミッションで映画を作ってくれれば、フィルムコミッションの方も福岡の皆さんに知れ渡って有名になり、次は私に会いに来てくださるかもしれないので、そのためにもぜひ釜山で撮ってほしいですね(笑)。
ホ: そうですね。私も映画を撮るときは非常に苦労して撮っているのですが、今まで撮った場所は『八月のクリスマス』は主に群山、朝鮮半島の西海岸にあります、という所で撮って、二作目の『春の日は過ぎゆく』は江陵、朝鮮半島の東海岸でしたので、釜山は南海岸ですので、次は南海岸あたりもいいかなと思っています。しかも、私は海鮮料理が好きで釜山で撮るということもあり得るかもしれません(笑)。
石坂: ひょっとすると今日の出会いで撮影について相思相愛の関係ができるかもしれないですね。私たちは海の向こうの日本から動きを見守りたいと思います。

● 質疑応答

Q: 『八月のクリスマス』では小学校のシーンがありますが、ホ監督は小学校に思い入れがあるのでしょうか?
A: 私は今でも小学校の運動場を見ているとなんとなく感じるものがあるのですね。まあ、『八月のクリスマス』では、ハン・ソッキュさんのイメージに合うのではないかと思い、入れた部分もあるのですが。実際、私自身が小学校二年生の時に祖父が亡くなりまして、父方のおじが私を迎えに学校に来て家に連れて帰ったことがあります。その時、幼いながらも死というものはこういうものなのかと思い描くということをはじめて知ったような気がするのですね。おじに連れられて運動場を抜けてうちに帰っていったのですけど、そういった記憶があり、『八月のクリスマス』には死というものが出てくるということもありまして、運動場を入れてみました。

Q: 『八月のクリスマス』は私が観た映画の中で一番好きな映画です。主人公が自分で自分の写真を撮った後に、それがそのままお葬式の写真であるという場面を観て胸があふれるような感激をしましたが、これは先程おっしゃった、御自身も何か感じるところがおありだったのでしょうか? また、御自身で一番好きなシーンと苦労なさったシーンを教えてください。それから、最後にハン・ソッキュさんが歌った歌がもっと聞きたいというところで突然切れてしまうのはどうしてですか?
A: 遺影のシーンですね。主人公が自分で自分の写真を撮って、それがにっこりというのはそもそも『八月のクリスマス』を撮ったきっかけになったことなのです。私の頭の中でカメラマンが自分の遺影を自分で撮ったらどうかと、それもにっこり微笑んで撮ってみたらどうかというアイデアが最初にあって、その後にシム・ウナさん演じるタリムを登場させたり、家族を登場させたり、と膨らませていったのです。カメラマンが自分の人生の最後に微笑んで自分の写真を撮るというのはいってみれば死を幸せな気持ちで受け入れるということなのです。そのことを映画の中で描きたいと思いましてああいったシーンを取り入れました。好きなシーンは主人公が父親にビデオの使い方を教えるシーンです。あそこは個人的にとても好きなシーンです。苦労したシーンというのはシム・ウナさんが最初に写真館を訪れて写真を頼むシーンがあるのですが、私はもともとテイク、何度も撮影を繰り返すタイプなんですね。撮り直してはまた撮ってみましょうと言うのですが、あそこのシーンも何回も撮り直したんですね。そうしたら、シム・ウナさんがとても疲れてしまって、ソウルに帰りたいと言い出してしまって(笑)、なだめるのがたいへんでした。最後に歌が切れてしまったのは私の意図ではなくて、作った人が途中で切ってしまったようですね。


『八月のクリスマス』(画像提供:ウノ・フィルム)

Q: キムさんにお聞きしますが、フィルムコミッションと映画の製作会社の関係はどうなっているのでしょうか? また、釜山のフィルムコミッションは民間の会社組織になっているのですか?
A: (石坂) 詳しくはキムさんが話してくださいますが、製作会社は別にあって、フィルムコミッションはそれに協力支援する形で製作会社からの注文に応じて動いていく関係だと思います。
A: (キム) 私に質問していただいて有難うございます(笑)。質問は出ないと思っていました。釜山フィルムコミッションは社団法人の組織になっています。公の機関が必要として作った民間団体でして、韓国では一般的にはそういう社団法人の場合、一部が公務員で一部が民間人というケースが多いです。で、行政の立場からも仕事ができるし、民間からも仕事がし易いということで、両方の人がメンバーに入っていることが多いです。釜山フィルムコミッションでは最初は二人の公務員の人が入っていましたが、現在は公務員の人はいなくて、すべて民間の人がそこに雇用されて仕事をしています。日本では、福岡の場合には公務員の方が中心になってまずフィルムコミッションを準備していると伺いました。でも、大阪の方はまた違って名称も大阪ロケーション・サービス協議会(OSAKA FILM COUNCIL)で、商工会議所の文化振興課の方、二人がメンバーになって仕事をされています。その他、私が聞いたところでは完全に民間のフィルムコミッションもあると聞いています。詳しいお話はわかりませんが。それから、支援の対象となる作品は基本的には制限はありません。長編の劇映画にはじまって映像関係すべていいのですが、公の機関の協力を得なければいけない場合、そういうときに特別の規制はないのですが、シナリオの内容を検討したりして支援するかどうかを決めることもあります。一般的に見ると、まあこれはちょっとB級の映画だなと思われるもので、私たちとしては支援をしてあげたいと思っても、公の機関のほうでちょっとこれはできませんね、ということで断らざるを得ないこともたまにはあります。

石坂: 日本の状況まで説明していただいて有難うございます。ここでお開きとします。


<表現を改めた部分があります。セクション・タイトルは独自に付けたものです。>


シンポジウムに参加して

Text by 井上康子

 フィルムコミッションの具体的活動について詳しく伺うのは初めてで、興味深く伺いました。そして何より、キムさんの『リベラ・メ』裏話が感動的でした。爆発シーンを撮るために、アパートを一軒一軒まわって、説明して、協力を求めて、ホテルも手配して、さらにサイン会や俳優との写真撮影までして協力を得たなんて、映画作りにかける情熱がひたひたと伝わってくる話ですね。キムさんの生の声によって、そこまでやってくれたら、そりゃあ力のこもった作品ができるよね、と納得させられたことが、シンポジウムに参加しての何よりの収穫でした。また、同時に、ひとつのシーンを撮るために、気の遠くなるような人手とお金が必要なこと−産業化の中身についても感じることができました。

 ホ監督が「(映画を産業として捉えることに)長所と短所があるかもしれない」と、おっしゃっていましたが、その「短所」についても、少し伺うことができれば、議論がさらに立体的になっていたと思うのですが、今回は正味一時間の短時間のシンポジウムでそこまで伺えなかったのはちょっと残念でした。

 ホ監督が次回作に触れて、来年中には仕上げたいとおっしゃったので、私もホ監督作品の一ファンとして、思っていたよりは早く次回作にお目にかかれそうで喜んでいます。次回作の舞台が果たして釜山になっているかどうかも気になるところです。

 最後になりましたが、シンポジウムを主催された福岡市総合図書館の御理解を頂き、シンポジウムの内容をお伝えすることができました。記して感謝いたします。


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