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雑感〜『灼熱の屋上』を観て〜

押川信久
1999/1/11受領



 去る1997年9月12日から21日まで開かれていたアジアフォーカス・福岡映画祭'97で上映された作品の中で、韓国から『灼熱の屋上(原題:犬のような日の午後)』イ・ミニョン監督、1995年)が唯一上映された。韓国では90年代に入って、新しい感覚を備えたニューウエーブシネマと呼ぶべき映画が盛んに製作されているが、この映画もこうした感覚を十分に備えたものになっている。

 この映画を見ていて、『チルスとマンス』パク・クァンス監督、1988年)を思い出す方々も恐らく多いのではないかと思う。この映画もまた上映された当時、それまでの韓国映画にはなかった軽快なテンポと切れ味鋭い映像で韓国の若者から広い支持を集めた。この作品と『灼熱の屋上』とでは、幾つかの点で共通点が見られる。

 まず挙げられるのは、両方の映画で主人公となる人々が屋上にいるという状況に置かれていることであろう。『灼熱の屋上』では、記録的な猛暑に襲われた夏の日に、団地の広場で夫から暴行を受けていた女性を助けようとした数人の女性が、誤ってその夫を殺してしまった。これがきっかけで団地に警官隊が出動してしまい、結果としてその女性達が団地のビルの屋上に篭城せざるを得なくなってしまう。また『チルスとマンス』では、高層ビルの上で看板を描く仕事をしていたチルスとマンスのうち、チルスが酒を飲んで騒ぎだしたのであるが、それを警察が二人が自殺しようとしていると勘違いして、そのビルの周囲を取り囲んでしまうのであった。

 続いて挙げられるのは、マスコミの存在が主人公と警官隊との間に介在しているということであろう。このマスコミが主人公と警官隊との意志伝達の過程に入りこむことで、双方の物語の推移に対して重大な影響を及ぼすことになるのであった。

 第三には、屋上に上がることになってしまった主人公のそれぞれに、人生における悩みを抱えているということが挙げられよう。『灼熱の屋上』で団地のビルの屋上に上がることになってしまった女性達の悩みは多岐にわたっている。夫の浮気や夫からの虐待に苦しめられる人もいれば、就職難によって水商売の世界に入らざるを得なくなった人もいる。儒教社会の影響からか、女性は早く結婚すべきという風潮がまだ残っている中で独身の淋しさに苛まれる人もいる。特にその女性の中にニューハーフの人が混ざっており、韓国社会の中で差別を受けている現状の一端が表出されていたのは注目に値する。『チルスとマンス』でも、チルスは恋人との不仲やアメリカにいる姉との連絡が途絶えてしまっており、マンスの方も父親が政治犯として投獄されているという悩みを抱えていたのであった。

 こうした共通点をこの二つの映画は持っているのであるが、結末は二つの映画で正反対といっていい程に対照的である。『チルスとマンス』では、警察がビルの周囲を取り囲んでいる中で、マスコミが彼らの叫びを社会に対する抗議ととらえてしまい、まるで彼らが社会全体に対して異議を唱えているかのような状況を作り出してしまった。二人はこうした極限状態の中で追い込まれてしまい、チルスは興奮してビルから飛び降り、マンスは逮捕されるという悲劇的な結末を迎えた。これに対して『灼熱の屋上』では、主人公の女性達が普段は威張っているもののいざというときに役に立たない警官に対して立派な抵抗を行なっているうちに、マスコミが彼女達の行為を女性運動の象徴として報道し、圧倒的な世論の支持を得ることになってしまった。そして結果として彼女達は女性の権利を守ったヒロインとして、意気揚揚とビルの屋上から降りることができたのであった。

 このような対照的な結末に至ったのには、様々な理由があるであろうが、その内のひとつとして韓国社会の急速な変化は当然挙げられるべきであろう。韓国では1987年の6・29民主化宣言や翌年のソウル・オリンピック開催を期に、急激に民主化が進行した。この影響は映画においても大きなものがあり、検閲制度の廃止などが次々と行なわれて徐々に自由な撮影環境が整えられていった。こうした韓国映画界の状況が『灼熱の屋上』にも表れているのであろう。まさに90年代の韓国社会の一端を端的に示した作品といえるかもしれない。

 ただ、『灼熱の屋上』でもそうであるが、韓国映画は韓国社会における様々な問題を今でも如実に映し出している。1997年に経済危機が起こり、韓国社会は現在、不安感に覆われた状態にある。こうした中で韓国映画もその内容が問われている。観る側としては韓国社会のもつ様々な顔を、歴史的背景をも踏まえつつとらえるという行為をこれからも続けていく必要があるのであろう。そしてこうした観客が日本で更に増えることを望みたい。


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